ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 [ドラマ] 先生考

 先日オトートの三者面談がありました。ちょっと前にはクラス懇談もあって、副担任も含めてお菓子を前に歓談しました。その前には学年会があって、学年の先生方がすべて前に出て、ひとり10分くらい子供たちについてお話をされました。でも・・・なんだか先生方のお話がちっとも心に響かなかったのです。誰の話もです。
 なんでだろう?と思って考えるのに、先生たちが自分の学年の生徒の、クラスの生徒の話をしているのに、なんだかひとごとなのです。映画をみた感想のように淡々とお話をされます。一見客観的にお話をされているようで、なんだかちっとも愛情も感じられないし、「生徒にこんなことをされては困る」という話でも、たいして困っている風に聞こえないのです。どうでもいいの?という印象が強くなって、この人たちに預けていて大丈夫なんだろうか?と不安になるばかりだったのです。
 三者面談の担任にいたっては、三人で話しているのに、先生は一度もパソコンから目を離しませんでした。わたしたちの希望を聞いて進路用の資料をつくっているからとのことでしたが、これくらいの内容なら、わたしたちが帰ってからだって十分入力できたでしょう?!パソコンが苦手なら手書きで走り書きすれば、数秒もかからない内容をキーボードだけを見つめてトロトロずっと打っているのです。
 アネが中学の頃から、保護者会については何度も日記で触れ、そのたびに思いつくままに日記を書いていますが、こんなに印象が悪かったのは始めてです。いつも苦労しなくても、ステキなところが探せる学校でした。元々学校にそんなに不満がある方ではないし、我が子の抱える特別な事情もあって、他の保護者の方々よりはずっと先生方とお話しているし、感謝もしています。でもでも・・・・心がざわざわしています。
 わざと皮肉たっぷりに「こんなことをなさる子供たちもいらっしゃるのですよ」なんて尊敬語で皮肉る先生。(皮肉よね?っていうのは精一杯な好意的解釈ですが、まさか言葉を知らないってことじゃないよね?)「○○の方から」みたいなコンビニ言葉を自分は連発しているくせに生徒の国語力低下を訴える国語の先生。「お母さんたちだって、どうでもいいって思ってるんでしょ!」とぐるっと保護者を見回して挑発的に言い放つ学年主任。もちろん保護者側にも、非常識で考えられない人たちはたくさんいることでしょう。でも、とりあえずあの場に集まった保護者のほとんどは、会社やパートを休み、小さい子を預けたり、無理して連れてきたりしながら、万障繰り合わせて先生方の話を聞くために集まっているのです。その言葉を投げる相手を絶対に間違えています。真面目に話を聞く気持ちで来ている人に言う言葉ではありません。あんぐりです。わたしたちの常識が通じません。尊敬できません。
 ピアノの生徒二人がたまたまオトートと同じクラスです。勉強も部活もきちんとしているし、大人ともちゃんと挨拶や話ができるいい子たちなのですが、片っ方の子なんて、面談の教室に入った途端に「お子さんは最低ですね。」っといわれたそうです。「どこが最低なんですか?」と聞いても明確には答えてはくれなかったとのこと。そんなことがあるのでしょうか?もう憂っている場合ではありません。通り越して怒りです。わが子ならどうしても贔屓目に見るかもしれないし、謙虚でいたいと思います。でも生徒には客観的でいるつもりです。しかも担任なんてたかだか数ヶ月のつきあいでしょ。わたしは彼女たちと何年もつきあっているのです。トンチンカンな担任の言ったこと、お母様と本人たちを傷つけた言葉たちをずっと耳にしながら、激しい怒りを感じました。とってもくやしくて割り切れない思いです。
こういう現実を目の当たりにすると、「女王の教室」やら「ドラゴン桜」やらで痛烈に教師が皮肉られている心がわかる気がします。女王の教室にしても、ドラゴン桜にしても、どうしても生徒との強烈なやりとりなんかに気をとられる作りなので、ぼんやり霞がかかったように気がつきにくくなっていますが、実はよく見ると今の教師のあり方を痛烈にバカにしていたりします。事なかれ主義、恋人のことで頭がいっぱいの先生、常に同僚や校長の顔色ばかりを伺う先生。弱いものにだけ強気な先生。
 もちろん地道にがんばっていらっしゃる尊敬できる先生は、どこの学校にもたくさんいらっしゃることでしょう。我が家もステキな先生にも今までに何度も出会っています。でも今回のように先生方が揃いも揃って「ひとごとだね」と思うような無気力さが前面に出た保護者会は始めてでした。怒鳴るとか、冗談じゃないと大声で言うとか、保護者に向かってなんらかの感情を投げてもらった方が無関心や、皮肉たっぷりの言葉よりもずっとマシです。
中学の先生方の、あまりに子供に無関心そうな様子を見た後では、女王の教室の阿久津先生でさえ、ずっとマシに見えます。ちゃんとひとりひとりを把握しているし、家族のことまで知っています。よくも悪くも頭の中はいつも「児童」のことでいっぱい。ストーカーのようにこれでもかと追いかけてきます。少なくとも児童のことを他人事だとは思っていないから、そこだけ切り取れば(そこだけですよ、そこだけ)いい先生なのかもしれません。桜木先生にしても、常に子どもに注意を払い、一人ひとりがどんな状況だか把握しています。ちょっとした一言が的を射ています。これらのドラマが生まれる背景に、現実に対する深い絶望が見え隠れする・・・と思うのは考えすぎでしょうか?!
だからと言って特に阿久津先生が好きだとか、応援したいなんてちっとも思えません。それはムリ!生理的に苦手、ほっぺをつねって「い〜!」ってしたいのには変わりありません(笑)