ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 気がかりなことたち

 アネが心に風邪をひいたので、昨日とうとう専門のお医者さんを訪ねました。心のバランスが崩れると、体調にもいろいろと異変が起きたり、気持ちが沈んだり。ずいぶん追い込まれているみたいで、痛々しいことになっています。
 常に横にいる家族としては、こりゃあ見ていられないなあと心配でならないので、ついつい叱咤してみたり、なんとか普通に生活させようと躍起になったりするのですが、どうやらそういうことが、余計に本人を苦しめているらしいことに気がつきました。どうしてあげるのが彼女にとって一番いいのか、そんなことを堂々巡りしながら考えています。しばらく通院しながら、普段どおりの生活をして様子を見ることになったのですが、彼女があせらず徐々に元気を取り戻してくれるといいなあと思います。
 ここまで書いて自分で「う〜ん・・・違うな」と苦笑。この「あせらず」はわたしに言うべき言葉なんじゃないかしらん?あせらずにのんびり存在した方がいいのは、多分わたし。先週あたりから、仕事をしばらくやめてでも、彼女のためにできることをしようか?なんてことが何度も頭をよぎったのですが、多分それは逆効果かも?まるで見張っているみたいになって、かえって彼女を追い詰めそうではありませんか。それは一番やってはならないことのような気がします。
 なので、結論としては、普段どおりに仕事をし、普段どおりちゃらちゃらとミーハーして、おかあさんってバカみたいじゃない?と言われるくらいでいたほうが彼女も気が楽なんじゃないかと。わたしがあまり神経質にならないようにしようという方向で考えたりしています。ふぇるまーたを読んでくださる方の中にも、こういう経験をなさった方々がいらっしゃるでしょうか?なにかいいお知恵がありましたら、拝借したいです。
 とりあえず今のところ、遅刻したり早退したりしながらも、学校にはなんとか通っています。友達ともメールを交わし、部活の文芸部では普通に仲間たちといろいろやっているらしいです。でも教室に帰ると途端に緊張が強くなるらしく、駆け込み寺のような場所、図書館に時々逃げ込んでいるようです。
 土曜日のエンドリライブに一緒に行くことは、前々から決まっています。ここのところの様子ではどうかなあ?と思っていたのですが、どうやら楽しみにしてくれているようなので、一緒にはじけてきたいです。彼女にとっては、今回のライブは初参加ですが、「si:」の時もノリノリで楽しそうだったし、パワーを充てんできる場所になるといいなと思います。(もちろんわたしも・・・いろいろなことがいっぺんに来てしまい、少々つらいことになっていますが、エンドリライブで発散できているお陰で、なんとか元気に暮らせているのです。つよしさんホントにありがとうという気持ちですよん。)
 一方オトートはただ今修学旅行中。奈良京都を旅しています。アネの騒ぎでなんとなく後回しになっていますが、実は修学旅行にも心配の種がたくさん。小学校の修学旅行の時には、行ったことのないだらだらと続く坂道で筋肉を酷使しすぎてへばってしまい、ずいぶん苦労していたようだとこっそり担任の先生に聞きました。言ってくれればいいのに、帰ってからも愚痴ひとつ言わないので、そのことについては触れず仕舞いだったのですが、ずいぶん心が痛みました。3年たって体力はついたようですが、筋肉のことはまた別の話。今回も何かあったらどうしよう?と。気にし始めたらキリがありません。
 それじゃなくても子供たちには余計なハンディを与えてしまったので、普段は過保護にならないように、細心の注意を払っているつもりです。しょせん親というものは先に死んでしまうものだし、その後は泣いても笑っても自分たちで世間の荒波と戦わなくてはならないのですから。
 でも親心のつもりでも「おかあさんって冷たいね」と言われたり、「どうせ、わたしたち(ぼくたち)のことなんてどうでもいいんでしょ」という言葉になって投げられることもあります。そんなことはないんだけどな。愛情のない証拠を挙げるより、愛情の証を見せることの方がずっとむずかしい気がします。どうしても、子供たち素直な愛情表現ができないわたしです。それでも、心の中では、本当に心配しているのですよ。幸いにして「心配」にはまだ税金がかかっていないようなので(笑)ひっそりこっそり思う存分心配しています。
 いい子じゃなくたっていいし、すべてが順調にうまくいかなくてもいいから。ぶつかったり、転んだりしながらも、とにかく基本的に二人が健やかに穏やかに毎日を送ってくれたら、母は他にはなにもいらないよ・・・と本気で思うこのごろです。
 いつかずいぶん時がたって、すべての煩悩から解き放たれた暁には、天国から成長したふたりの子供たちの日常を、余裕を持ってにこにこと眺め見守れたらしあわせだなあ、なんて思ったりするのです。