ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 ビートルズで思い出したこと。

 ちょっと前にどこかで、ビートルズ来日から40年という記事を読んだのですが、この記事を読んで、わたしは学生時代に音大の助教授の先生に聞いた話を思い出しました。うろ覚えなんで、怪しいところもあるかもしれませんが、ほぼこんな話だったと思います。恩師の先生たちが音大生として、様々な刺激を受けつつ学生生活を送っておられた頃の出来事です。
 突然彗星のごとく人気を博したビートルズは、最初から誰にでも認められているアーチストというわけではなかったそうです。特に音楽の専門家の立場からすると、彼らが作る曲の構成には、そんなのあり?というものがたくさん含まれていたそうです。
 特に和声楽の立場からすると、ビートルズのコード進行は禁則だらけだったそうです。わかりやすく言うと、「この和音の次にこの和音を使ってはいけない」と常識的に言われ、教科書にも書いてあることを彼らが堂々とやり、世に出したということです。
 ところが、やってはいけないことをやっているはずの音楽なのに、ちっとも変ではなく、それどころかとても惹かれるものがある。最初は頭が柔らかい学生たちが次々にビートルズの音楽にはまって行きます。わたしの恩師ももちろん大好きになったそうです。そして気がつけば世間的にも爆発的なヒットになって行く。
 そんな中で誰よりも衝撃を受けた人たちは、実は当時の音大の先生方だったらしいです。今まで自信を持って「和声とはこうあるべき」と教えていたことの中に誤りがあることを、自分の耳で、感性で気がついてしまったのです。「昨日まで正しいと思っていたことがくつがえされる」ということは、歴史の積み重ねの中でいくらでもあることなのでしょうけれど、音楽の世界においてのこの話は、本当に興味深かったです。
 わたしたちの先生はオンタイムでこの経験をしてから、音楽に対してもっと柔軟にならなくては、常識の枠に自分の心をはめてはならないと、ずっと心に言い聞かせているそうです。
 それにしても、パイオニアは、どの時代にもどの分野でも存在し、最初から受け入れられるわけではないわけで・・・でも、いつかは人々の心を動かしてやっぱり認められるべくして認められてゆく。その経緯は語るには一瞬ですが、本人たちや共にその時代を生きた人たちにとっては、途方もなく長い道のりなのかもしれません。
 人がなんと言おうが、その道のプロがなんと言おうが、最後に信じるべきものは、自分の感性。良いものは良いと思って口に出し、逆にどんなに名だたる人が作ったものであろうと、自分の感覚に沿わなければ、それはそれで自分の感覚を信じるしかないのではないかと思います。
 これからの世の中でも、いろいろな常識が型破りな天才のひらめきによって覆ってゆくのでしょう。そういう歴史の瞬間というものに、わたしも立ち会ってみたいものです。