ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 「I'm always on your side.」

 この言葉を最初に見たのはジャズボーカリストのCHAKAさんのサイトの中で。もう多分ひと月ほど前ではないでしょうか?エンドリライブ以来、彼女の音楽にとっても惹かれたわたしは、ただ今アマゾンから彼女のジャズボーカルのCDが届くのを待っているところです。わたしより少し年上のCHAKAさんは、この言葉を言うのにふさわしい懐の深さと暖かさ、そして素敵にオープンマインドでいらして、音楽的にはもちろんですが、人間としてもあこがれの人物です。
 さて、なぜ今更この言葉を日記のタイトルにしようと思ったかと言うと、ここのところこの言葉をかみ締めるような出来事が頻発しているからです。
 アネに、オトートに、家族みんなに、生徒たちに、友人たちに、そしてブラウン管の向こう側のアノヒトたちに・・・いろいろな人にこの言葉を投げたい思いはいっぱいあるのですが、どうにもわたし自身にパワーが足りないなあとつくづく(笑)まだまだ人間修行が足りませぬ。
 昨日、夜も遅くなってやって来た生徒との会話。「なんだかちょっと中途半端かな。やさしくってなめらかで、人のよさが伝わるような演奏だけど、心に残らないよ。もっと表に感情を出してごらんよ」とレッスンの流れで何気なく言ったのです。
 そしたら彼女、唇をかみ締めて「わたし、人がよくなんかないから。」とぼそっとひと言。しばらく無言になってから「多分、わたし中3の女子の中で一番の嫌われ者だよ、今。」と彼女にしてはびっくりするほど大きな声で宣言しました。防音室なので、外には聞こえやしないのですが、聞こえるんじゃないの?と心配になるほどの大声です。
 実は先日おかあさまに相談されていたのでした。かなり生活が乱れていて、夜はサイゼリアなど安めのファミレスに何時間もたまっているらしいとか。学校に行っていると嘘をついて遊びに行っているらしいとか。一見おとなしそうだけど、実は裏ではかなりワルの親玉的に思われているとか・・・。
 わたしにとっては、小学校低学年からずっと通って来ている大切な生徒です。「こんなときは、こう弾いてほしい」とか、「そこの指はそんな風に」とか最後まで言わなくても、「ここは?」と言っただけでちゃんと伝わるし、言葉数は少ないながらも、信頼関係はちゃんとできていると思っていました。学校内のことは知りませんが、少なくともレッスン室の中では、練習熱心で素直な真面目な生徒です。
 ただ、彼女は言葉をつむぐのが上手ではないし、わたしも「話したがりではない子」の心に分け入っていくのが上手な方ではないので、彼女とはレッスンの中で無駄話をしたり、教室での出来事を話したりはほとんどしていません。それでもお互い居心地がいいし、音楽的にはつながっているのだから、そういうのもアリなのかなあと思っていたのです。
 初めてと言っていいくらい本音の感情をぶつけられて、少し戸惑いましたが、すごく不器用にちょっとだけ話をしました。「担任の先生も、おかあさんも、わたしのことが大嫌いだから。友達も、本当はわたしとかかわると損だと思ってる。そんなことを考えていると、なにもかもがどうでもよくなって死にたくなる」と。「誰ひとりとして、心を許せる人がいない」と。そう思っているのでは、そりゃあつらいだろうし苦しいだろうなあと、彼女の思いが伝染してしまい、暗澹たる気持ちになりました。
 実際にはおかあさまは、「胃が痛くて胃が痛くて、どうしていいものやら。四六時中娘のことが気になって、職場にいても心ここにあらずなんです。時間変更やら、迷惑ばかりかけてすみません。」と涙ながらに電話をしてこられているのだし、先生だって、友達だって、彼女が思うほど敵ではないと思うのです。おかあさまをはじめ、本気で彼女の将来を案じている人の思いは、今の追い込まれた彼女には、届いていません。そのことをきちんと教えてあげるべきだったのかもしれないけれど、だからと言って、「アンタも悪いよ」という言葉を簡単に投げるのは間違っている気がしました。とことん追い込まれている彼女は実際に目の前にいるのだし、7年越しでうちに来て、初めて語ってくれた本音らしい本音。少しでも素直に吐き出す場所にできるなら、できれば黙って受け止めてあげたい気もするし。
 だからといって特効薬のような魔法の言葉が見つかるわけでもなく、わたし自身も彼女の言葉の重さに打ちのめされてしまったので、ふたりで結構長いこと、だまりこんでしまいました。
 どうして世の中、みんなこんなに寂しいのだろうと思います。大人も子供も、老人たちも。誰もが今孤独で、誰もが「これじゃいけない」ともがいているような気がします。
 地域では「安全パトロールみまもり隊」なる大きなステッカーを自転車につける運動が行われています。このステッカーをつけた自転車が町にあふれていることで、犯罪者が誰も見ていないだろうと、とんでもないことをするのを抑止する効果があるそうです。実際に町を歩いてみると、このステッカーがとても目立っています。我が家にも、役員になると同時にこのステッカーがやってきました。大事件こそ起きていないものの、連れ去り未遂事件や、ひったくりや、万引きなどの犯罪が後をたちません。
 実際に町にどんなに人があふれていようとも、誰も他人には興味関心がなさそうに見えたりします。もし今誰かが悲鳴を上げたとしても、誰ひとり歩みを止めそうにもない雰囲気があります。「苦しいだろうけど、今オマエが歩みを止めてしまったら、たちまちその場所から引き摺り下ろされて、別の人がそこに座るだけ。人生負けるか勝つか、ふたつにひとつだ。」とは、オトートの友達の塾の先生が本当に言ったひとことです。オトートの友人はそのひとことが堪えて、ここのところよく眠れないらしいです。
 とはいえ本当のところを言うと、一見冷たく見える人々の中には、ちゃんと暖かい血が流れていて、ふところに飛び込めばちゃんと助けてくれるし、そばによりそってもくれるのです。怪我をすれば薬を塗ってくれるし、迷子になればちゃんと一緒に家を探してくれます。でも、どうもそれが表に見えてこない世の中になっているのです。
 してみると「みまもり隊」のステッカーは、子供たちにも「安心していいんだよ。」と言う「視覚的」メッセージでもあるのかも。
 ニュースでは毎日恐ろしいことばかり、ずるい大人の話ばかり取り上げられるので、熱心に耳を傾ければ傾けるほど、なおさら誰も信じられなくなってしまいます。
 わたしなんて無力だし、人格者でもないし、どこでもいるこれと言って特徴もない1個人ですが、こんな世の中だから、「I'm always on your side.」心だけは、かかわりあった苦しい誰かさんに寄り添ってあげられるといいのに・・・とこっそり小さく思います。そのためにはまず自分の心に余裕がないといけないなあと、この言葉を座右の銘にしようと思ったら、自分が大きくならなくてはダメだろうと、最近様々な出来事に翻弄されている自分を見て、冷静に思っているわたしがいます。
 夕べの彼女には携帯のアドレスを渡しました。押し付けたくなかったので、彼女のは聞きませんでした。「何があっても味方だからね!」なんてさらっと言えるわたしならよかったのですが、そういう性格ではないので、こっそり背中に念を送りました。負けないで♪(by ZARD風)