ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 トラウマ

 久しぶりに心臓が縮みあがるくらい怖くて逃げ出したいことが起こりました。客観的にはそんなに大したことじゃないんじゃ?という出来事かもですが、わたしにとっては本当に怖いこと。
 とはいえ結果的にはそんなに怖いことにはならずに済んだのですが…
 実を言うと、おとといの午後赤坂に向かう電車の中でアネからメールがあって「おかあさん、なんだか身体の調子が悪いから早退するわ。病院行ってくる!」というのです。
 彼女、最近疲れ気味だったからなぁくらいの軽い気持ちで「わかった!」と返信したら、数時間後に「大きな病院で精密検査をした方がいいって言われ紹介状をもらってきたよ!車でしか行けない場所だから、明日連れてって!」というのです。
そこは地元の市立病院の紹介状をもらってきたのですが、ここはかなり大きな病気が疑われる人がいくところというイメージで、瞬時にして心底怖くなりました。
 なぜって、わたしは今は17になったオトートが7歳の夏、やっぱり大きな病院への紹介状を持ってとっても無防備に診療を受けに連れて行ったら何時間も待たされた挙句、「最悪の場合あんなことやこんなことにもなる可能性があります!」と恐ろしい宣告を受けたという経験があるからです。
 それからほぼ10年の時を経て、病気がたとえ治ったわけではなくても「最悪の場合」には当てはまらなかったことがわかりました。
 それでも当時の宣告の瞬間の怖さだけは胸の奥にずっと残ってしまい、たとえば健康診断のためだって、大きな病院に行くというだけで怖くてならないし、ましてや「精密検査」なんて言葉は、聞くだけで足がすくみます。すっかりトラウマになってしまったのです。
 さて、昨日8時半から受付とのことで、朝一でちょっと前に着くように行きました。
 きっと混むだろうなあと思っていましたが、今日は4時から仕事だし、帰ってからのんびりする時間も多少あるだろうと思っていたら、これがとんでもない誤算。
 なんと彼女が診察室に入るまでに5時間も待たされました。しかも、場所を動くと順番が変わるというので、一歩も動けないまま5時間です。一応彼女は最初胃や腸の疾患も疑われたので、何も食べちゃダメということで、飲まず食わずで5時間です。
 当然のことながら付き添いのわたしだけ食べるわけにもいかないので、ふたりでお腹をぐーぐー鳴らしながらひたすら我慢の子という…(笑)
 たまたまアネはそんなに急を要する事態ではなかったので、文句を言えるくらいには元気でしたが、本気で具合が悪そうな方にはとっても気の毒な混み具合でした。待合室で待っているだけで、何割増しかで体調が悪化しそうな感じです。
 わたしは何より5時間の間、ドキドキしながらアネになんかあったらどうしよう!?怖いことになったらどうしようと思っている間が辛かったです。
 ところが…診療室から出てきた彼女は笑顔で、専門の先生に見ていただいた結果、一回の診療で薬で治る類の病名が判明しました。よかったです。
 そこからまた会計が終わるまでに更に1時間を要したわけですが、6時間かけて安心をもらったのだから、良しとするべきなのか…それにしてもそれにしても、自分の弱さが久しぶりに徹底的に想い出されて「まだまだだなぁ」と思いました。
 そんな不安をアタマの隅っこに抱えたまま参加したおとといのライブだったので、ライブ中はなるべく頭からそのことを追い出してとっても楽しんだものの、帰り道ではすでに弱気で、様々な不安にさいなまれておりました。
 もしも何か怖いことになったら…と不安になって、かなりムリをして、おとといのうちにライブについては速報を日記にしたのですが、その間も常に心の片隅に不安が巣くっていて、途方もなく孤独に襲われた夜でした。
 そんなことがあって、昨日は超睡眠不足のまま怖い一日を過ごしたので、余計にいけなかったのかも。幸いにも昨夜は反動で爆睡しちゃって(笑)今日はとっても元気です!やっぱり睡眠不足ってネガティブの元かも。
 久しぶりに弱い自分ととことん向き合ってみて、そもそも普段がポジティブすぎるわたしは、もっとやさしくなりたいと思いました。他人にはもちろん、自分にも…様々な痛み(主に心の中のことです)に鈍感になってはダメだなあと思ったというわけです。
 それからもっと大切なこと。何があったってどんなにつらいことや苦しいことがあったって、生きてるってことはそれだけで本当にすごいことなんだなぁということです。
 「生きてるだけでまるもうけ。生きてるだけでまるもうけ。」
 さんまさんがお嬢さんに名づけた時の名言が思い出されます。
 たとえうちのオトートみたいに難病を持っていたって、世間の波に揉まれて心がたとえ壊れてしまう瞬間があったとしても、突然どんな不運に見舞われたって…やっぱり今、生きているっていうことはそれだけで素晴らしいことなのだと実感したというわけです。
 大げさかもしれないけれど(笑)