ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 ドラマのようにはいかないけれど。 

 ギャルサーの「シンノスケ」の言葉、我輩は主婦であるのみどり(ではなくて、我輩、つまり漱石氏)の言葉に、なんだか共通点があるような気がしています。
 ふたりとも、あたりまえのことを、あたり前に堂々と自信を持って言います。「陳腐な言葉」「使い古しの言葉」を平気で並べてきます。お説教をするときも、どう思われるかなんて気にしないで直球を投げてきます。なのに、ドラマを見ているわたしの心に、なぜか意外なほど素直にまっすぐ入ってきます。「そりゃそうだ〜」なんてどうかすると、テレビに返事までしてしまいます(笑)どうしてなんでしょう?
 案外、今の時代に求められているのは、こういう言葉たちなのかも。
 とりあえず、わたしが一番に心を通わせたい相手はというと子供たちなので、子供を相手に考えて書いてみると・・・
 媚びるというわけではないけれど、なんとか子供たちを理解したいあまりに、こちらから彼らの心に寄らなくてはと気があせることが多いです。「頭ごなしに叱らないとか、否定から入らないとか。とりあえず受け入れよう。」とか、教育心理学の本にはそんなことばかりが並んでいます。でも考えてみたら、そんなよそよそしい言葉ばかりでは息苦しいではありませんか。たまには本音をドカンとぶつけてみた方がいいのかも(笑)本当に遠慮会釈なく子供たちを怒ったら、ぶち切れられる可能性も大ですが、それでもお互い遠巻きにしているよりはずっとマシかも。
 昨日校内見回りボランティアのために行った中学校で、生徒指導部の先生がおっしゃいました。
 「金八先生みたいな先生にあこがれて、先生になりました。生徒と毎日取っ組み合うくらいの勢いで、一日中怒鳴ったり追いかけたりしながら生徒たちと接しています。金八先生なら、45分も過ぎて最後のコマーシャルの直後になれば必ず仲直り、先生と生徒が抱き合って健闘を讃えあったりするでしょ。でも、実際の教師と生徒の関係に、そんな涙ぐましい場面はまずありません。散々怒鳴り説教し、ほっと一息ついたや否や、また怒鳴り、追いかける・・・終わらない夢のようでもあり、堂々巡りの毎日なんです。それでも、教師はやめられませんよ。そんな僕たちの言葉だって、たまにはどんぴしゃ伝わることがあるんです。生徒からもらえるものもいっぱいあるんです。ご父兄の皆さんも僕たちも、子供たちを大切に思っているという共通点があることだし、タッグを組んでがんばりましょうよ。」
 お腹がたっぷり出た中年の先生、剣道部を率いる彼のユーモアたっぷりにとつとつと語る言葉に、なんだかとっても心打たれてしまいました。自分のお仕事に誇りを持ち、まっすぐに向かい合っているその姿は、社会人として大そうカッコよく見えました。
 わたしもわたしなりのやり方で、わたしの土俵で・・・覚めてないで、もうちょっと情熱を燃やしてみようかしらん?!