ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

AGE DRUNKER

社会に時代のアルコール飲まされ過ぎ 吐きそう♪

言わずと知れたENDRECHERIのAGE DRUNKERの一節です。

ここからしばらく続く前書きのところは

わざわざここを引用して話すようなことじゃない恥ずかしい話ですが…

とりあえずしばらく我慢して聞いてください。

実は…

先週末、家飲みをしてまして。

最初はオットと「リコカツ」を見つつ、気持ちよく飲んでいたのです。

最初はね…

その後オットが早々に寝て。

その後、パソコンを開いたわたしは、たまたま理不尽なニュースが目に入ってしまい。

次から次へとネットサーフィンしつつ、怒りにまかせて追い飲み…

(おバカにもほどがある、呆笑)

その勢いでお風呂に入ったらさらに酔いが回り。

本気で気分が悪くなって、ほぼ1時間。

ひとりこっそり夜中のトイレでうずくまっていた時、不意にこの歌のこの部分を思い出しました。

不本意~(笑)(自殴)(泣)

わたしの場合「社会に飲まされた」のではなくて、勝手に自ら飲んだわけだし、もう十分にオトナ過ぎる年齢だしで、申し開きのしようもないわけですが(笑)

いつの間に、日本人の心はこんなに荒んでしまったのだろう?と、なんだかたまらない気持ちに襲われて、やりきれなかったのでした。

それにしてもわりとお酒は強い方だと自負しているので、自宅でしかも一人で飲んでいて、気持ち悪くてうずくまるほどになったことにびっくり(笑)

元々ずっとだらだらと体調不良で、久々にドカンと飲んだのもいけなかったと思うし。

幸いにも翌朝までお酒が残ることはなかったけれど、その瞬間はかなり気分が悪かったので。

「もうしばらくお酒は結構です!」

という気持ちになったのも「いいクスリだわ!!」と自分のことなのに他人事のように思っている水曜日(笑)

さて。

その事件があって、この曲を思い出したので。

週末からこっち、またずっとLOVE FADERSを引っ張りだして、暇さえあれば「AGE DRUNKER」を聴いてました。

open.spotify.com

そもそもわたしはかなり強引に自分のエピソードに勝手に寄せちゃったけれど。

「時代のアルコール」ってなんだろう?

アルコールは舌触りがよくて、気持ちよく酔えてついつい飲み過ぎちゃうけど。

度が過ぎると毒になり、かえって辛くなるのもまたアルコール…

前後の文脈から読み取ると、正義を盾に取った論争とか争いごとかなぁ??

剛さんは常々「ひとつ」になることを願い望んでいるから。

結果的に社会の分断を生んじゃうような流れかなぁ~

ちょっと簡単には答えは導き出せませんが…

みなさまはどう思われますか??

元々大好きな曲なのに、考えてみたら感想すらろくろく書いてなかったので、少しだけメモ。

展開がとてもドラマチックだし、安定した重めのリズムグルーヴ、ベース音が響く中、ちょっとノイジーなおカズやピコピコ音も鳴っていて。

EDMってジャンルに近い…のかな??

(実はEDMというジャンルを最近知ったばかりなので、まったく見当違いだったらごめんなさい。)

音作りもとっても凝っていておもしろい1曲です。

とても気持ちよくって、身体をゆすってノリノリで聴いてしまいますが…

実はその中に、相当に練られた突き刺さるリリックがたくさん隠れてます。

そしてENDRECHERIの音楽の中では、かなり聞き取りやすくはっきりと発音していて。メッセージ性の強さ。

切実に伝えたいのだ!と感じます。

争い戦いたい理由を探す為には もう生きなさんな

とか。

信じ合うよりも 感じ合いたいね 集狂せず 個を生きよう

とか。

誰かを傷つけ 自分を満たしても

誰かを愛することが 自分を愛するってこと

気づけず 何しても同じよ

とか。

最近の世相を見るにつけても「そうだよね」と思うことだらけです。

サビの「AGE DRUNKER~♪」の詞のあとの歌詞は、どこもすごく刺さるフレーズだと思うのですが。

出て来るたびに少しずつ違っていて。

愛す 僕だけを救えたら良いんだよ じゃ駄目なのよ 

最初こんな風に言たのが、次には

愛す 君だけを救えたら良いんだよ じゃ駄目なのよ

になって。ラストでは

愛す 僕らをね 救えたら良いんだよ じゃ駄目なのよ

と一見とても厳しい言葉たちだけれど、心底もっともなのだ!!

もっとも過ぎてずしっと来て。

そんなところにも、とても心惹かれる歌詞だなぁと思うのです。

自分だけとか。

自分の周りだけとか。

仲間だけとか愛する人のためだけとか。

自分の国だけとか、友好国だけとか。

そんなことを言ってる場合じゃな~い!!!

誰の手にも負えなくなって、地球が取り返しがつかないところまで行ってしまう前に…

しっかりと目を覚まして、誰もが自分も相対する誰かのことも、全部ひっくるめて救おうと思わなきゃ、間に合わなくなっちゃうよ!?

そう言われているような気がします。

剛さんがことさらに滑舌よく、歌詞をはっきりと歌い、歌い方にも一切迷いがなくて。

音楽としてもよどみなく、まっすぐに強いから…

何度も出て来る「孤独」という言葉でさえもまるで応援の言葉のように聴こえてきます。

多数派に惑わされることなく。

自らの意思で「そこ」であり「ひとつ」へと向かうこと。

「簡単じゃない!?」と言われているようだ。

そんなことをつらつらと考えていて。

思い出されたのが、昨年のENDRECHERIのふたつの配信で歌われたこの曲のこと。

とりわけ平安神宮ライブでは初めてCD以外の音源を聴いたので、驚きと感動が半端なかったことが思い出せます。

あの時にこの「AGE DRUNKER」と、かつてのENDLICHERI☆ENDLICHERI時代の「White DRAGON」が、共通するコードを繰り返し助走しつつ、それはそれは上手に繋げてあって。

そのセンスにもただただ脱帽したのです。

今となってみれば「White DRAGON」もまた、ものすごく刺さる歌だったのだなぁとあらためて思うのですが。

当時のわたしはまだFUNKのライブについて行くのがやっとで。

この曲では剛さんが奏でていたひずんだギターや、当時の重装備の扮装や。

バンドとの掛け合いなどに多分に気を取られていて。

マシンガンのようにとても早口で歌詞を紡いでいたし。

歌詞の意味まであまり深く掘り下げて考えてなかったような気がするのです。

今あらためてこの曲に再度出会えて、ずいぶん見え方が変わった気がしました。

そしてさらに興味が広がって歌詞をあらためて眺めてみると…

この曲の歌詞に、たくさんの

時代の愛が歪んでいる 

 という歌詞が入っていて。

 混沌とした世の中に本気で辟易している今日だからこそ。

この歌詞の重みがさらに実感的によくわかるようになった気もしました。

このまま歴が繰り返されるが 

愛達は 何処へ向かえば良いのかな? 

 なんて鳥肌が立ちます。

死にはしない 黙りもしない

とか

無駄にはしない 降参もない

とあって。

そして

永久に乱舞する命

とくる。

この曲が生まれた頃の剛さんは、いろいろな意味でぎりぎりのところで踏みとどまっているのが客席からも容易に想像ができました。

小さい頃から放り込まれた世界で、オトナが信用できなくなっていて。

パニック症も発症して、ステージに立つことさえも怖そうで苦しそうで。

客席のファンにさえもどこか怯えた表情で。

そんな中で行われたライブも、初っ端は完全武装で登場して。

帽子、サングラス、ペインティング、髭…何重にも武装し、重ねたものをひとつひとつ外していく姿は、命がけで闘っているようにさえ見えていたことを思い出します。

この歌を歌うことで、負けそうな自分を鼓舞していたという一面もあったのかも。

それがさらに「これだけの日を跨いできた」今、あらためて歌われた感動もさることながら。

配信ライブでは、確かたくさんの歌詞替えがあって。

例によってマシンガンであまり聞き取れなかったのですが…

僕らはいつになってもさひとつになれない今、まだ続けるのかな?

それにもう飽き飽きだ 

ここはものすごく印象に残って、いつか感想を書く日が来るかも?と思って、メモってました。

世の中に対する焦燥とはっきりとした意思表示。

あの頃とはまったく違い、迷いのない剛さんがそこにいて。

ものすご~く感動したことを思い出します。

そして。

オリジナルのこの歌詞。

さあ この世に君の愛

堕とせ 真ん中へと 

 なんだか何度も反芻している間に、勇気が湧いてくるような気がしてきました。

よけいなものを見聞きしては惑わされるのをそろそろやめたいです。

そんな暇はないのだ!!!

(特にわたしは剛さんよりさらに年齢を重ねてるしね~、笑)

ふらふらしてないで、右でも左でもなく。

すいている真ん中の道を、まっすぐにいかないと。(by Ginger)

と、こんな風に。

折にふれて最近、あんな歌詞、こんな歌詞を思い出しては噛みしめてしまうわたしがいて。

つくづくと、生きてるうちに好みの音楽やリリックに出会えた幸せを思います。

(クラシックをやっていると、大概の好きな曲の作曲家さんはもう天国だから。

好きな音楽家と同じ時代を同じ景色の中に身を置きつつ生きられるということがどれほどの奇跡で幸せなことなのか、本当にしみじみと感じてしまいます。)

幸いなことに、しばらくは飲みたいという気持ちにはならないでしょうから(笑)

これに乗じて、少し身体を軽くしたり身体作りにいそしみつつ、たくさんの音楽に触れたいです。

そして。

あの配信の平安神宮ライブや生配信の244分の配信ライブ。

映像化しないかなぁ?ととても期待しています。

実は、特に平安神宮の方は、1週間という余裕があったので。

県内のファン友たちとワイワイやる時に取りこぼしが生じないように(笑)

12枚というとんでもなく長いメモを取っていたのでした(笑)

そうこうしているうちに、県内でさえ移動がなかなかに困難になり、顔を合わせて語り合うことさえNGな状況になってしまったので。

「平安ライブについてとことん語る会」は結局は実現できなかったのですが…

できることなら映像化されたブルーレイを、いつか距離を問わず、仲良しの友人たちと一緒に観つつ、ワイワイやりたいものだと夢見てます。

早く収束しないかなぁ…

というわけで…なんだか途中から、根拠のない長い考察になってしまいました。

ケリーの歌は、わからなくても「わかりたい!!」と大人を切実に思わせちゃうところがあるような気がして。

自分なりの解釈を加えたくなるし、考えている時間もまた幸せだなぁと思うのです。