ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

りんご農家 木村秋則さんの本 その1 

「すべては宇宙の采配」「りんごが教えてくれたこと」
 これら2冊の本とは今年一番の邂逅という感じがしたのでどうしても今年中に感想を書いておきたかったのです。
 実は本屋さんに行くたびに気になる表紙があって、それはあるおじさんのとびっきりの笑顔でした。いつからだったか、気になって仕方なかったのですが、本の帯を見た限りでは農業の話?品種改良の話なのかしら?専門的な話みたいだし、どうも興味があるジャンルの話ではなさそうな気がして尻込みしてました。
 ところが、11月になってふと本屋さんをのぞいたら、同じおじさん表紙の全然違う本がまた出ていて、以前に見たのよりも更にその笑顔が輝いていて、タイトルもろくろく見ないでほとんどジャケ買い(これもそう言っていいのかしらん!? 笑)のようにして買ってしまいました。
あとできいたところによると、2006年のNHKの「仕事の流儀」という番組に出られたことがあって、この方はすでに結構な有名人だったのだそうです。
 さて、これからそれらの本についての感想を書きますが、最初の方を読んでそういう本の話か〜!と早合点して読み始めたのに途中で閉じたりしないでくださいね(笑)
 たぶん前半の感想と後半の感想は全然違ったカラーになるはずで、わたし的にはその読んだ順番も含めてとっても面白かったので、ありのまま、順番通りに書いていきますが、本来なら順番は逆にした方が絶対に万人に受け入れやすい内容となっているのです(笑)
 と、なんだか散々警告文見たいなことを書きましたが(笑)そんな大袈裟なお話ではないのでご安心を。
 さて、歯の欠けたおじさんの満面の笑みに誘われてジャケ買いしたその本「すべては宇宙の采配」は、本当にジャケ買いだったので、実は中身をまったくチェックせずに買いました。その笑顔が↓です。

すべては宇宙の采配

すべては宇宙の采配

 家に帰ってちょろっと読んでみてびっくり。写真を撮ったら曼荼羅のようなものが写っていた話やら、龍を2回も見たことがあるという話やら、UFOを見たりUFOにつれて行かれて宇宙人に会ったり…さまざまな不思議体験の宝庫のような人でした。
 「あれっ!?」と表紙をひっくり返してみて、初めて「すべては宇宙の采配」というタイトルの意味することに気がつきました。てっきり比喩的表現だと思いこんでましたが、あながちそういではない!?(笑)スピリチュアルな本だった?
 その手の本も場合によっては読むし、全面的に信じているわけでも完全否定なわけでもないくらいの、テキトーなスタンスのわたしですが(笑)それでもこの本にぐいぐい引き込まれていったのは、読むにつれスピリチュアルなことが言いたいだけの本というわけでもないことがわかったからです。
 核になる部分はあくまでもどうやったらりんごを無農薬で肥料を使わずに栽培するかという、長い長い試行錯誤のとても興味深い物語でした。
 木村さんはある日農家の家の婿養子になってりんご農家を任されるのですが、奥さんが農薬にかぶれて散布したあと毎回長いこと大変なことになるのを見て、だんだんに無農薬でしかも肥料を使わずにりんごを育てたいと思い始めます。
 それまで常識とされていたことをやめて違うことをしようとしていているのですから、まわり中の反感を買っていきます。しかも全くうまくいかないものですから、だんだんに村八分のようになってしまいます。そんな中養父だけは理解を示してくれて、どんなに畑がひどい状況に陥っても黙って応援してくれます。そのうち、実家の両親にさえも居留守を使われるほどひどい状況になってしまいます。
 そんな日々の生活にも困る事態に陥りつつ、とにかくできる努力はすべてやって、図書館で書籍を片っ端から読んで勉強し、いろいろな試行錯誤を繰り返しながら新しいりんご栽培の道を探っていきます。
 この方がただ単にスピリチュアルな出会いのみによって成功をおさめた人であるならば、ここまで惹きつけられなかったと思うのですが、そうならなかったのは、木村さんという人が農業の世界で常識と言われてきたことをひとつひとつ地道に検証、実証しながら前に進んでいく努力努力の人だということがよくわかったからだと思います。
 具体的な農業の話は次の本の方で触れるとして、彼が絶望のどん底に陥った際に、首を吊ろうと思い行った山の中でぎりぎりの時に大きなヒントを得るあたりが一番印象に残りました。
 たまたま見つけた山の木が、肥料もやっていなければ農薬も撒いていないのに、それはそれはすこやかに、多くの恵みとともにそこにあることに気がついたのです。
 そして人の手が入っていない「山」をお手本にして、その状態を自分の畑の中で作ろうと努力をし始めます。
 それまでの彼の畑は雑草を一生懸命刈り込み、なんとか農薬を使わずに虫を撲滅することに必死になっていたのですが、それを大きく変えることになります。
 よい土の状態を山をお手本にして考えると、無数のバクテリアがいる肥えた土であること。
 虫をすべて殺してしまうのではなくて、虫たちの間であたりまえに食物連鎖が乱れず行われるような環境をつくること。
 りんごの気持ちになってりんごが喜ぶことを考える…などというさまざまなおもしろい発想が出てきます。
 実際には雑草を伸び放題にすることで、りんごの木の根元の温度を一定にできたり、様々な虫が畑に戻ってきて、気がつけば害虫を食べてくれるようになったり、さまざまなよい循環が起こってきます。
 りんごの木のことを考える時に、人は土から上のことばかり考えて見えない部分のことはすっかり忘れているが、実は見えない部分にもヒントがあり、とても大切なことがあるというお話もありました。
 一方で何もかも自然のままにするわけでもなくて、たとえば伸び放題にした雑草をあえて寒くなる頃にいったん刈って、りんごの木に「寒くなったこと」を感じさせることによってはじめて、おいしいりんごを実らせることができる…という話など、さまざまな工夫もされていて、目からうろこのような話がたくさんありました。
 肥料をたくさん与えられ、農薬をたくさん撒かれた畑のたんぽぽと、木村さんの畑のたんぽぽは全然違うのだそうです。
 前者はメタボリックで、農薬をたくさん撒かれたにも関わらずなぜか虫だらけ。一方で後者はすくすくと育った伸びやかなたんぽぽが咲くのだそうです。
 そんな研究熱心でご自分が試してみたこと、自分で確かめたことだけを頼りに試行錯誤を繰り返してきた木村さんだからこそ、不思議な体験もあたりまえのように受け入れていらっしゃる側面もあるわけで、頭のやわらかい方なのだろうなあと思いました。
そういえば、仕事の流儀の司会もなさっている脳学者の茂木健一郎氏が帯に文章を寄せてらして

彼は自分が出会ったことを真正面から受け入れる真摯さがあるからこそ『奇跡のりんご』をつくることができたのだ。

と書いてありました。なるほどと思いました。
その2に続く