ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

クラシックの夕べ

KinKiさん大露出大会の続きを書こうと思ったのですが、下書きしてあった、こっちから先にします。
もう書きたいことが溜まりすぎて、そっちを整理するのは本当に大変(笑)うれしい悲鳴です。

一方、わたしは、ここのところずっと微妙に体調が悪くて、そのことは次の日記に書きつつあるのですが、やっと体調が落ち着いてきたうえに、やっぱり師走の大波にさらわれそうになりながら、なんとか踏ん張っている感じなので(笑)書き終わったものから徐々にアップしていきたいと思います。

この日記はすでに2週間以上も前のものです…すみません。
先日、久しぶりにクラシックピアノのサロンコンサートに行ってきました。
わたしのピアノの師匠のリサイタルです。

わたしの現在のピアノの先生は、マレーシアから帰国後、1999年頃にたまたま出会いました。
この話は前にも書いた気がするけど…ちょっとびっくりするような出会い方をしたので強烈に覚えています。

当時恩師を亡くしたばかりだったわたしは、とても心もとない気持ちで新しい先生を探していて、たまたまあろうことか、あるスーパーの伝言板で「ピアノ教えます!」という掲示を見て電話しました。

ええ?そんな素人みたいな出会い方?
とびっくりされる方も多いと思います(笑)
わたしも実際とんでもなく驚きましたから。むふふ。

そもそもどうしてスーパーの掲示板に、こんな只者じゃない感が半端ない方がピアノの生徒の募集をしているのだろう?とびっくりしたことを今でも覚えています。
出身校も留学先も超一流だし、コンクールの入賞履歴もそうそうたるもので…
なのに、レッスン料が貧乏主婦にとっては破格にリーズナブル(笑)

そして、何より亡くしたばかりだった恩師と、ファーストネームが漢字まで一緒でした。
この時、このことがわたしにとっては何よりも大事に思えたのです。
この先生に電話しようと思ったきっかけと言っていいくらい(笑)

なんだか恩師に「わたし亡き後、あなたが習うべくはこの人よ!この先生のところに行きなさい!」と背中を押されたような気がしました。

後で聞いたところによれば、先生もドイツから帰国されたばかりで、まだ演奏活動も音楽大学の講師のお仕事も決まる前で、まずはどんな風に生徒を募集していいかわからなかったのですって。

この絶妙なタイミングだからこそという感じで、わたしは先生に出会い、しかも今にして思えば冷や汗ものですが、問合せの電話の中で「一度お会いしてから、今後教えていただくかどうか決めてもいいですか?」なんて、今にして思えばとんでもなく失礼なことを言いました。

でもこの年になってこそ思うのですが、ピアノの師弟関係にはものすご〜く相性が重要だし、演奏家にも指導者にもいろんなタイプの方がいるから、どうしても誰でもいいというわけにはいかないと思ったのです。

そんなこんな、ご挨拶に伺ったら、いきなりピアノの前に座って、どんなのやりたい?
「たとえばこんなの好き?」「たとえばこれは?」「わたしね、こういうのが得意なタイプなの」…と初対面なのに、実に気さくに、そして気前よくじゃんじゃん弾いてくださって、そのピアノの音色に、そして先生のお話にいっぺんで夢中になってしまったという…
もう10分くらいで先生の虜になってました(笑)

わたしよりずいぶん年が若い先生ですが、そんなことはまったく関係なく、演奏者としても指導者としても、こんな風になりたい!!と心から思わせてくださる方でした。

こんな素敵な先生と偶然出会えるなんてほんと奇跡!素敵過ぎる!とその時も舞い上がっていたのですが、習えば習うほど、すご〜くいい先生だということがよくわかり、出会いって不思議だなぁと思ってました。

そして、そこから数年はコンスタントにご指導を仰いでいたのですが、近年ご自身の演奏活動や音楽大学、音楽科の高校の講師などのお仕事がお忙しそうで、わたしもずいぶん前、義父が倒れたあたりから、なかなか練習する時間が取れなくなって、そこからはなんとなく疎遠になっておりました。

さて。

その先生から、ここのところ2度に渡り「お元気ですか?今回のリサイタルは、ぜひぜひあなたをお誘いしたいと思いました。きっといい勉強になります。都合がつくようなら、ぜひいらしてください。」という直筆のメモ書きがついたお誘いのダイレクトメールが届いていました。

もう数年レッスンにも行っていないし、この辺で自分のレッスンも立て直したいしで、なんとかならないかなぁと思うのですが、なかなかタイミングが合わず。今回もあきらめていたのですが、たまたま生徒がインフルエンザになり、振り替えレッスンの予定が消えたので、前日にメールして、まだチケットありますか?と聞いたというわけです。

こんなぎりぎりになって「チケットありますか?」なんて失礼極まりないし、きっとお忙しいからメールもご覧にならないかもしれないし、多分ダメだろうなぁと思っていたのですが…

そうしたらすぐにお返事がきて「受付で名前を言ってもらえば入れるようにしておくので、ぜひぜひいらっしゃい」とおっしゃってくださいました。
なぜかうまくいくときは本当にとんとん拍子に決まるものです。

そんなこんなでさまざまな偶然の導き?(笑)があって、久々にピアノのサロンコンサートに行ってきました。

今回のコンサートはちょっとおもしろい企画もので、先生が講師をしてらっしゃる音楽高校の将来有望な生徒さんとのコラボ演奏を含むサロンコンサートでした。

最初に2曲、生徒さんが演奏して、その後先生が演奏をなさいます。

そんな特別なコンサートなので、若い音楽高校の生徒さんとおぼしき方もたくさん。
そして学校の先生方と思われる方もいっぱい。
プラスピアノの先生や、わたしの先生の熱烈なファンのみなさま、多分クラシック関係の音楽業界の方なんだろうなぁと思う方もいらして、客席もとっても多彩でした。

わたしのように、一人参加の方もたくさんいて、みなさん静かに穏やかな顔で開演を待っています。

ふと客席を見渡してみると、客席に座っている人の誰もが爪を短く切りそろえています。
これは客席側もピアノを弾く人ばかりの集まりだという証拠で、そういえば音大の時もみんな爪が短かったことを思い出しました。

どんなに派手な服装をしていても、美しいドレスを着ていても、みんな爪だけは短く切りそろえていて、それは、毎日ちゃんとピアノに触れている証拠です。

わたしなんて近年特に、レッスン以外であまりピアノに触ってない方だと思うけど、それでも爪に白いところが2mmくらい出てくると気持ち悪くて切ってしまいます。これはクセでもあるのかも。

そして、演奏会が始まると、前半部分では、先生が生徒さんが弾く音楽について、細かく1曲1曲について説明を入れてくださるので、とてもおもしろかったです。

生徒さんのみずみずしい音楽は、若さに満ちていて、まだまだ伸びしろがいっぱいあるという感じで、見ていてとても楽しかったです。

生徒さんと先生が連弾で弾いたモーツァルトも素敵でした。

うちの先生はモーツァルトもとっても得意な方なのですが、いつもとちょっと毛色が違う、生徒さんを支えるとても包容力のある音。

ご主人もピアニストで、ご主人とリサイタルで連弾されるのも何度も聞いているのですが、ご主人とコラボされる時はもっと先生がa piacere、とっても自由奔放なイメージのピアノを弾かれ、ブラームスがお得意なご主人がどちらかというと全体を支えるしっかりとした包容力のある音を鳴らしてらっしゃいます。

(実はわたしの音楽や音の好み、日頃鳴らしている音からしたら、一見ご主人先生に弟子入りした方がいいようにも思われるのですが、一度代替レッスンをしていただいたりしたこともあるのですが、相性的には断然奥さん先生でした。なぜか、絶対この方という直感は正しかったわけで、理屈じゃなくて、合う合わないがある世界なのだなぁとその時も思ったのです…ほんとうに。)

でも今回は生徒さんをたてて、個性を抑えて正確に美しく音を刻んでいらっしゃいました。

一方で先生がソロで弾く番になると、先生のピアノがますます洗練されて素敵になっていることにびっくり!!

うちの先生は、身体のわりにとっても手が大きくて、見かけはそんなに力がありそうでもないのに、クレッシェンドがとても多彩で美しいのが特徴です。
イメージ描写から考えると、鳴らす音や手の感じは多分、のだめカンタービレののだめちゃんみたいな感じ。
実は医学を志すか音楽にするか迷ったという超知性派美女なので、全然違うところもあるけれども、奔放でお茶目なところはのだめ的要素も含んでらっしゃるかも(笑)

今回、久しぶりに先生の本気の演奏を聴いたら、以前よりもっともっとパワーアップしてらして、ものすご〜く刺激をいただきました。

この日の演目の中にリストの宗教的な曲が2曲あって、以前だったらあんまり興味を持たないタイプの曲だったと思うのですが、今聴くと、ものすごく心を直撃してきて驚きました。

片方が生徒さんが弾いた『「伝説」より波の上を渡るパオラの聖フランチェスコ』で、もう片方、先生が弾かれたのが『アレグリの「ミゼレーレ」とモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」によるシスティーナ礼拝堂にて』という曲なのですが、どちらもストイックで繊細で、とてもとても素晴らしかったです。

これらの曲はリストが相次いで二人の子供を亡くした時に、宗教的なところに救いやよりどころを求めていた心情を、如実に現している曲たちなのだそうです。

西洋音楽を追及するクラシックでは、宗教曲と言えばキリスト教の教会音楽で、特別な宗教感を持たない典型的日本人のわたしにとっては、宗教音楽はいまひとつ馴染みがなく、理解しずらいと感じていたのですが、この頃神社や仏閣を訪ねたり、関連する本やテレビを見てみたりする機会が増えたせいか、宗教の種類を問わず、その心、根底には共通するものがあると感じ始めていて。

これらの宗教音楽も、もうちょっと深く共感したり、その雰囲気を掴むことができるんじゃないかという気がしてきました。
最近あんまり触れてないですが、こっち方向へもうちょっと勉強の舵を切ってもいいかも?と思わされました。

あと、年齢的なものもあるかな。
つくづくと思うのですが、今の感覚と経験をもって、10代の体力と気力でピアノが弾けたら…きっともっとずっと上手になれるような気がします。

そして、休憩を挟んで先生が弾かれたショパンピアノソナタ第三番の素晴らしかったことと言ったら。
この難曲を一見とても涼しい顔で、でも情感たっぷりに表現してゆきます。

この曲では、途中ちょっと息をするのも忘れました。

この日の演目の特徴として、これらの他に先生の十八番の「ラ・カンパネラ」とか「愛の夢」とか、ショパンのワルツの1番とか、ちょっと専門的にピアノを弾く人ならば、わりと誰もが弾いたことがある曲もたくさん弾いてくださったのですが、これらが日ごろ結構聴いたり弾いたりする機会が多いだけに、「うわぁ、絶対に一生かかっても先生にはかなわない!!」というのを徹底的に思い知らされた気がしました(笑)
うまくは言えませんが、たとえ楽譜通りには弾けても、あんな風に心を打つようには決して弾けない…と思い知らされてしまった感じ(笑)

もう一音一音、音の粒がわたしのとまったく違うの(笑)

そして、多分それは、居合わせた生徒さんたち、先生ファンの皆さまがたも徹底的に感じられたものと思われました。

みんな息をつめて、キラキラした瞳で先生の演奏を追っていました。
クラシックのコンサートでは、集中していると、時として咳払いとかもとても気になってしまうものなのですが、風邪の季節にも関わらず、水を打ったようにシーンと静まり返り、ムダな音をたてる人はただの一人もいませんでした。

みんな相当な集中度で聴き入っていたに違いないです。

そして、わたしは思いました。

わざわざメモをつけてまで、誘っていただいたのは、先生と生徒というこのコンサートの心を、まがいなりにも生徒を持つわたしに見せたいと思ってくださったのだろうなぁということを…

16歳の生徒さんの後で弾いた先生の音楽性、テクニックは本当に圧倒的でした。
鍵盤を滑るようなレガートの美しいパッセージの数々。
マルカートの音の粒の揃っていることと言ったら…

アンコールの最後の最後には、リムスキー=コルサコフの「熊蜂の飛行」を弾いて、最後の方はもう笑顔で弾いてらして、弾き終わった後に、とってもお茶目ににっこりしてちょっと大げさにお辞儀をされました。

ああ、かなわないなぁ…
本当に素晴らしい。

心からそう思える先生に出会えてしあわせだなぁと思いました。

そして、喝を入れられたような気もしました。

ああ、ここのところ、さぼりがちだったなぁ。
わたしももっとちゃんと弾こう!!

心からそう思ったコンサートでした。

生徒たちに惜しみなくこの背中を見せてくださるところが、この先生のとても素晴らしいところだと思います。
人にものを教えるためには、こんな風に「芸(あえてこの言葉を使います!)」そのものの説得力がなくてはね!

いいもの、見てきました。

わたしもそろそろ本気を出そう…と100回目くらいに思いました(ダメじゃん、笑)