ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

先生のリサイタル

7月26日、上野の某会館でわたしの現在のピアノの先生が、リサイタルを開かれました。久しぶりにクラッシックのコンサートでしたが、本当に素晴らしかったので昨日一日ボ〜ッとしてしまい、心だけホールに置いてきてしまったようでした。わたしは、クラシックのコンサートの聞き方が以前から下手くそで、どうも心を空っぽにできずに、その方の音楽に人見知りしたまま終わってしまうことも多いのですが(意味がわかるかしらん?)この先生のリサイタルは構えさせられるような大仰さはカケラも感じさせず、居住まい正して聞く音楽というよりは、油断していてもハートを直撃されるようなピアノなので、聞き方が下手なわたしの心にもまっすぐに入ってきて素直に聞くことができます。
 特に素晴らしかったのは、リストの『アレグリの「ミゼレーレ」とモーツァルトの「アヴェ・ヴェルムコルブス」によるシスティーナ礼拝堂にて』という曲で、不勉強で全く知らない曲だったにもかかわらず、とても動かされてしまいました。他の曲もショパンソナタ3番などの難曲あり、お得意のモーツァルトあり、「愛の夢 第3番」のような誰でも知っている曲ありの、バラエティーに富んだプログラムだったのですが、アンコールのリストの「ラ・カンパネラ」は今までわたしが聞いたどの方の演奏よりもステキに聞こえました。先生の指先が羽根に見えました。スタッカートなのですがペダルの使い方がとてもステキで霞がかかったかのような幻想的な雰囲気があり、テヌートにさえ聞こえるくらい一音一音が粒がそろって大切に弾かれ、カドがない感じが心地よくてステキでした。どの演奏も一見とってもエモーショナルな感じなのですが、レッスンで教えていただいているときにいつも感じているのは、隅々まで神経が行き届いていて、緻密に曲を組み立てていらっしゃること。先生の音を聞いているといつものレッスンで注意されている言葉の意味が「ああ、こういうことだったのね」と思うのですが、家に帰って思い出そうとすると魔法が解けてしまったかのように、何故か何も思い出せなくてただただ素敵だったと言う間抜けな感想しかない自分がもどかしいです。
 この先生はわたしより一回り近く年下で、教えを請うようになってまだ、数年です。というのは、わたしにとって以前からの恩師の先生が更に数年前にまだ若いのに卵巣がんで亡くなられたからなのです。たまたま、亡くなった先生と漢字がわずか一文字違いということで目に止まり、引き寄せられるように教えていただくことになったいきさつがあるのですが、いろいろな偶然の重なりにより、この方に出会うことができたわたしは幸せだし、この先生の言葉によってわたしの自分のレッスンに対する考え方や、ピアノの子どもたちに向かいあう姿勢もものすごく影響を受けたことを考えると、前の先生に引き合わせていただいたのかもしれないと運命を感じたりするのです。実はこの先生は雲の上の存在で、演奏家の卵でもなく、ちっちゃい町のピアノの先生であるわたしが教えを請えるような方ではなかったのですが、そんな大それたことだと気づく前に偶然の重なりにより通いはじめていたのはある意味、ラッキーでした(先生にはご迷惑だったかもしれませんが)。こういう感動をわたしがわたしの言葉で、わたしの生徒達に伝えられるようになりたいです。そして小さいながらもわたしの教室の生徒たちにも、わたしのつたない音楽から何かを学んでもらえるといいなとつくづく思うのです。レベルはあまりにも違うのですが(笑)本当は先生の実名をあげても問題はないと思うのですが、ご了承をいただいていないので、今は伏せておきます。秋には本格的なCDを出されるようなので、その際にはぜひ紹介させていただきたいと思います。