ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 突然の訃報

昨日はとってもおだやかな一日でした…途中までは…
まずは朝一番でやっと待ち焦がれていた「Kアルバム」が届き、玄関からそのままCDコンポに直行、全曲リピートにして気分良く一日がスタート。
何周したかわからないくらい、ずっとエンドレスで聴きました(笑)
一曲一曲にドラマがあるので、飽きるということがありません。
良質の短編小説を読んでいるみたいなステキなアルバムです。
家事を片づけてから、何回もオーブンを温めてクッキーを焼いたり、カミスンを編集してブルーレイに移したり、関西の仲良しさんのご好意で「ぶっちゃけナハーレ」も見ることができて、とってもしあわせな気持ちになったり(ありがとうございます!)。
そんな昼間の後で、いつものように仕事が始まって、7時20分、3人目の生徒を返したあとでものすごいスピードで夕飯の仕上げを。
きのうはたまたまオットの帰りも早く、いつもは絶対にこの時間には帰っていないオトートも家にいて、アネもいて…ほんとうに珍しく夕飯を4人揃ったので鮭を焼いて〜砂肝をショウガとニンニクと野菜で炒めて〜
そして全員でごはんを食べ始めた7時40分過ぎ…電話が鳴りました。
お義兄さんからでした。義母が倒れたというのです。
腹部動脈瘤が破裂したというのです。
「今転送する病院を探し中。また電話するから…」
まだその時は状況が全然飲み込めていなくて、とりあえずみんなで食事を済ませ、お風呂に入る人、レポートの続きをする人、そしてわたしは8時ジャストから最後のピアノレッスン。
ちょうど玄関チャイムと同時に電話が来たので電話にはオットが出ました。
やっぱり義兄から。
「もう病院転送はできないそうだ。朝まで多分持たないだろう。」
「そんな話だったよ。」
オットがレッスン室に伝えに来ました。
このあと、上の空にならないように必死になりながら、でも多分いつもとは明らかに違うテンションで…申し訳ないと思いつついつもの半分の時間だけレッスンをして、残りの時間は翌週に必ず埋め合わせさせてもらうから…と生徒と約束して、そのまんま家族4人で車に乗って病院に向かいました。
オットの実家のある町は車で一時間弱のところ…茨城県にあります。
車で向かっている途中、8時49分に母が力尽きたとの悲しい報を受け、急きょ行き先を変更して母の家へ。
そんなこんなで直前まで想像だにしなかった事態になり、義母の家に集い、無言で義母の枕元に座っているわたしたちがなんだかとってもヘン。まるで夢の中のような頼りない気持ちでした。
ほんとに母は亡くなってしまったのかしら。
お通夜、告別式は明日、あさってなので、今日はオットだけが仕事を休んで義兄のところに行って葬儀の打ち合わせ。
オトートもいつも通り学校に行ったし、わたしも家の片づけとか、カーブスにも行き、夕方からは普通に生徒を迎え…いつも通りに生活していたのですが、気がつけばボーっとしてしまって結局何をしたんだかよくわからないような一日でした。
ああ、義母はもうこの世からいなくなってしまいました。
オットはわりと遅い子で、しかもわたしはオットより8つも年下です。
オットよりも3歳年上の義兄は結構早くに結婚してすでに子どもも3人もいたので、後からお嫁に行ったわたしは最初からハードルがかなり低く設定されていて、義父にも義母にもとってもかわいがってもらった気がします。
義母は若い頃は気むずかしい義父の妻としてたくさん苦労したのだそうです。
小柄でかわいらしくて、ユーモアたっぷりで、でも誰よりも芯が強くて、息子たちも本気で怒られると縮みあがるくらい強くて…そんな義母は息子たちの自慢のおかあさん。
子どもたちも独立して家庭を持ち、小さい身体でずっと介護をしてきたお姑さんを看取り、義父も会社を引退してやっとこれからはどこへでも行けるという時には、今度は自分の足腰が悪くなってしまいました。
スポーツ万能で、ひと一倍足腰の強さには自信があった母だったのに。
晩年はあまり外へも行けず、家の中でさえやっと歩いている感じでとても気の毒でした。
それでもプロ野球が大好きで、サッカー観戦も大好きで、お相撲を見て、テレビ朝日の時代劇を見て…お茶を飲むのが大好きで…いつ遊びに行ってもしっかりと旬のスポーツ選手を語り、テレビで見た健康法について、食について、いろいろなことを知っていたり、大阪の話、実家のお酒屋さんの茶がゆの話、たくさんの楽しい思い出話も聞かせてもらいました。
二男の嫁だし、義兄や義姉が義母のほど近くに住んでいることもあって、いつも甘えてしまってました。
それでも時々押入れの衣替えのお手伝いをしたり、動けない母に代わって子どものお手伝いみたいな小さな用事を手伝ってあげるだけなのに、それはそれは喜んでくれました。
アネが小さい頃、お行儀悪く足を崩してご飯を食べているので叱ったら、「叱ったらあかん!足の形がワルなるから足をのばして食べたってええんやで。かわいそうに、叱ったりなさんな。」
と庇ってくれるような母でした。
オトートがわたしの遺伝子の変異による遺伝病だとわかった後も、何も言わず変わらず、彼はもちろん、わたしのこともとってもかわいがってくれました。
もっと頻繁に顔を見に行けばよかったです。
忙しさにかまけて(というより、ほんとに忙しかったのかしら?気のせいのような気もしてきましたよ。)本当に大事なことを忘れていたような気がします。
それにしても倒れてから半日も経たない間に亡くなってしまったので、まだ全然実感がありません。
悲しいのかどうかすらよくわからずぼんやりしています。
長い長い夢を見ているようでもあります。
義兄から第一報が来た時、その日の生徒のレッスンをすぐにキャンセルすればよかったです。
のみならず、わたしはどうしてすぐに生徒を帰すことができないで、30分レッスンしてしまったのかしら。
その時はすぐにどうこうとは全然思っていなかったことが悔やまれてなりません。
もしあの30分がなかったら、オットは義母の死に目に会えたんじゃないかと…夕べからそのことがぐるぐるしたりしています。
亡くなるその日の夕方まで自宅でいつも通りに迎えられたことがせめてものよかったこと。
しかも昼ごろ腹痛に襲われたそうですが、そこまで深刻ではなく、本当に具合が悪くなってから亡くなるまで数時間。
長い長い闘病の果て…ではなかったことが救いです。
今頃義父に会えているかしら。近所に住んでいてひと足先に旅だった、とっても仲良しだったお姉さんにも会えているかしら。
たくさんいた大阪時代のお友達にも会えたかな。
ああ85年の人生、本当に本当にお疲れさまでした。
そんなこんなで、書きたいことはたくさんあるのですが、ちょっと今夜は言葉が出てきません。
KinKiさんのCDの話、露出した番組のこと、その前にライブの続き…いろいろ書きたいことはありますが、少しのんびりペースになってしまいそうな気配です。
とかいって、すぐにまた書き始めたりするかもしれませんが、そのあたりの気持ちの推移がまったく読めないので、とりあえずご報告だけさせていただきました。