ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 変わったかたちの石

今朝目が覚める直前の浅い眠りの中で、この歌がずっと鳴っているのを感じていました。
見ていた夢と関係があるのかないのか、なんだかとてもせつない気持ちで目じりに涙が滲んでいるような感覚の中、めざましが鳴っても名残り惜しく…目を覚ましたくないと思いました。
わたしの場合、夢の中で音楽が鳴っていて、その音楽のことで頭の中や胸がいっぱいになって目が覚めるということはわりとよくあります。
たとえばものすごく感動したライブ参戦の翌日だったり、佳境に入ったドラマの主題歌だったり。
テレビで圧倒的なパフォーマンスを見て、心打たれた直後だったり。
でもまだ発売前、ご本人たちが歌っているのを直接聴いたわけでもないのに、ラジオの音源だけでこんな風に夢に登場するなんて、ちょっとびっくりなうれしい朝。
実は夕べのわたしはとても苛立っていて、なんだか何をしても上手に集中ができず、いたずらに時間ばかりが過ぎていきました。
パソコンを開いてもインターネットを開く気にならず、思わずラジオでかかったこの曲を1曲リピートで延々流しながら淡々とソリティアのカードを開ける…よくあるパターンです(笑)
疲れ過ぎて思考回路もストップ。多分1時間半くらいずっとひたすらに「変わったかたちの石」を聴き続けながら手を動かしてました。
聴いているうちに、なぜそんなに苛立っていたのか…その理由さえも忘れてしまったくらいなのですが(笑)この曲にはかなり荒れている心を鎮め、おだやかにしてくれるパワーがあるかも。ひと眠りしたわけでも大声で笑ったわけでもないのに、だんだんにガチガチの気持ちがほぐれてきました。癒し系だなぁとしみじみ。
ちなみにわたしがこの曲に最初に触れた時(多分10回くらい続けて聴きました。)思わずツイートしたほんとの初聴きの感想はこれ。

大掃除でへたりこみ「変わったかたちの石」をハードリピート中。歌詞をかみしめながら何度も聴くと、彼らがリリースする意味がわかる。ちゃんと尖ったところを大事に持ったまま静かに強い意志と情熱を燃やし続けてる。まるで彼らだ!秋元さん鋭い。マシコさんの曲も味があって美しい。わたしは大好き。

ああ、この曲がライブの中で、サマルェカダスと前後して歌われたら泣くかも(笑)
このふたつの曲にわたしが勝手に抱いている共通なイメージがあります。
暗い暗い外灯ひとつない夜道をひとりっきりでとぼとぼと歩いている「わたし」の目に映った、遠くに見えるかすかな人里の灯り。
ノスタルジックな景色や記憶。先が見えない現在。過去からのヒント。小さく灯る希望。
新曲「変わったかたちの石」の方は、初聴きの感想にも書いたように、もっと直接的に「彼らのことを歌った?」という歌詞になっていて、だからこそファンとしてはもっと胸に刺さるところがありますが、ファンじゃない人が聴いてもきっと共感できるところがあるのではと思います。
素朴だけど美しい曲だと思います。
今朝の朝日新聞の朝刊にかなりの紙面を割いて、秋元さんのインタビューが載っていました。
秋元さんの作詞家としての原点は美空ひばりさんの「川の流れのように」だったこと。
彼は、日本の最高峰のアーチストがこの作品を認めてくれたことを出発点として、作詞家という肩書きを名乗るようになったのだそうです。
そして、興味深かったのが通り抜けた90年代のお話。
90年代と言えば、小室さんを始めとしたダンスミュージック全盛の時代でした。
この頃のことを朝日新聞のインタビューの中で、秋元さんは「うた」が「サウンド」になった時代と表現してました。
この頃は、職業作詞家として、どこか『今は求められていない』と思っていたのだそうです。
『「歌詞」は「うた」だから生きるのであって、「サウンド」の歌詞は英語でいい。』というようなことをおっしゃっていました。
確かに英語詩の多い時代だったし、歌はサウンドの一部として同化していた時代だったようにも思います。
この「うた」と「サウンド」の話は、わたしにとってはとてもおもしろいと感じました。
今現在も秋元氏言うところの「サウンド」的な曲と「うた」的な曲が両方存在していると思うのですが、どちらがいいとか悪いとかという話ではなく、この観点からすれば、「変わったかたちの石」はまさしくボーカル最重視の「うた」というくくりの曲だと思います。
(K albumも「うた」寄りなアルバムとして作られた曲が多い気がします。)
シンプルに「うた」が心に入ってくる。しみじみと沁み込んでくる。そして心の琴線に触れる。
そんなわけで、この曲も歌以外の要素はなるべくシンプルであってほしいような、歌の力だけを前面に出してほしいような感じがあって、今回のシンプルすぎるアレンジもとてもこの曲に合っていると思いました。
もちろんそれには歌手が歌う「歌」、彼らの表現自体にも力がないとできないことだと思いますが、KinKi Kidsはそれができる表現力を持つ人たちだと思うし、実際に彼らの声の魅力がちゃんと伝わり、「うた」が前に出る曲に仕上がっていると思います。
具体的に言えば、銀色暗号みたいに長いまるで序曲のようなイントロがあってもいいと思う一方で、この曲のようにすぐに声が待っていてもいいような…そしてそれらがひと組のアーチストの楽曲の中に混在していてもいいような…そんな気がしたのです。
更に、新曲はふたりそれぞれのソロワーク、世界観ともちゃんと異質なものになっていて、KinKiならでは、KinKiらしさがちゃんと曲の中に入っていると感じました。
そういえば、一緒に鼻歌を歌っていて気がついたのですが、この曲はCDを聴きながら一緒に歌えるキーで、彼らの曲にしてはとても歌いやすい歌でもあります。
いつもむずかしすぎて絶対にカラオケじゃ歌えないな…と思うことが多いですが、今回のは大丈夫。キーもばっちり合っているので、ライブでKinKiさんと一緒に歌えるかな!?
そういう歌をわたしは強烈に欲していたので(笑)そんなところもこの曲がとても好きな理由です。
日経エンターテイメントでも秋元さんが、街鳴りしていた昔の音楽は「口ずさめる歌」が多かった。僕にとってのJ-POPの定義は「口ずさめること」とキーワードを発してらっしゃいましたが、この曲はまさしく口ずさめます。
そういう人の口から口へと伝わっていく歌になったらいいのだけれど。
とりあえずはいろいろな場所で流れて、お願い!!という感じ(笑)
朝日新聞のインタビューでも思ったのですが、秋元さんというと、AKBのプロデューサーとして今、第一線でネットなどを駆使していろいろな仕掛けを作ってバリバリとこちらに迫ってくるような印象があります。
でも実際のこの方は世代的にもネット世代ではないので、本来は口コミを考えていた人なのですって。
そういえば、彼が書く詞で好きなものは、「停電の夜には」でもこの「変わったかたちの石」でも、ハイテクではなくてローテク寄りの感性のものが多い気がします。
そんなところもKinKi Kidsとはベストマッチな気がしなくもありません。
夕べ聴き過ぎるくらい聴いたので、ヒマにまかせて歌詞を書きとっていたのですが、書いてみるとこの曲の中に出てくる「僕」が聴けば聴くほどつよしさんのようにも、コウイチさんのようにも思えてきます。
「人と同じ生き方より僕は僕でいよう」とか「(生まれた町の川で拾った変わったかたちの石が)尖っていたあの頃を忘れない目印だよ」とか。
「まあいいかと 我慢してしまうと 本音なんて わからなくなるよ」とか。
ふたりとも俺が俺がというタイプでは決してないけれどもどこか尖っていて、たくさんの人たちの中にあっても決して流されたりはしない、確固たる自分がある。
秋元さんは彼らをほんとによく見ているなぁと思いました。
歌全体としては、とてもシンプルな構成になっていて、それぞれがひとりで歌うパートと、サビのふたりで歌うパート。
何度も言っていますが、以前はユニゾンの良さがあまりわからなかったわたしですが、KinKiに出会ってからユニゾンのおもしろさを知りました。
ふたりの声の溶け合うところはなんとも心地よい仕上がりになってます。
あまりたくさんはありませんが、あえてハモっているところはハッとします。とても印象的で美しいです。
大げさに「どーだ!!」と魅せる曲も、ダンサブルな華やかな曲も大好きですが、わたしはこの曲のつつましやだけど、忘れてはいけない大切なものを思い出されてくれるような感じがとても好きです。
マシコさんワールドの曲はいつだってどこかせつなくて、チクっと痛いところを持っていている気がするのですが、それが今回はKinKiさんのいつまでも少年な部分を残した感じと相まってとってもいい感じに仕上がっていると思います。
できれば「みんなのうた」とか「AC〜♪」あたりのCMバックとか、「言葉にできない〜♪」な感じの生保のCM曲とか(笑)印象的な場面で何度も何度も流れる機会を作っていただけないかしら。
ここ数作、及びアルバム曲を聴いてもイマイチ食いつかなかったファンではないアネが、今回の曲は「すごくKinKiらしくて好き」と言っているのもちょっと期待が持てるかも!?…あんまり信憑性はないですけど(笑)
一応自分で聴きとった歌詞は下書きファイルに入れてあるのですが、早く発売して答え合わせができるといいな。
というわけで、新曲発売が待たれます。どうぞどうぞ…ライブで歌ってくださいませませ…神さまKinKi Kidsさま!!