ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

分かり合いたいのに その2

この日記はその1からの続きです。

ひとつ前の日記を先に読んでくださいね。

この頃、めえちゃんのお口の暴力に心底辟易していたわたしは、なんとか打破すべく、藁にもすがるような気持ちで、昔はまっていた児童文学の名作を読み返しました。

わたしは実はこういう物語が大好きな子どもでした。

バーネット、オルコット、モンゴメリ

この方々の翻訳の作品をたくさん図書館で借りて読んでいました。

(だから日記で選ぶ言葉が時々とても独特で、若干翻訳もどきでヘンなのだと今さらながらに気づきました、笑)

 

 

この本はカルピス劇場でアニメにもなったのであらすじをご存じの方も多いことと思います。

 特にこれを選んで読み返したのは、主人公の「メアリ」とその従弟「コリン」が、児童文学に珍しく、とてもひねくれものという設定だったからです。

筋金入りの「ひねくれもの」のめえちゃんと丁々発止の日々により。

徐々に「実はわたし、子どもが苦手なんじゃないの?」疑惑が出てきて。

自分が信用できなくなってしまってました。

そこでわたしは、ひねくれた子どもの話を読んでどう思うのだろうと思ったわけです。

お話の彼らでさえ好きになれなければ、目の前のめえちゃんと仲良くなれるはずもない…

そんな風に半ば思いつめてました(笑)

この物語のメアリやコリンは、特に前半、大人たちにそれはそれは憎たらしい口をききます。

あの子たちを今のわたしが読んだら??

腹立つ~とか思うんだろうか?と思い、再読してみたところ…

いえいえいえ。

当たり前ですが、ひねくれているからと言って、ちっとも主人公ふたりが許せん!!とは思いませんでした(よかったよ~、笑)

そして。

彼女たちがやがて心を開いていく大人たちに共通しているものはなんだろう?と考えるに…

相手の大人が口当たりのいい人かどうかは関係なく。

意外と子どもはその人の本質をまっすぐに見ているということ。

本当の意味で信頼するに値する大人かどうかを子どもはかなり真剣によんでいて。

どんなに彼らがひねくれたことを言っていても、分け隔てなく自然に接してくれる人だったり。

とにかくウソがない人が子どもは好きなんだなぁと思ったの。

対子どもでは、いくら好かれたいからと言って、何もこちらが媚びる必要はなくて。

言うことをきかせようと上から構えるのもかえって逆効果。

押さえつけるのは論外なのは重々承知してましたが…

何よりも一貫した態度と、誠実が肝なのだと学習したりもしました(笑)

余談ですが、この物語はコレラの大流行期のインドから物語が始まって。

なんとなく今と共通する社会情勢の不安定さとか、人の心の荒廃がみてとれたり。

いろいろと今と重ね合わせて読みました。

大人の混乱の犠牲になったふたりの子どもは、身体や心がささくれだってやせっぽっちでひねくれていて。

結果としてそんな彼らを心身ともに健康に戻したのは、広い広い庭でひたすらに駆け回ったりすること。

風に吹かれ、いい空気を吸い、日常的に土いじりをして。

秘密の花園の庭作りに夢中になったり、植物や小鳥の声を聞きながら遊んだり。

季節の変化や芽吹きや花の開花に驚いたり喜んだり、常に自然に心を寄せること。

そんなことを毎日しながら、だんだんに自然の前にいかに人がちっぽけかを知り。

人としての心を取り戻し、健やかな心身を得ることができるようになっていったのです。

これは、コロナ禍の中の現代人のヒントにもなるなあと思ったの。

人の中でいつも疲れていて。

気分転換の手段ですら、パソコンだったり、ゲームだったり手芸だったり…

また肩が凝ったり、目を疲れさせたりもしていて。

自然に触れることを忘れがち。

そんな現代を生きるわたしたちにも、参考になる原点回帰の健康法ではないかしら?と思ったりもしました。

そしてそして。

何より彼らが助けられたのは、子だくさんの村の聡明なおかあさんから受けた、まっすぐな愛情と知恵でした。

やっぱり愛情深い家族以外の、客観的に観れる第三者の存在っていうのも人が育つうえでとても大切な気がして。

このタイミングでこの話を再度読み終えて、どんなに不器用でもいいから、彼女とはまっすぐに向き合おう、向き合うべきと、勇気をもらったような気がします。

あの心優しい村のおかみさんのようにはとてもなれないにしても…です。

さて。

そんな風に本でも勇気をもらっては立て直し。

少しの間、がんばれそうな気がしていたのもつかの間。

最初は言葉の暴力だったのが、2月を過ぎて、だんだんにピアノを弾いているわたしを背中方面から力いっぱい蹴ったり。

ピアノを弾く手を上から思いきりげんこつで叩き潰したり…

めえちゃんの行動はだんだんエスカレートしてゆきました。

これは本気で怖いかも?と思いはじめ。

叩かれたり、蹴られたり。
ある時は「てめえがそばに来ると臭えんだよ!」と言われたり(笑)
(ほんとに臭いんだったらどうしよう!?と言ったら家族に笑われました、笑)

わたしがめえちゃんと同世代の子どもだったなら、イジメに合ってるかも?と幼稚園を休みたくなるくらいの苦しさでしたが(笑)

なんせ相手は「幼稚園児」なのです。

大人の癖に、たかが子どもの言うことややることが本気で怖いなんて馬鹿じゃない!?という気持ちと。

何十年もレッスンをしてきて、小さい子ども一人もちゃんと見てあげられないのか?というはがゆさと絶望と。

眠れない日々は続き、どんどん自分も病んでいくような怖さがありました。

なんだか水の中で四六時中溺れているみたい。

その頃Twitterで愚痴ったら、福祉関係の仕事をしている娘くらいの年の、うら若き友人がすぐにメールをくれて。

「何事ですか?」「何かありましたね?」と声を掛け、相談に乗ってくれて、本当にありがたかったです。

「小さい子だって、痛いことをされそうになったら、すぐに逃げていいんですよ」

「痛いって言ったっていいんです。」

そっか、そうなのか…そんなことすら思いつかないくらい追いつめられていました。

そして。

それからほどなく、その友人が、かわいいチャームと共にエールとして送ってくれたスティッカーがこれで。

レッスンでいつも使っている手帳に挟んで、譜面台の横に常に置いておいて。

お守りのようになってます。

めえちゃんも(他の生徒たちも)このステッカーが大好きで。

時々このステッカーを撫でたりかわいいね~とつぶやいたり。

みんなを天使のような笑顔にして、和ませてくれてます。

友よ!!ほんと、感謝です!!!ありがとね♡♡

 
 
 
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さて。すごいすごいパワーのめえちゃんですが…

毎回そうなら、とっくに音を上げていたと思うのですが。

時々ご機嫌がいい日は、なんということもなく、和気あいあいとレッスンができる日もあるし、「大好き」と書いた折り紙を持ってきたりすることもあるのです。

ところが、少し前進した気になってホッとしていると、次の週はまた「てめえが悪いんだろ!」と始まったり。

まったくその日にならないとご機嫌もテンションもちっとも読めなくて、本当に苦労しました。

そんな風だから、せっかくレッスンに来ても、さらにピアノに掛ける時間が取れなくなり。

そうなるとは、いつまで経っても上手に弾ける日は来なくて。

弾けないからさらに弾きたくない。

一度練習を重ね、弾けた!ということを知ってしまっているからこそ、弾けなくなった自分が許せなくて闘っているのもわかっているし。

プライドが高いから、カッコワルイところを見せたくないのも知っているのです。

でも、どうしてあげることもできない。

無力だ。本当に無力だ。

無力過ぎて悲しい…

そんなこんなで、ある時はなだめたりすかしたり。

次の時は、あえておもしろいことを言ってみたり。

悪い言葉を猛然と叱ったり。
ある時は一緒に乗っかって、悪い言葉を言ってみたり(笑)
まあさまざま繰り返しながら、なんとかレッスンを終えると夜にはぐったり。

昼も夜もそのことで頭がいっぱいになって、夜も眠れず、毎日毎晩、途方に暮れていました。

と、ちょっと辛い記録になってしまいましたが。

この辺が一番の峠だった気がします。

次でほぼほぼ解決編までいけると思います。