ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 父からのラブレター

先日両親が遊びに来た折に、唐突に「これ」と渡されました。
「娘達へ」と書いた、平成5年に書かれた文章です。
ページ数は17ページ。結構な長文です。
幸いにも今のところうちの両親は健在ですが、これが遺言的な何かだったらヤだなぁという気持ちでドキドキしながら最初の方をちょろっと読んでみたら、全然そんなものではなくて、父が就職した頃から平成5年までの我が家の歴史的なことが、わりと客観的な文章でまとめられていました。
そういえば、結婚式の花束贈呈でさえ断固拒否だった、お涙ちょうだい的なものが大嫌いな父が、そんなウエットな文章を書くはずもなく…ちょっと胸を撫で下ろしながら、あえて一人でファイルを持って外に出て、お茶を飲みながらゆっくりと読みました。
そもそもこれは一度お蔵入りしかけたみたいなのですが、こういうのは絶対に取っておく母がちゃんと保管してくれてあって、この機会に…と手渡されたものです。
(そうやって母が保存してくれた思い出の品の数々は、いいこともたくさんありますが、10年以上前に書いた手紙やメールを掘り起こしてみんなの前で披露されたり、見せてやろうか?などと言ってみんなの目にさらされるという恐ろしい事態も時々あって諸刃の刃です、笑)
今回も、このラブレターと一緒に、両親の家、わたし、妹。3家族の年賀状を平成2年からまとめたものを作ったよ…と言って渡されました。
これまた壮大なファイルです。
こちらの我が家の最初の一枚は、アネが生まれた翌年のもの。
当時一世を風靡していたプリントゴッコで作ってました(笑)
そこからこれまでの年賀状が、孫が父母宛てに書いたものも含め、全部A4のいい紙に並べ、印刷されていました。
「これを作ったから昔からのヤツは捨てるぞ!」とのこと。逆に今までとってあったの?という感じ(笑)
もちろん異論はありませんが、こうしてその気になれば、全部がちゃんと出てくるなんてびっくりです。
もちろんわたしがコメント書きしたものもそのまま残っているし、孫たちのものなんて、表書きまでわざわざ印刷してあって、オトートなんて一年生の時に全部ひらがなで出した年賀状が掘り起こされて「うわっ!これもかよ〜」なんて悲鳴をあげてました(笑)
そして、もうひとつ、ちょっと前に渡されたのが「想い出」と書かれた分厚いクリアファイル。


これには、我が家(実家)の写真がびっしり。
父母の結婚式の写真から、妹とわたしの生まれた時、子ども時代、わたしたち姉妹の結婚式の写真、孫の赤ちゃんの時の写真までもが一冊に、要所要所の文章とともに納められています。 
この「きちんと」感がわたしにはなくて、うちの両親が持っているものです(笑)
感じからすると、我が家(今のわたしの家族)で『うちの両親的なもの』を受け継いでいる人がいるとしたら、多分オトートです。
「できればちゃんと引き継いで、娘たちにもこういう整理をやってほしいみたいよ」と母。
「う〜ん、そのうちね。」とずぼらなわたし。
確かに我が家の思い出が一冊にまとめられたらどんだけいいだろうとは思うのですが、我が家の膨大な写真類を発掘整理して、全部パソコンに取り込んだり整理したりするには、ものすごい時間がかかるものと思われます(笑)
そして、わたしが何かとできごとやら思い出やらを文章にしたがるのは、やっぱり父譲りなのかもしれないとあらためて思いました。
思い出収集癖。
写真もですが「娘たちへ」の文章の方は、わたしたちが生まれた頃の物価とか、お給料とか、当時の世相とかいろいろなものが織り込まれていて、読み物としてもかなりおもしろかったです。
それから、同じ思い出でも、父目線とわたし目線では全然思ったことが違ったり、捉え方が違ったり。
何より驚いたのは、父がわたしたち娘たちのことを「かわいい」とか「ほんとに大切だった」とか「わが娘ながらたいしたもんだ」とか、自分たちのことを「親バカだ」とか言っているのですが、実を言うと妹もわたしも、あんまりあからさまにかわいがられた記憶がないのです(笑)
それはもちろんかわいがられてなかったということではなくて、そういうのをあまり表に出さない人だったし、妹にしてもわたしにしても、やさしかった印象よりも、「厳しく育てられた」感が強いです。
だからさびしい思いをしたとか、悲しかったとはまったく思いませんが、わりと程良い距離を保ったクールな一家だと思ってました。
「一番じゃなきゃビリと同じだ」とか、中3の3学期にいきなり東京転勤になったのに「甘えたことを言うな!公立以外の学校には絶対に入れないからそう思え!」とか「自分の道は自分でちゃんと決めろ」とか「人をあてにするな」とか言われていて。
だからプレッシャーがすごかったかと言うとそうでもなくて(笑)
わたしは、ボロクソを言われてこそ育つタイプだ…くらいに思っていたし(ある意味洗脳されてた!?、笑)結果一番じゃなくても「しゃあない、しゃあない」と勝手にいい方に解釈する脳天気っぷりだったので、まあ両親との相性がよかったのかもしれないと思います。
(そして自分と同じようにアネを育てようとして、彼女を必要以上に傷つけてしまった…という歴史もあって、イタイ思い出とも裏表です。
誰にでも同じやり方は通用しないし、相性もある。
だから教育って本当にむずかしいけれども、もがいたり苦しんだりしながらも、きっとその子にあったやり方はどこかにあって、それは誰かに見つけてもらうものでも、教えてもらうものでもなくて、結局根気よく子供と向き合い、粘り強く向きあえるのは親しかない…とも思っています。)
そんなこんなで、わたしは常にプレッシャーをかけられていた気がするのですが、父の方はプレッシャーをかけつつも、ものすごく心配し、「一人で行け!」と突き放したくせに、車で後から追いかけたり、知るか!と言いながらもずっと気にしたりしていたり…
今になれば、我とわが身を省みて、そりゃあ親っていうのはそういうもんだ!と納得できますが、できることならもうちょっとその時々でそれを態度にして示してくれればよかったのになぁなんて思ったり(笑)
いやいや、わりとクールに接してくれたからこそ、今も何があってもドーンとしていられるのかも?と思ったり…いろいろなことを考えました。
さらに、たとえば東京転勤になった時のこと、家を建てた時の気持ち、わたしからみた祖父母とのなんやかんや。結婚観、子供観。
わたしの考えと似ているところも全然違うところもありますが、父の考えをちゃんと父が元気なうちに読めてよかったと思います。
今は妹のところに回っているラブレターですが、彼女が読んだらまた全然違う感想を持つんだろうなぁ(笑)
いずれうちの子たちにも読ませたいとも思いました。
一読したら、妹に回し、妹は捨ててしまうようにとのことでしたが、やっぱりわたくし、コピーを取り、クリアファイルに入れました。
それを聞いたら父が怒るかもしれないけど(笑)
自分たちが結婚する時、わたしからみた祖父母が「ひとことも反対せず、結婚を受け入れてくれたので、娘たちが結婚したいと連れてきた相手がどんな人であっても絶対に反対はすまいと決めていた」というのを読んだ時は、へえ、そんなことが…とびっくりしたりもしましたが、祖父母がいて、両親がいて、わたしたちがいて、子供たちがいて…
それこそ誰ひとりが欠けても我が家の歴史は変わってしまうわけで…そんなこともたくさん感じた父のラブレター。
日曜日、これを読んでから、わたしはひとりで平安結祈を見に行ったのですが(その話は下書き中)この日はわたし的には本当に濃い一日となりました。
さて。
そんな両親と妹の家族、うちの家族で、土曜日に都内某所で金婚式のお祝いをすることになりました。
我が家は今年で結婚25周年だし、妹のところは20周年かな!?
何かとめでたいということで(笑)家族の集まりをしてきます。