ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 東京交響楽団 ニューイヤーコンサート2011

昨日1月9日、午後2時より東京交響楽団ニューイヤーコンサートに行ってきました。
場所はサントリーホール
開場時間になると開場前のカラヤン広場にパイプオルゴールの華やかな音色が響き渡ります。
この音色をゆっくり聴いてから会場の中に入りました。
席は一階の14列目、真ん中よりちょっと前で通路の前でした。2曲目、ピアノが運ばれてきたら手の部分がちゃんと見えるところにあってなんだか得をした気分でした。
というわけで、音を聴くにも目で楽しむにも理想的な場所だったのではないかと思います。

プログラムは
ヨハン・シュトラウス? 喜歌劇「こうもり」序曲 作品367

チャイコフスキー ピアノ協奏曲 第一番 変ロ長調 作品23
(ピアノ:中村紘子さん)

アンコール(中村紘子さんのみ)
ショパン ワルツ2番 華麗なる円舞曲
ブラームス ハンガリー舞曲第一番
ショパン 英雄ポロネーズ

ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 作品95 「新世界より

アンコール(東京交響楽団のみ)
ヨハン・シュトラウス? ラデツキー行進曲
続きは個人的な感想を。
じぇんじぇん専門的な感想ではなく、超しろーと感想ですので念のため(笑)
1曲目の「こうもり」が始まった時、オーケストラの弦の音を久しぶりに生で聴いてとても穏やかでしあわせな気持ちになりました。
久しぶりにアンプラグドな人肌のぬくもりのある音。金管木管の温かみがある芳醇な音。あまり意識はしていませんでしたが、実はこういう音に飢えていたかも。
両親はウインナワルツが大好きなので、お馴染みのメロディーが出てきたあたりからすごくしあわせそうな顔で聴いていて、一緒に来てこんな顔が見れてよかったと思いました。
音の素晴らしさもさることながらかなり前の方だったので、どこで楽器を構えてどこで降ろすか、演奏者のひとりひとりの顔や表情までがよく見えてとても楽しかったです。
なんと言ってもびっくりしたのが、中村紘子さんの力強さで、わたしが彼女の演奏を生で最後に聞いたのはいつだったかしら!?
こんなにずしんと響く音を鳴らす方だったかしら?とちょっとびっくり。
前傾姿勢で体重をフルにピアノに載せて弾いていらっしゃいましたが、それはそれは凄味がありました。
出て来られた瞬間、ゴージャスなゴールドのドレスがピカピカピカピカしていて、目にもとってもまぶしくてその存在感たるやものすごかったです。
昨年もこのコンサートを見た父と母は昨年もチャイコフスキーを聴いているので、「凄いでしょ!?」という感じでちらちら目で語ってました(笑)
一楽章はちらちらミスタッチがあってちょっとドキドキしたりもしましたが、楽章を追うごとに息が合ってきて、いい感じになってきたと思います。
アンコール曲の1曲目はショパンのワルツだったので、ずっと前にテレビのコマーシャルで弾いておられたワルツの一番のことを思い出しました。
この曲はきらびやかでキラキラしていて、美しかったと思います。
次のハンガリー舞曲と最後の英雄ポロネーズは低音がずっしりガンガン響いて、還暦を過ぎて尚ふつふつと沸き上がる素晴らしい情熱を感じました。
体型もあの時と比べるとずっと恰幅がよくなってらして、凄味を増したなぁというのが正直な感想ですが、演奏も外見のイメージと違わず、なんてパワフルで肉食系の演奏なんだ!と圧倒されながら聴きました。
もう還暦をだいぶ前に越えられた方がこんな風に攻めの演奏をされるのを見て、大いに元気づけられた気がしましたよ。
最近「もう年かも〜」なんて守りに入っていた自分がとっても恥ずかしくなりました(笑)
3曲目の英雄ポロネーズは右手の早いパッセージも素晴らしかったです。
何より3曲のアンコールを終えて尚、まだまだパワーが余っているような感じに見えたのが凄いなぁと思ったり。
うちの両親もかなりのパワーをもらえた気がすると言ってました。
ラストの「新世界より」は子どもの頃の我が家の思い出の曲でもあって、わたしが好きと言うよりは多分父や母が好きだったのだと思うのですが、気がつけばこの曲が我が家のステレオから流れてました。
当時のステレオがどんなのだったかはちっとも思い出せないのですが、オーディオセットを乗せる台が父の手作りで、なぜかその台の色とか質感とかが音楽を聴いていてとても思い出されました。
そんなわけで、この曲に関してだけは楽譜を見たことがあるわけではないのですが、45分くらいある大曲にも関わらず、どこでどんなメロディーが来てどの楽器が主役で、次にどんなフレーズが待っているのかを知りつくしているので、あちこちで期待に胸をふくらませながらワクワクしつつ聴いてました。
この曲は、ボヘミア生まれのドヴォルザークが招かれてアメリカで過ごした3年の間に、新世界アメリカから故郷のボヘミアに向けてのメッセージという意味合いを持って書かれたのだそうですが、この曲のWikipediaによれば

全般的にはボヘミアの音楽の語法によりながらも、アメリカで触れたアフリカ系アメリカ人ネイティヴ・アメリカンの音楽も見事に融合されており、それらをブラームスの作品の研究や第7・第8交響曲の作曲によって培われた西欧式の古典的交響曲のスタイルに昇華させている。

そんな自由なスタイルを持つ曲であるところもとても好き。
ちなみに同ページで

日本初演1920年12月29日、東京の帝国劇場において山田耕筰指揮日本楽劇協会によって行われた。

というのを見て更にびっくり。
ちなみに山田耕筰氏はわたしが出た高校の校歌の作曲者でもあり(作詩はなんと国語の辞書の金田一京助氏、普通の都立高校なのですが、なかなかびっくりでしょ!?、笑。しかも最初から4部合唱曲になっているのですよん。)帝劇と言えば言わずもがな…いろいろなことが個人的に超おもしろいと思ったわけなのでした(笑)
話を元に戻すと…この「新世界より」の2楽章は「家路」とか「遠き山に日は落ちて」とか、いろいろな愛唱歌にもなっていますが、ホルンの旋律の美しかったことと言ったら…なんだか郷愁を誘われて、わたしが小中学校時代を過ごした山口県の片田舎がとっても恋しくなったりしました。遠き山に日は落ちて…♪埼玉県のわたしが住んでいる東側には山がまったくないので、よほど天気がよくない限り(天気が良ければ富士山が時々見えます)お日さまは家々やビルの向こう側に沈んでいくのがさびしいなぁ…と思ったりしました。
第3楽章、第4楽章と行くにつれ、なんだか曲の残り時間が少なくなっていくことがさびしくて、クラシック音楽でこんな気持ちを味わったのは久しぶりで、また時々こういう機会を持ちたいと思いました。
アンコールでは、「ニューイヤーコンサート」と言えば思い出す、ウイーンフィルの「ラデツキー」なんて思ったりもするけどまさかね…なんて心の中で思っていたら、まさかのまさかで、とってもうれしかったです。
この曲の生の音楽を自分も手拍子に参加しながら聴くのは初めてで、なんとも心躍る瞬間でした。
指揮者の秋山氏も半分客席を向きながらあっちへこっちへ向けて指揮してくださって、クレッシェンドディミニュエンドにも参加させてもらって、一緒に音楽した気分!!
とてもとても楽しかったです。
PS:中村紘子さんのエピソードで、ものすごく思い出深いものをひとつ。
これはわたしが多分大学生の頃かな!?
今は亡きわたしの恩師のピアノの先生が
『教育テレビの中村紘子さんのピアノレッスン』を見てごらんなさい。あんな風にきらびやかに弾くスターなイメージの方だけど、ピアノの教え方は実に緻密でスタンダードなの。手の置き方とかテクニックについての指導は地に足がついてとっても感動したわ。演奏家をめざす人向けかもしれないけど、一般人に向けてのレッスンではあるはずがないと思いこんでいたけど、間違いだったわ。とってもいいレッスンだから、ぜひ見てごらんなさい」と言われたことを思い出しました。
見てみたら実際とってもいいレッスンで、当時学生だったわたしにも参考になるお話がたくさんありました。
今、それなりにたくさんの生徒に出会ってきた自分が、あの時のあの番組の再放送を見る機会に恵まれたら…どんな感想を持つのかしら?
今は亡き恩師のT先生と一緒に番組の感想を言い合いたいなぁなんて…そんなことを想ったりしています。