ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 リオ会議のことほか雑感

たまたまオットがこんなの知ってる?と教えてくれました。
ちょっと古い話題ですが、これは今年の6月20日から22日までブラジルのリオデジャネイロで開かれたリオ会議の中で行われた、ウルグアイ大統領のスピーチの話です。
リオ会議というのは環境の未来について、全世界で話し合う会議なのだそうで、もちろん日本も参加していて、メディアにもこの会議そのもののことは取り上げられたそうですが、まったく記憶にありません(ダメじゃん、笑)
中でもこのウルグアイ大統領のスピーチは誰の心にもとても響く素晴らしいもので、今を生きる全世界の人々にとって最も大切な話をしたと思われるのに、なぜか日本のメディアではこの演説のことはまったく話題にもならなかったのだそうです。なぜでしょう!?
その後しばらくして、このウルグアイの大統領のスピーチを日本語訳してネットに上げてくださった方がいて、リンク先の記事のように、フェイスブックツイッターでは結構話題になったそうですが、わたしの耳にはたまたま届いてはきませんでした。
というわけで、タイミング的にはかなり外しちゃってますが、わたしがこの記事に興味を持ったのが今日ということで、あらためて全文を日本語訳してくださった方の文章にリンクを貼らせていただこうと思います。
こちらからご覧ください。
さて、このウルグアイのエル・ペペという愛称で呼ばれているホセ・ムヒカ大統領は、世界で最も「貧乏」な大統領と言われているのだそうです。
最初の方のリンク先のコメントを読んでいったら

ムヒカ大統領のすごさというのは、言葉だけでなく行動にも表しているからだと思います。
「世界一貧乏な大統領」と言われているのは資産が少ないからではなく、個人資産を87%寄付して家とトラクターだけで暮らしているからです。

と書いてらっしゃる方がいて、わたしのイメージしている「政治家」という人たちとはあまりも違うので驚きました。
なんと志が高い方なのでしょう。
日本では選挙も近いですが、いまだ投票にあたっての決め手がなく、この人ならと心から思える人も政党もなく・・・
棄権ではあまりにも無責任だと思うけれども、だからと言ってテキトーに投票するのはもっと無責任。
かと言って候補者同士の討論を聞いていると、どんどんいたたまれない気持ちになってきます。
人任せにするのも違うと思うけど、自分にもできることが果たしてあるのかどうか?
いろいろと悩み深き今日この頃。
政治や人々の当然あるべき姿を教えてもらったような気がしました。
最後に大統領の素晴らしいスピーチの中で、特に印象に残ったところを引用させていただきたいと思います。

昔の賢明な方々、エピクロスセネカアイマラ民族までこんなことを言っています

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

まさしくなぁ。この恐ろしい大量消費の世の中に決別したいと思いつつ、さまざまな事情の連鎖から、レールに乗ってしまっている、降りられなくなってしまっている現在のわたしたち。
ちょっと待って、いつからこんなことになったんでしたっけ?
な〜んて思っていて、ふと今とっても読みたいと思っている本のことを思い出しました。
この間探したら見つからなくて、アマゾンさんに頼もうかなあと思っているところでした。
いいきっかけができたので思わずポチってみました。
その本はこれです。

大江戸リサイクル事情 (講談社文庫)

大江戸リサイクル事情 (講談社文庫)

江戸の昔の人々の暮らしとリサイクルについて書かれた本です。
たとえばリサイクル、たとえば人々の道徳観。たとえば人情。たとえば生活の元となる規範。たとえば日本人としてのアイデンティティー。
ここでも思う「戻ることが未来」「ラカチノトヒ ウソドモリト」。
ここのところわりと余裕があって、あっちこっち、興味の赴くままさまよっている今日この頃のわたしですが、今年のキーワードはやっぱりこれ。
どこから攻めてもやっぱりここに戻ってきます。
もう一つのわたし的キーワードは
人種が民族がどうであれ、先進国であれそうでない国であれ、資本主義社会であれ社会主義社会であれ、宗教がどうであれ、男であれ女であれ・・・
「傷のいろはひとつ」。
ひとつひとつについてどっちが傷ついただの、どっちが正しいだの、どっちがひどいだの言うことにどれほどの価値があるんだろう。
やっぱりここへ戻ってきました。
今年はどうやらそういうことを考える年であったらしいです。