KinKi Kidsの20周年の記念日が7月21日で、たまたまオトートの誕生日の前日だったこともあってだと思うのですが。
オトートが遺伝子検査により、筋ジストロフィー症だということが正式に確定したのっていつだったっけ?と思い出してみたら、19年前でした。
で。
ふと、なぜわたしは、KinKi Kidsの20年前の記憶があんまりないんだろう?とあらためて思ったわけです。
当時我が家は、マレーシア在住でしたが、毎年夏には一時帰国していて。
20年前はオトートが年長さん。アネが2年生。
きっとデビュー日あたりは日本に帰ってきていて、テレビだって普通に見ていた思うのです。
しかも当時、あれほど露出があったKinKi Kidsのことをまったく覚えていないだなんて。
そもそもこの辺の記憶がほとんど残っていなくて。
それは一体どういうことだ?と思ってました。
それが先日、たまたまTOKIOカケルを見ていた時に、テレビのKinKi Kids年表に我が家の年表を照らし合わせてみたら…
ちょうど彼らのデビュー前後の2〜3年は、我が家にとって、このオトートの大騒動が起こっていた時期で。
多分、明けても暮れても息子の病気のことで頭がいっぱいで。
さらにその息子のことで頭がいっぱいなわたしに薄々気づいて、一緒になって不安でいっぱいになっていた、アネとの格闘の日々でもあって。
まさしくテレビどころではないし、誰が好きとか言ってる場合じゃなくて。
ひたすらに日々をやり過ごすのがやっとという事態だったことを今更ながらに思い出しました。
20年前のちょうどこの時は、一時帰国のついでに、青山こどもの城にあるクリニックに何度か通ってました。
当時は日本の病院はどこがいいのかもよくわからず。
ネットで一生懸命探してここがいいと思っていったのだと記憶していて。
オトートの発育のこと、そして何か病気が隠れていないか相談したかったのです。
その診断のために、子どもたちをふたりとも連れて、遊ばせるのを兼ねて、しょっちゅうこどもの城を訪ねていました。
さらに、わたしはこの年、マレーシアのマンモスな日本人学校で、かなり上の方の役員、幼稚部の長みたいなことをしていて。
さらに大気汚染やSARSという感染症により、在マ邦人家族に、自主帰国騒ぎが起こったりもして。
右を向いても左を向いても、考えることでいっぱい。
毎日のようにハイウェーを1時間も飛ばして日本人学校にワープロを持ってわたしも通ってました(笑)
そっか、だからいろんなことを覚えてないんだ!!と今更ながらに気づいたわけなのでした。
デビュー日あたりもきっと日本にいた気がするのですが。
こんなにまったく覚えてないなんてことがあるかしら?と不審に思っていました(笑)
そっかそういうことだったのか!!
あらためて発見です。
結局のところ、この年は遺伝子検査にまでは至らず、多分発育が多少遅れているだけだから心配いらない…という結論で終わったのだと思うのですが。
母親の勘としては、どうみても、単なる発育の遅れではないと思っていて。
ほっとしたにはほっとしたけれども、納得はできず。
さらにもやもやしつつマレーシアに戻ったのを覚えていて。
そんな夏には、テレビを見ても、右から左へ抜けてったということだったのだと思います。
今思えばもったいないことをしましたが(笑)
その後翌年に診断の確定が出て、1999年の春に本帰国。
帰ったら帰ったでしばらくは心配が尽きず。
20年前、デビュー日周辺の、つよしさんが相当辛そうだった話は、その後落ち着いてからいろいろ遡って聞き。
さらに本帰国後、やっと子どもたちが日本の学校に馴染み始め、本気でファンになり始めた頃は、
つよしさんのPDが本格化し始めた頃でもあって。
、
今で言う「沼に入りかけ」の時期に、MYOJOで今にも消えそうなその人の文章に触れ。
どうぞこの人が消えてしまいませんように!!と祈りつつ、深みにはまっていったのが、多分2000年前後。
他人事じゃなく、実はわたしもまた、そのころはそこそこ当時大変だったんだなぁなんて(笑)
今さらながらに思い出す!思い出す!
生きてりゃいろいろあるもんだなぁなんて。
でも今にして思えば、自分的辛い日々とも微妙にリンクしていて。
一緒に闘っている気持ちでいたのかもなぁなんて。
不思議な気持ちで振り返っています。
そして。
20年の時を経て。
我が家的にもKinKi Kids的にも、今はいろいろなことが落ち着いているから、今回はわりと待ち構えていて、ゆっくりいろいろなものを味わう気満々でしたが。
今度はつよしさんが突発を発症したことにより。
大事な人が病気になり、なすすべもなくそこにいるしかない状況…
ということで、今になって、一気に記憶が紐解かれたのだと思われました。
さて。
オトートの病気に関して、第一人者とも言われている先生のおひとりにI先生という方がいて。
今ももちろんご健在で活躍されてらっしゃる臨床医の先生ですが…
太陽のように患者さんたちを温かく照らし、何かと絶望に向かいがちな患者やその家族に生きる希望をくださる、本当に素敵な先生です。
でも。
忘れもしない一度だけ、とても厳しいお顔をした先生と対峙したことがあります。
それは病気の宣告を受けてすぐ。
「患者さんとの付き合い方も教えていただけるし、何よりも元気パワーをいただけるから、I先生を訪ねてごらんなさい」と紹介されて先生に会いに伺った時のことでした。
オトート本人はまだことの深刻さがイマイチわかっていない頃で。
何度も血液検査をするのがイヤだとか、せっかく夏休みに日本に一時帰国しているのに、なぜこんなに病院へ行かなきゃならないのかわかっておらず。
とても無邪気にしていました。
そしてアネもまた、なぜこんなに何度も病院に付き合わされるのかがわからない。
彼女もまた彼女なりに不安定で、今にして思えばとてもかわいそうなことをしてしまいました。
一方で多分、このころ、この世の終わりみたいな顔をして話を聞いていたのが母親のわたしで。
取り乱すとか、泣くとか、そういうことすらなく。
ただただ茫然と、半ばうわの空でそこにいて、でもとんでもなく切実な気持ちもあって。
一生懸命に話を聞いていたのですが…
それまでとても包容力のあるお顔で、心配しなくても大丈夫!この病気のことはよく知っているから。いろいろ教えてあげるよ。とおっしゃってくれていたのが。
ある瞬間、I先生が突然とても厳しい顔になられて。
まずはわたしに向き直って
「いいですか?これだけは覚えていてくださいね。辛いのはご本人であって、お母さんではありませんから。」
とおっしゃいました。
もちろん、わたしがどんなに辛いかは重々わかってらっしゃるからこその。
先生がくださった最大限のエールでした。
これから数々の苦しいことがあるだろうけれど、決して忘れてはいけない。
本当につらいのは、あくまでも本人であって、周りではない。
心配でたまらないのはわかるけど、常に本人の意向が最優先。
自分の方が今でこそ小さい息子よりも、なんでもわかったような気になってはいけないし。
先回りして、何かをがんばろうとしている本人を安易に止めてはいけないし。
本人の自我の発育を妨げてはいけない。
本人のことは本人が一番よく知っているということを忘れてはダメだ。
どんなにつらくても、決して口出しし過ぎてはいけないよ!!
自分の安心のために、何よりも大事な本人の意思を曲げさせてはいけない。
淡々と、でもものすごく厳しい目のまま、先生は一気にこの話をして。
次にオトートの方に向き直り。
君のこれからの未来は、人より辛いことがたくさんあるかもしれないけど。
多分君の症状からみたところ、進行が速い型ではなさそうだから。
ご両親が亡くなった後も、君は生きていかなきゃならないんだ。
だから、誰よりもいっぱい勉強して、誰よりも社会勉強を積まなくてはならないんだよ。
大人になるまで生きたくても生きられない子はたくさんいる。
でも君は多分そうじゃない。
それができる身体をもらったからには、どんな厳しさにも耐えて、がんばりなさい。
これまた先生が本人にくださった、最大限の厳しいエールでありました。
その言葉の後は、何事もなかったかのようににっこりして。
今も覚えているのですが、ビニールでできいて、ふくらませるタイプの、コジマ電気のキャラクター(にこにこ笑っている太陽のアレです!)のキャラクターグッズを「はい!どうぞ!これあげる」とくださって。
そこで多分オトートが何やらいいリアクションをしたのだと思うのですが、こっちを向いてニヤっとした先生が、「この子、おもしろいから、将来お笑い芸人になったらいいんじゃない?」とおっしゃいました。
そこまでが一連の記憶です。
辛いのは見守っている人たちじゃなくて、あくまでも本人!!
というこの考え方は、今の時期にもまた、応用ができる考え方だなと思ったので、あえて日記にしてみました。
昨今はモンスターペアレンツという言葉が一般化していて。
わたしのピアノの生徒さんに、中学校の先生がいらっしゃって。
その先生から、時々とんでもないモンスターペアレンツの話を聞きます。
危うくご両親に心を殺されかけた生徒たちの話。
心を病んで入院された先生方。
学生時代の親友のお嬢さんも、先生になって2年目で、子どもを思うあまり攻撃の手を緩めない保護者の方の昼夜問わずの電話やメールで、心療内科通いを余儀なくされています。
そんな風にたくさん話を聞いているからかもしれないのですが、オタク界でわりと今みんなが口にする「モンペ体質」という言葉が時としてとんでもなく怖く感じられることがあります。
もちろんその方たちが本当の意味でのいわゆる「モンペ」だとは思わないし「心配している」という意味で、そう深刻ではない場面で使われている場合もほとんどで。
もしくは、心配症なんですよ〜くらいの意味で使われるのも知っています。
むしろ、オマエがまったくジョークが通じないバカなのだ!と言われれば甘んじて受けますけども(笑)
いくら相手が大事でも、大好きでも『距離感』は大事にしたいなぁと思う気持ちは、わたしはI先生に教えていただきました。
先日、たまたまつよしさんの突発関連で「こういうのをみんなでしたらどうでしょう?」とメールフォームから相談してくださった方がいらしたのですが…
無記名でアドレスもわからなかったので、この場を借りて、お返事を書かせていただけたら。
そして他にも「何か!」と切実に感じてらっしゃる方の行動のヒントになればと思います。
(とはいえ、一個人の想いです。こう考えるべきとも、これが唯一無二の正解とも思ってはいませんので。念のため。)
今回のことに関して。何かファンとしてできることがあるんじゃないか?と思う気持ちはよくわかるし。
一緒に痛みに耐えるとか、一日も早く元気になるように祈るとか応援する…はもちろん全然アリだと思うのですが。
たとえば、フェスの開催元に『出さないでください』と言って行くのはどうでしょう?
「休ませてください」「休ませるべき」と関係各所にメールを送ったらどうでしょう?
と。そんな提案をしてらっしゃる文章でした。
わたしはそんなことは考えてもみなかったので、正直とてもびっくりしましたが、そう言っている内容はとても切実で、逼迫している感じでした。
この方は、あまりにも彼を心配するあまり、自分でも何かできることをしたくて、必死になってらっしゃるようでした。
気持ちはとてもわかるけど…何もできないのは苦しいですよね!せつないですよね!
でもでもでも。
わたしは…ですけど、その行動はやめた方がいいと思います。
たとえばフェスに出るかどうか、休養するかどうか、それはあくまでも本人が決めることであり、本人の近くにいて現状を正しく把握している方々が決めることだと思うのです。
こちらがよかれと思って行動したことでも、どうかするとご本人の邪魔になることだってあるのだし。
自分が苦しいあまりにSNSで発言した一言が、ご本人の評判を下げてしまうこともありそうです。
フェスがどれだけ彼の悲願で、折に触れて一生懸命事務所にもプレゼンして、やっと叶いそうな今なのかということはファンもみんな知っていることで。
それを頭ごなしに「やめさせて!」なんて、誰にも言えないと思うのです。
幸いにも、彼は周りの方々にとても恵まれているし、実務的な部分はやっぱりプロの方々にお任せするのが一番だと思うし。
お医者さん、東洋医学の先生、音楽のプロ、彼のことをよく知ってらっしゃるレコード会社や事務所の方々。
そしてそして。
もちろんお仕事の場では一番そばにいるであろう、相方のコウイチさん。
信じられる方々はきっとたくさんいるはず。
実際に、コウイチさんは「こーちゃんストップ!」を掛けてくださった実績もあるわけだし。
本気でダメだと思うならば、みなさんきっとわたしたちが言わなくてもダメだと言ってくださるかと。
ご本人だってとても冷静に今回のことと向き合ってらっしゃるように見えるし。
きっと捨て身になったりはしない、ちゃんと一生を見据えて行動している…とわたしは信じたいです。
周りのみなさまとも相談して、大丈夫だ!となれば、きっとかなり上手に工夫して、負担の極力少ない形で出演するんじゃないかな。
なんせ彼や彼の仲間たちは、いつだってアイディアマンだし。
工夫を惜しまない方々だから。
きっと逆境をもポジティヴに変える力を持ってらっしゃる気がしています。
ご本人と周りがそうあるべきと納得されるなら、もしかしたら今回は見送りという形になるのかもしれないけど。
それを決めるのは、あくまでも本人のはず。
わたしたちはどうあれ受け入れるのみで。
ファンが口を出したり、気を回してどうこういうことでもないような。
今はどんなに苦しくても、その瞬間、見守るしかない愛っていうのも確かにあるのだと思うし。
今はそのやさしさを、彼と一緒に苦しさを分け合って、一緒に耐えるという方向にしてみたらどうかしら?
と、わたしはそう思います。
もしくは「こんなのが効いたよ!」的なことがあったら知らせて!とラジオで言っているのだから、そういうのを徹底的に調べてみるとか?
ラジオに送ってみるとか?
そういう応援の仕方がいいような気がします。
今回のことで、たまたまI先生のことを思い出したので。
I先生なら、こんな時、そうおっしゃるんじゃないかな?と思ったことを、わたしなりに、一生懸命伝わるように言ってみました。
あえて恥をしのんで書きますが、そうは言ってもオトートのことで、わたしもその後何度も失敗していて。
オトートがスキーに行くと言った時や、フェスのチケットゲットのために徹夜で並びたいと言った時に
何がなんでも止めようとして、結局止められず本人を深く傷つけた経験とか。
おかあさんの人生じゃないし!と言われたことだってありました。
いっぱい恥ずかしい失敗をしているからこその、おバカさんからの捨て身のアドバイスだと思っていただけたら(笑)
この方のように切実過ぎて考えが突飛な方へ行きそうになったら、行動する前に、誰かつかまえてでも、話してみるといいかも?と思います。
一人で考え込んでいると、時として考えが飛躍し過ぎてしまうことがあるから…
そういう意味で、ほんとに至らないわたしではありますが、一人で思い詰めず、メールフォームで相談してくださって、本当にありがとうございますと言いたいです。
「一緒にそうしましょう!」とは言えなくて、ご期待には沿えなかったかもしれませんが。
多分みんな気持ちは一緒かと。
お仲間の一人として、一緒にもう少し、見守っていきませんか?と言いたいです。
どうぞどうぞ、あまり思い詰めないでくださいね。
そんなおバカさんのわたしが、オトートの子育ての経験上、最も気をつけてきた、そして今も気をつけていることが。
いつかはきっと「治る」と心底信じ切ることで。
そこに微塵も疑いを抱いたりしては、いけない気がして。
究極のところ、一緒に「大丈夫。今日よりも明日。明日よりもあさって。」と信じることがお仕事のように思っていて。
これもまた単純だけど、誰にでもできるけど、きっとしあわせでいて欲しい相手の力になると信じられることのような気もします。
もちろん自己満足ですけど。
よかったらやってみてくださいね。
そして、オトートエピソード絡みでもうひとつ。
コウイチさんが今回、忌言葉のように、「難聴」という言葉を、パーティーでも決して使わなかったという話をネットで読みました。
確かにわたしが参加した日も「突発」とは言っていたけど、「難聴」とは言っていなくて。
なんだかとてもその心がわかるような気がしたのです。
それもまた、オトートでの経験とかかわりがあるのですが…
オトートの病名には、「進行性」という言葉が正式には前にくっつくのですけれども。
わたしはずっと前から、この病名に「進行性」をくっつけて言うことを拒否しています。
言霊ということがあるから。
できることなら、治癒を妨げるような悪い言霊は、一言たりとも発したくない。
本能的にそう思ってしまうからなのですが。
コウイチさんもまた、もしかしたらそんな気持ちでいるんじゃないかな?と、ふと思いました。
いつもつよし!つよし!と言いまわっているわたしですが。
もちろんコウイチさんも大好きで。
時々「気持ちがシンクロしてるかも!」と思ったり「ああわかる!」と彼にシンパシーを感じることがあります。
ファンの思い込みかもですけど(笑)
二人とも口に出して言っていいこと、決して言わないことの質がとっても似ているように感じていて。
彼らの言葉は、本質的な部分で、決してわたしを傷つけない…と強く信頼を寄せています。
こういうのってきっと年齢的なものじゃないんだろうなぁと思うのです。
いろいろ世知辛い世の中ですが…
むずかしいけど本気で「清く正しく美しく」を目指さなくっちゃいけないところまで来ているような気がして。
え?何を突然言い出した?と思われていることと思いますが…(笑)(笑)
これは安全地帯の歌の名前です。
今、大人が本気で正しい道を選ばなければ、正しい道を進んで行かなければ、きっと子供たちからも、地球からも信頼を失ってしまうような気がします。
そして、どうあれ、人と人とが傷つけ合うのではなくて、認め合い、許し合える世の中がいいなぁと思います。
清く正しく美しく
清く正しく美しく
清く正しく美しく
いつかひとつになれる
です。
心が疲れてらっしゃって。
玉置さんが苦手じゃなかったら。
どうぞよかったらこの動画、ご覧になってみてくださいね。
某フェスの動画なのですが、とても心癒されます。
(KinKi Kidsをここに貼るわけにはいかないのでね、笑)
清く正しく美しく生きなさいよ!!と叱られる感じではよもやなく(笑)
大丈夫だよ!って抱きしめられて励まされます。
年長者としてかくありたい!と思うのですが、なかなかにむずかしいです。
玉置さん自身もいろいろと失敗やご苦労も多かったからこそ。
辿り着いた歌なんだろうと思います。
息子にもメールをくださった方にも、通りすがってくださったみなさまにも、ぜひぜひオススメしたいです。