ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

一人で泣いたりしないで。

最近うちの自慢のピアノの生徒たち、6年生トリオがとてもめんどくさいです。

思春期の入り口で、とても心が不安定。

とはいえこの年代は毎度毎度そうなので、もう慣れっこになってしまって、はいはい!そうですか!あなたたちにも無事来ましたね?成長の一過程…くらいのテンションで時にはぞんざいに?あしらったりもし、時に必要とあればじっくりと?その時その時の勘所で、ゆる~く付き合ってます(笑)

担任の先生や習い事の先生をぼろくそに言い、いらだっている子。

(わたしに文句があったら早めに言ってよ?)

友だちの言動がいちいち気になる子。

(多分ふたりは似た者同志だから、同族嫌悪ってヤツと思われ。双方が言ってることもあって、両方とも肯定も否定もせず、聞いてるだけ!わたしは両方いいコだし、好きだけどなぁとは言ったけど。)

ブラジャーのつけ時がわからない!おかあさんに無理やりスポーツブラをつけるように言われたけど、絶対にいらない!!汗が溜まるだけ!と怒り狂っている子(笑)

だいたい、先生は何のためにブラをつけてるのよ?というので

「わたしの場合は、どっちが前か知らせるためにだよ!!」と言ったら、笑いもせず吐いて捨てるように「なんだ、仲間か!!」だって。こりゃ相当いら立ってるな!(笑)

「でもね、必要があって、つけなきゃならないけど、つけるのが恥ずかしいコにとっては、他の子たちもつけててくれたら、それはそれでありがたいと思うけどな!」とちょっと石を投げてみたら、そっか!とすんなり。

その辺りの素直さといら立ちの加減がまだまだかわいい11歳。

今なら、うちの子がその年になった時、もうちょっとやさしくできた気がするのです。経験って大事だな。

過ぎてしまって、すっかり落ち着いておだやかに戻っている中学生グループを見ていてつくづくそう思います。彼女たちも一時期本当にめんどくさかったなぁ。

とはいえ、最近はほぼ100%共働き家庭だし、吐き出す場所は必要だと思うので、なんでも言いやすい雰囲気は大事にしなくてはと思ってます。

さて。

少し前の出来事です。

オトートがツイッターの相互フォローになっている、少し年下の男の子と遊んでくると言っていて。

フォロー関係にあるとはいえ、今まで直接会ったことが一度もないというのと、その人が「僕の誕生日を一緒に祝ってもらえませんか?」と何人かに声を掛けていたけど、結局他に行くと行った人はおらず、二人きりで逢うことになったというのがちょっと気になって。

大丈夫かなぁ?なんか騙されたりしてない?とちょっと心配になったものの。

オトートももうとっくにオトナだし、ネット歴も長ければ、オタク界隈の知り合いも多いから、あまりにヘンだったら、さすがに行かないだろうし。

大丈夫と判断したんだろうなあと静観してました。

そんな親の心配はよそに、せっかく誕生日なんだから、「推し」関連のグッズでも秋葉原で調達して、あげようかなぁ~なんていそいそと出かけて行ったオトート。

まあまあ遅すぎずな時間に戻ってきたオトートは、開口一番、やっぱり行ってよかったと一言。

「な~んか話したいことがあるんじゃないか?と薄々思ってたんだよね。」と意味深に言い出しました。

そもそもなんとなくいきさつが不思議な気がしたし、どうして他の子たちはみんな断ったのに、オトートは行こうと思ったのか、その辺りも気になっていたのです。

そういえば、せっかくの誕生日だから場所はこっちでセッティングしてあげるよ!と言ったオトートに、あんまりお金がないから、フリータイムのところでカラオケして、飲みも安いところでいいですと言ってきたそうで。

その辺りもどうだったんだろう?と聞いた話によれば・・・

最初は一緒にカラオケで好きな声優さんのDVDを観たり、飲んだりして、とても楽しい時間を過ごしたそうで。

ささやかなプレゼントもすご~く喜ばれて、まっ普通のオタク友だちという感じで楽しくやっていたのが…

途中から、ちょっと真面目な話をしていいですか?と言われ、いろいろな相談を受けたというのです。

彼はある会社に就職したのだけれど、2年目くらいに、どうやっても仕事がうまくいかず、そのうちに体調が恐ろしく悪くなって、歩くのもままならないくらい心身ともに追いつめられて、とうとうやめてしまったのだそうです。

その時点で、親御さんは目に見えて落胆されて、体調が悪い彼には、ものすごく堪えたそう。

その後、病院で発達障害と診断を受けて、今は就職支援の訓練校みたいなところに行っていて。

バイトもしているのか、細々と収入はあるそうですが、収入もそんなに多くなくて。

でもせっかくの誕生日だし、この日くらい大好きな秋葉原で飲みたいとずっと思っていたのだそうで。

その日もお金は最小限しか使えないから、山手線の駅を何駅も歩いて秋葉原まできたそうで。

なんだかその話を聞いただけで、すでに胸がぎゅーっとしてしまいました。

なんでそんなことになってるの!ご本人があまりにも気の毒過ぎる。

その子の家はお兄さんたちが一流大学出身で、その子以外は自慢の息子さんたちで。

現状、彼は今ものすごく肩身が狭いし、ご両親と一緒に住んでいるけれど、明らかに自分はお荷物で煙たがられているように感じていて。

だからと言って、今はまだ収入が少なすぎて家を出ることもできないし。

そんな自分が不甲斐ないし、親に迷惑を掛けているのがたまらなくて、自分でお弁当を作ったり、家事を手伝ったり、いろいろやっているけれど、先が見えなくて…

でも、そんな話を相談できる人もいなくて・・・

と、いろいろと相談されたのだそうでした。

「はじめて思っているところを人に話せた気がします!」と言っていたとのこと。

お家の方も大切な大切な息子の一人の、一世一代の一大事!何を置いてもお話を聞いてあげたらいいのになぁ。

オトートがいた前の会社の部署は、障がい者だけが集められたところで、オトートのように身体に障がいがある人もいれば、この方のように発達障がいの同僚、うつ病などの同僚もいて。

「発達障がいの人もたくさん知っているし、そもそも障がいがあって働くことの大変さもわかってるから、自分は相談を受けるのに、ぴったりの人材だったと思うんだよね!」とオトート。

日ごろのツイートから、何か感じるところがあって出かけて行ったのかも。

オトートは一見健常者と変わりないけど、速くは歩けないし、ちょっと一緒にいればなんらかのハンデがあることがわかってしまうと思うのですが、わりと気にしないで、どんどん自分を開放して繋がっていくところがあって。

日ごろから平気で知らない人の中にも入って行きます。

場合によってば、迷惑を掛けることがあると思うのか、ライブの日にあえて始発で行って、同行者やオタク友達のグッズの代行をしたり、飲み会の幹事をしたり、お店の予約を入れたり、そういうことにはとても腰が軽いタイプで。

相手の子もまた、もしかしたら、逢ったことはなくても、オトートがどういう人かを知っていて声を掛けたのかもしれません。

本人が言うように、話を聞く相手としてはうってつけだったかも?

抱えているハンデは同じではないけれど、それがあるだけで絶望ってわけじゃないよ?楽しいことだってきっとこれからもたくさん待ってるよ?と。

そんなことをオトートと遊んだことで思ってもらえたらよかったなぁと思います。

後から話を聞いたわたしは、何が堪えたって、そんな25歳の生真面目な青年が、周りに相談する場がまったくないという事実で。

話を聞く限りではすごくいいコではありませんか!!

仕事柄、いろんな話を子どもたちや若い世代の子たちから聞くことが多いですが、最近本当に、悩みが深い子が多いなあと感じています。

オトートも「少なくとも自分は、わりとなんでも親に話せるし、学生時代からの友だちともわりと頻繁に会ってるし、泊めてくれるオタ友もいるし。

いろいろ聞いてくれる人がいる、そういう場所があるってありがたいことなんだなぁ」としみじみ言ってました。

その子にも、まずは今の想いをちゃんと親に伝えたら?とアドバイスしてきたとのこと。

少なくとも、唐突にメールをよこしたその彼が、誕生日に一人きりにならなくて、楽しい夜を過ごせて本当によかったなぁと思ったし。

わたしが、相手の子は大丈夫かなぁ?変な子じゃないかな?となんとなく疑いモードで送り出したことを恥じました。

いつもはあんまり口数が多いタイプでもないのですが、この日のオトートはとても雄弁で。

少しは役に立てたんじゃないか?という自覚があったからかもしれないけど。

全然悪いコじゃないし、むしろ裏表がなくて、すごくいいコなのにな。いい就職先が見つかるといいな。と、その後もずっと話してました。

その時からもうだいぶ経つのですが、なんだかわたしはその子のことがずっと気になっていて。

夜寝る前とかに、彼のことをふと思い出します。

最近は生きづらい子が本当にたくさん増えている気がしてなりません。

世の中もすごく不安定な感じだし、疑いがある…くらいの子も含めると、発達障がいとくくられる子もとても多い印象で、学校の音楽会呼ばれた時も、特殊学級の子の人数の多さにびっくりしたし。

うちのピアノ教室のように小さいところでも、事情がある子が明らかに増えました。

それじゃなくても「なんだか人と違う」とか、なんだか話し方、考え方に違和感があるとか…

たくさんの人の中から、普通の人と同じじゃない人、個性が強い人を敏感に探したり、異分子を見える範囲からなるべく遠ざけようとするような傾向が日本人には過度にある気がして。

なんだか人を選別するの、やめない?といつもいつも思うのです。

そもそもマイノリティーが安心して暮らせる社会は、誰にとってもしあわせな社会なんじゃないかと思うし。

弱い人たちをどんどん切り捨てていく社会では、やがては「強者」もいずれ老いたり弱ったりして切り捨てられていくのでしょう。

そんな弱肉強食の社会で本当にみんな幸せなんだろうか?

誰もが立ち回りばかりうまくても、要領ばかりがよくても社会は決してうまくいかなくて。

やることはゆっくりでも、どんなに単純作業でも、絶対に手を抜かない忍耐力がある人が必要な場面だってあるし。

持病や障がいがありつつも、楽しそうに生きていたり、前向きにがんばっている人が、たとえ身体は健康でも、心が疲れ果てた人や、絶望に打ちひしがれた人の支えや希望になることだってある。

久々いろいろ考えてしまいました。

誰であれ…今苦しい誰かのそばに、寄り添うだれかがいますように。

誰もが少し距離を取って、遠慮がちに眺め合ってる社会より。

少しくらいめんどうでも、助けたり助けられたりする社会がいいです。