ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 「理解したい」のパワー。「親」のパワー。

 日記が滞ってしまったのは、うまくまとめたいのにまとまらない文章と格闘していたからです。その記事をこれから下にアップします(笑)
 結局上手には書けなかったのですが、ちょっとでも伝わるといいなあと思います。 
 さて、先週の金曜日の朝日新聞の朝刊に、高機能自閉症をを持つ子どものおかあさんの話が載っていました。
 先週はずっと「発達障害がある子どもの子育て」について特集されていて、毎日じっくり読んでいたのですが、発達障害の子どもの両親は、それじゃなくても大変な子育て以外のところでも、本当にいろいろと苦労があるのだなということを実感して「がんばれ〜」「負けるな〜」と応援しながら読んでいました。
 たとえば最大限、できることをきちんとやって育てていても周囲から「しつけが悪いせいで、この子は変だ!」と誤解されてしまったり、普通の学校や幼稚園に受け入れてもらえなかったり、単純に受け手の理解が足りないせいで、不当に扱われ、親子でつらい思いをする場合もあります。
 そんな日々の中で、孤軍奮闘しているご両親が「わが子のことをもっとちゃんと理解し、なんとか自分の子どもと心を通わせたい。」とか「もっと本人が生きやすくなるように最小限の生きるすべを身につけさせたい。」とか「学校や幼稚園、本人が関わる人たちに、誤解されがちな本人の特性を理解してもらい、受け入れてもらいたい。」という気持ちになるのは当然で、その思いは切実です。
 さて、記事のおかあさんは、そのような思いをネガティブに抱えたままにはしませんでした。
 彼女は子育てのかたわら、自分の子どもを理解したい、他の人にも理解してもらいたいと思う気持ちや、専門的な支援の方法を学びたいという気持ちから、自ら大学に入り直して勉強したのだそうです。
 更に卒業後も非常勤講師として働きながら、長男の子育てにかかわる膨大な資料から論文を提出し、

もっとも密接なかかわり手として得た膨大で詳細な資料を盛り込んだ、国内外で例がないたぐいまれな研究

との評価をもらい、博士号を取得したのだそうです。素晴らしいです。
 更に、今後は親や教員にアドバイスできる専門家を育てるための講座を受け持つお仕事をするのだそうですが、「ご自分のお子さんを理解したい」という一念から始まった研究が、徹底的にお子さんと向き合ったデータを解析して世の中に出してくださったことが、どれだけ同じような病気の子を持つ両親たちや、受け入れ側の学校関係者、理解したいと願う発達障害を持つ子の周囲の人達に役立つかを考えると、頭が下がる思いです。
 子どもに障害があるなしに関わらず、親となったからには子どものことを理解したいとの思いは誰しも持っていると思いますが、だからといって、日々の膨大なデータを形にすることなんて、なかなかできることではありません。そもそも子育ては年中無休24時間営業で、親に交替ははないのですから(笑)
 更にもうひとつ。
 かなり前に読んだ本で、わたしにとってバイブルとも思える本のひとつに、正村公宏氏著の「ダウン症の子を持って」という一冊があります。

ダウン症の子をもって (新潮文庫)

ダウン症の子をもって (新潮文庫)

 この本を書かれた方は、ダウン症の子どもを持つおとうさんで、大学の教授をされている方です。
 この方のご専門は経済学ですが、学者さんという仕事柄、サラリーマンと比べると、長い時間息子さんと密に接する時間があって、息子さんとの日常の記録や保育園、学校とのやりとりをこと細かに淡々と偽りなく書いていらっしゃいます。
 おかあさん目線の本はいくつか読んだことがありますが、この本のように男の人目線の文章はまた違う客観性もあって、とても興味深く読みました。
 大切なわが子について、愛情たっぷりでありながら、感情を差し挟みすぎず、ありのままに淡々と書いていらっしゃる文章に、とても共感し、ダウン症のことをもっと理解したいという気持ちでいっぱいになりました。
 今の世の中、ハンディを持つ人だけじゃなくて、ちょっとでもアベレージからはずれた人を見ると無意味に攻撃したり、はじき出したり、とっても怖いなあと思う場面がたくさんあります。
 今現在アベレージの中にちゃんと納まっている人たちだって、「いつか何かをきっかけに自分がはみだしてしまったらどういう事態が待っているんだろう!?」とわけのわからない恐怖を感じたり、心のバランスを崩して一気に人々の中に入れなくなったりする人もいます。
 何を正常とし、何を異常と思い、どこを基準にして考えればいいのか、とてもわかりにくい世の中ですが、すべての人たちがいろいろな意味で「自分と違う人のことを理解しようと努める」という視点からすれば、これらの方々の研究や日常は、誰が読んでも参考になるし勉強になると思います。
 そういう感情論は別としても、当事者のこれだけこと細かな観察、研究が後進の役に立たないはずがありません。
 そもそも何にしても「知らない」ということは「怖いこと」で、怖いからこそ先回りして攻撃したり、頭ごなしに「無理」と決めつけて、逃げてしまうのだと思います。
 こんな素晴らしい「知るきっかけ」をくださった方々の研究や著作が、ひとりでも多くの人たちの目に触れるといいなあと思います。
 実はうちにも難しい持病を持った子がいて、ふとした瞬間にそのことが知れると、たいがい実際よりも不幸だと思われたり、明るく話していても、本当は暗〜いんでしょう!?みたいな先入観を持たれたりします。もちろん更に知ると、なんだそんなことはないじゃないと安心されたりもするのですが(笑)
 でも…まわりを見まわしてみると、むずかしいものをいろいろ抱えている家族は、たいがいみんな明るくて前向き、おしゃべりをしていると、ポジティブなパワーがみなぎっています。
 前述の方々も然り。新聞記事を読んでいるだけでパワーを感じ、正村氏の文章もまた、前向きなパワーをもらえる文章だなあと思います。
 「ネガティブに一度捉われ始めたら、それこそ大変だ!」という気持ちがあるからなのかもしれませんが、何か大変なことをしょってしまうと、純粋に今を楽しく生きることに貪欲になれるのかもしれません。
 わたしもご多聞に洩れず超能天気なのですが、能天気ばかりでもね〜(笑)なんだかとってもエネルギーの無駄使いをしているような気もちになってきました。
 あり余ったこの「アホパワー」をもうちょっと社会的に有効利用しないとね。
PS:とこの記事にかかりきりになっていたので、まだコメントに返信できておりません。
 楽しいコメントをいっぱいありがとうございます。これからレッスンなので、お仕事後にまたレスさせてくださいね。
 更にメールをくださった方。とってもうれしかったです。お返事、ちょっとお待ちくださいね。