ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 昨日の顛末

多分世間的に期待されてるエントリーとは全然違うと思うのですが、昨日があまりに濃ゆい一日だったので、その顛末から。
カバ関連に関しては、書きたくてうずうずしていることが複数あるのですが、その記事はエントリーを変えて書きますので、もう少々お待ちくださいませませ。
というわけで、続きからは超個人的な話です。
昨日は、最後に残っていた健康診断の再検査の日でした。
これは、ここ数年もう恒例になっているのですが、乳がん健診で必ず引っかかっているものです。
マンモグラフィーのところで必ず「石灰化が見受けられますので、再検査をするように」と書かれて帰ってくるわたしの健康診断の結果報告。
明らかな腫瘍があるとか、即がんの疑いというものではないにせよ、結果にDとか書いてあると毎回肝を冷やします。
触診や並行して受けている超音波の検査では何も映らないのですが、このマンモグラフィーにだけ映る「石灰化」というものとの付き合いもほぼ6年越しです。
どうやら乳腺がまだまだ元気みたいで、それは授乳してた頃によく乳腺症になったことにも原因があるのかな・・・と先生がおっしゃってましたが、そういうものなんでしょうか。
とにかく毎年この「石灰化」が問題になって「念のため」と病院に呼ばれます。
そして超音波の画像とさんざん見比べ、6年のデータを全部掘り起こして「形状も変わらないし、数も増えたり減ったり。これは乳腺症からくるもので、がんとは無関係と思われる」。
「よって、この場所のこの所見ではもう再検査には呼びませんから」・・・と言われケリがついたと思われたのが昨年。(確か日記にも書いたような。)
ところが今年、また呼ばれたのです。
「昨年より石灰化が濃くなっているように思われます。」というのがその理由で「ガーン」となったのが先月の検査結果が来た時。
さらに超音波検査でもはじめて「『腫瘤』が認められます」・・・との所見が書いてあって、え?何?腫瘤って?とドキドキしながら検診に行ってきました。
結果、腫瘤については形状が良性の特徴を網羅していること、境界がはっきりしていること(悪性と思われるものにはそれらしい特徴がたくさんあるそう)大きさなどから考えるに、水が溜まっているだけだと思われるで、そのままにしておいていいとのことでした。
で、そっちは置いておいて、問題になったマンモグラフィーの結果をいつもの先生がじっくりと見ながらお話してくださったのですが・・・
主治医の先生のお見立てでは、どうみても前年と比べて所見が悪くなったとは思えない。
6年間の資料でも小さな誤差の範疇で白いカルシウムと思われる点が濃くなったり薄くなったりを繰り返しているし、画像を大きく広げて見ても、そんなに変わったとは思えない。
自分の考えでは、また1年後にダブルで検査を受けて、様子をみるのでいいと思う・・・ここまでほとんど変化がなかったのに、急にこれが悪さをし始めるとは考えにくい・・・とのことでした。
それでも一応、こういう検査をしてこれがなんなのか?に決着をつけるという手もありますよ!それをするかどうかはあくまでもご自分の判断ですけれども・・・とも言われたのですが、先生の話っぷりでは現状としてはそれを勧めない・・・とのこと。
最後は「患者本人がどうしたいか」の意思で決めるというスタンスなんだなぁ。
なるほど〜と思ったり。
主治医の先生によれば「どうも健診担当の先生がなんでもかんでも再検査にし過ぎる。」とのことでしたが、ほんとのところはどうなんだろう!?
そんなこんなで、今年の健康診断で引っかかった様々なことについては、あちこち病院のはしごをして、引っかかったものはすべて再検査を行い、「問題なし」ということで一旦の決着をみました。よかった〜♪
とりあえず、治療の必要があるところはなかったので結果オーライですが、ずっとここのところ「あの病気の疑い」「この慢性疾患の疑い」といろいろな怖い可能性を指摘されて、心が疲れました。はぁ〜。
なんでもなかったわけだし、ありがたいとは思っても文句を言うつもりはありませんが、これから年を取るに連れてもっといろんな「疑い」が出てくるんだろうなぁ。それを考えただけでぐったりです。
そもそも検査結果を聞くというのが心底怖くなったわけは、前にも日記に書いたと思うのですが、オトートの筋ジスの診断確定をほんとに超無防備に聞いてしまった過去からです。
そして、昨日行った病院には、病名の確定をみる1年前、1996年にも一度、突然不安にかられてオトートを連れていって診てもらっているのです。
あの時は神経内科だったと思うのですが、その外来が昨日行った乳腺外科のとなりにあって、否応なしに1996年のことが思い出されて、ああ、まだトラウマになっているなぁ・・・わたしって意外と執念深い・・・と実感させられました。
たまたまきのうも小さい子連れで診察にきている親子がいて、ああ、ああいう小さい子と待合室で長々待つっていうのは周りにも子供にも神経を使い果たしてほんとに大変なのよね〜とか、中で先生に言われる「怖いこと」が一瞬遠くから聞こえてきたりもするんだよなぁ〜とか。
とにかく子どもを静かにさせることに精一杯で覚悟ができてなかった・・・とか。
いろいろなことが思い出されて、気がつけば思い出の扉を全開にし過ぎて手に汗を握ってました。怖い怖い。
1996年も1997年もわたしは夏休みのマレーシアからの一時帰国で病院に来ていて、海外での暮らしの中で息子に何かよからぬ病気があるんじゃないか?という不安を感じていました。
母親の勘だったのかもしないし、実は誰の目にもわかりやすく他の子と違っていたのかもしれません。
そんなこんなで、ずーんと鉛のように重たい心を背負って帰国してきたわけですが、当時の夏の流行歌は不思議とよく覚えてます。
玉置さんのドラマ、コーチ!の主題歌の「田園」もそうだったし、V6の「愛なんだ」もそう。
翌年の診断を受けた前後の絶望感の中で流行っていた「WAになって踊ろう」もそう。
この辺りの曲はとても前向きだし大好きで、とっても励まされるなぁと思っていた一方で、いつしかわたしの中で日に日に大きくなる、不安やとっても怖い現実の象徴のようにも思えた曲たち。
ニコニコ笑いながら聴いていたはずなのに、知らない間に涙がつつーっと流れていたり、今後の彼や我が家のことを考えて不安でいっぱいでも聴いているうちに「大丈夫」と思えたり・・・
当時のわたしは多分相当の情緒不安定で、しかも一時帰国中で日本に家がなくて、実家やら友達の家やらに泊めてもらい、小さな子達を連れてどこへ行ってもうるさくないかな?と気を使い、子どもたちをなだめたりすかしたりするのも限界で、毎日がくたくた。
歯医者やら健康診断やら、友達と会う約束やら、銀行めぐりやら事務手続きやら、新学期からのためにマレーシアに持って帰る文房具や衣類の準備やら・・・めまぐるしい日々がありがたいと思ったり、突然に何もかもがどうでもよく思えたり。
ああ、そんな日々があったなぁ。
そんなきのうの不安定な自分。さまざまな可能性を怖がっていた自分が瞬時に押し寄せてきて、わたしにしては珍しく、超弱気、かつ胸がぎゅーっとなって思いっきりびくびくしてしまいました。
そして、今のわたしが座っていた待合室の向こうの方に、当時のわたしやオトートが座っているような錯覚にも囚われて、「大丈夫だよオトート。15年後もちゃんと歩いて笑ったり怒ったりしながら元気に過ごせてるから。就職が決まらないとぶーぶー言いながらも、しっかりと遊ぶ時間は確保してて、バカじゃないの〜?と怒られてるくらいだよ(笑)」
「レインってば、そんなに怖がらないで。心配しないで。待ってるのは絶望だけじゃないよ!15年後もいっぱい笑ってるよ。」と言ってあげられたらどんなにかよかったのに・・・なんて思ったり。
いえいえ、多分あの時に未来から来た自分にそう言われたって、あの状況では絶対的に常識的に考えても半信半疑だったでしょうし、きっとあの絶望感から立ち直るにはかなりの時間がかかっただろうと思うけど。
そして、今の自分たち家族の現状にもっと感謝をするべきだ!ということに思い至って「ああ、ダメダメだなぁ。ほんとにダメ。心が弱いのは相変わらず。何ひとつ成長がない!!」ともっと強くなりたいと思うのも毎年のこと。
年に一度、乳がん検診の再検査に呼ばれる日は、神さまから大きな反省を促される日・・・なのかもです。
いずれにしてもきっとわたしにとって「必要な時間」だから呼ばれるんだよなぁ。
さて。
そんなこんなで「ああよかった」と思いながら病院を出たのが11時半くらい。せっかくなので、練馬の実家で父母の顔を見ておこうと思い、また電車に乗りました。
そして、父と母といっぱいおしゃべりをして、車で駅まで送ってもらったのが4時ちょっと過ぎ頃。
例によって夕飯の食材を含む大荷物を両手に持っていたわたしは(おかあさん、いつもありがとう!)無謀にもなぜか「サイズがなくてお取り寄せを頼んでいたパンツを取りに行こう!」と思い立ったのです。
あと30分あれば寄れるなぁ・・・夕飯の準備にはもうちょっと余裕があるし・・・持っている冷凍ものも多分30分くらいならなんてことないだろう」
なんて思ったのが大災難の始まり(笑)
買い物を終えて電車の改札を入ろうとしたら、なぜかものすごく閑散としているではありませんか。
5時過ぎと言えば、そろそろ通勤ラッシュが始まる時間帯なのにどゆこと?と思いながら、あんまり深く考えずにホームに入ってしまったのがとんでもない間違いの始まり。
わたしの最寄駅のちょっと先の駅で直前に人身事故があって、電車が最寄駅のふた駅前で折り返し運転をしているというではありませんか!!
しかも特急、急行は運転をすべて取りやめているというではありませんか。
運転再開の予定時刻は6時10分とのこと。
おーまいごっ!
とりあえず行けるところまで行って、最悪歩いて帰ろうと思い、来た満員電車に乗ってのろのろと終点まで。
最寄駅のふたつ手前で人で溢れかえっているホームに降り立ってアネに電話したのが17時半頃。
6時10分に動くのなら40分後か。
ここから歩いて帰るとすると、多分40分強ってところかな?
荷物が少なければ全然余裕で歩く方を選んだと思うのですが、両手が大荷物でふさがっていて、しかも一日中歩き回ってもうくったくた。
というわけで、そのまんま大荷物を両手にぶらさげたままホームに突っ立って待つ方の道を選んでしまったのが3つ目の間違い(笑)
結局6時10分に運転再開という予定は大幅に遅れ・・・本当に電車が動き出したのが6時50分近く。
さらに動き出して最初の3本くらいはどの電車もすし詰めで全然乗り込めないという・・・
家に着いたらなんと7時20分くらい。
家路が途方もなく遠かったです(笑)
この間、わたしはずっとウォークマンでいろんな音源を聴きまくっていたし(シベリウス、バッハから安全地帯、KinKiさんまで、笑)次々と入ってくるつよしさん情報にあわあわヘラヘラしたりとか、1時間を過ぎたあたりからどうにも荷物を持っていることが耐えられなくなって、とうとう足元におろして立ったまま数独とか・・・(3個も解いちゃったよ、笑)
まあまあ退屈はしなかったのですけれども(笑)
最後の最後まで本当に濃ゆい一日で、さすがに家に帰って怒涛の家事と食事の支度を終えてお風呂に入ったら、あとはウトウト。
オットが一緒にリーガルハイのスペシャルを見ようと言ったのですが、わたしはさすがに「ムリ〜」と断って別行動(オットごめん、笑)
それにしてもなんという一日だったのでしょう。
さすがに12時過ぎには完全夢の中、今朝はアネのバイトが休みだったので6時50分くらいまで寝ちゃいました(笑)
今日はすっきりさわやかですよん。
切り替えが早いのだけが取り柄なのだ(笑)
あいにくの雨降り、しかも降り出しが早すぎて今日は家事をするには不向きな気がするし(言い訳、笑)仕事の時間まで、ちょろちょろ時間を見つけていろんな日記を書きたいです。