ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 ミュージックステーション

 (寝る間際に大きな矛盾点に気がついて推敲しました!すみません。)
 金曜日、いつも6時半からレッスンをしている生徒が、彼女の都合で4時から1時間レッスンとなりました。なんというラッキー!!
 そんなわけで、いつもより1時間も早く、6時にはレッスンを終えたのでダッシュでお酒を買いに行って(べつに行かなくてもよかったのですが、笑)鶏肉のから揚げと長いもをいっぱい揚げて、もう誰にも文句は言わせないぞ!というくらい完璧に支度を済ませて7時にはテレビの前に陣取りました。別に誰も文句なんて言わないのですが、一応(笑)
 剛紫さんが最初に映ったとき、思わず「はぁ〜っ!」とため息をついたら、なぜかオトートがわたしの顔をのぞきこんで「『まぁ、かわいい』とか思ってんだろ!」とか冷たく言ってきて、もちろん図星だったわけですが、一応「そんな風に見える〜?」とか余裕そうにふるまっておきました(笑)
 出てきた瞬間、薄っぺらくて儚げで物静かで…本当にこの人ってば、いくつ顔を持っているのだろうと思ってしまいました。不思議な人であることよ。
 いよいよ歌う段になったとき、正直もう歌ってしまうのね〜とちょっとがっかりしました。音のコラポレーションをしていらっしゃる東儀さんがこの日、近いところでライブをなさっているという話を聞いていたので、遅い時間ならもしや共演もありえる!?と楽しみにしていたのです。
 というわけで、テレビ初披露の時にオリジナルに限りなく近い形でおふたりの生コラポが見たいと思っていたのですが、それが叶わなかったのはちょっと残念でした。
 さて、CD発売前にMステに出ると聞いて一番最初にわくわくしたのが「歌詞を知ることができる!」ということで、いつもラジオで音源を聞いているときに歌詞を想像するのですが、わたしの想像力が乏しいのか、つよしさんの創造力がすばらしいのか、いつも当たった試しがありません(笑)
 今回の『空〜美しい我の空〜』についてもいろいろと想像していましたが、やっぱり違っていたり聞き取れなかったりしたところ多数です。最初の

小さな木の葉を そっと 眼で捕まえた そっと

で、すでにして負けた〜と思いました(笑)なんて綺麗な表現。手で捕まえるんじゃなくて、眼で捕まえるなんて…いいなぁ。あれっ!?待てよ!眼で捕まえたのは空だから!?そもそも捕まえたのは誰?!限りなく想像がふくらみます。
 彼の選ぶ言葉が好きです。想像の余地があるというか、どこまでもイメージが広げられるというか…
 歌を聴きながら歌詞を見ていると、今まで感じていた世界観としては、ある程度年を重ねてきた人の個人的な心象風景なのかな〜と思っていたのですが、実はもっと大きな世界観なのかも!?と思ったり。
 平城京の時代から、気の遠くなるような年月を重ねてきたこの国の記憶をなぞっているような、そんな不思議な気持ちが沸いてきたのです。
 そもそも空というものは常にずっとそこにあるものですし、桜という木が長寿で「ずっとただただそこにいていろいろなものを見てきた」というイメージがそんな想像を連れてきたのかもしれないですけれど(笑)
 素晴らしい国を作るという一心で理想に燃えた日々も、挫折に胸を焦がした日々も、泣いたり笑ったりしている人たちも、振り返ればほんの一瞬のひと雫のような出来事なのに、そのさなかにいる人たちの心の中にはそれはたくさんの想いが詰まっていて…そしてまた時代を経て同じことが何度も何度も繰り返されていく…それをただただちょっと距離を置いたところから眺めている空や桜…なんていう自分の頭の中で作り出した風景とこの曲と歌声とを週末ずっと引きずって、家事をしながらも、買いものをしながらもつらつらと考え続けてしまいました。まるで壮大な映画かドラマを観終わった後みたい(笑)歌に引きずられちゃったみたいです。
 話を本筋に戻して、歌詞でものすごく引っかかったところがもうひとつ。

ララ 美我空 桜の音楽(リズム)

という部分です。最初のところは勝手に「La Loving You!」かな?!と思いこんでいたのですが、全然違いました(笑)
自分的大間違いは別として、後半の方で「音楽」と書いて「リズム」と読ませるのがなんて斬新!!ととっても面白く思いました。
 音楽の三要素はというと、「リズム」「メロディー」「ハーモニー」ですが、最初にこの歌詞を見た瞬間は、わたしが「音楽」をあえてこの要素の中のひとつだけで表現するなら「メロディー」かなぁ!?みたいな違和感を覚えたので、あえて「音楽と書いてリズムと読む」がとても引っかかったのだと思います。
 しかし、何度も聴いているうちに、「桜の音楽」なのならばやっぱり「リズム」で正解かも!?と思いました。
 いつか風が恐ろしく強い満開の桜の木の下でテニスをしたことがあるのですが、その時の桜吹雪の舞う様が思い出されました。様々なリズムで思い思いの方向に舞い散る花びら…その美しい景色が一瞬にしてよみがえったのです。
 どうもこの曲を聞くと、いろいろな景色やいろいろな桜の記憶がよみがえってきて、記憶の中をさまよってしまいます。不思議です。
 そんな風にあっちへさまよい、こっちへさまよいしながら、週末数限りなくリピートしてしまいました。
 それにしても、この方の歌声は年々素直になってきて、癖のないまっすぐな歌い方になってきている気がします。
 ある意味ごまかしがきかない歌い方だとも思うのですが、音程が全くふらつかないし、まるで歌だけ先に録ったかのような安定感。でもこれが生歌なんだなぁと思うと、本当にすごいです。生放送の歌はあたり前ですが、やり直しがきかない一回こっきりだし、それはそれは集中力を高めて本番の数分の歌に向かっているんだろうなぁ。もちろんあの場にいらっしゃる方々はみんなそうなのでしょうけれど。
 画面を凝視しつつ見ていると、小さな緩急はもちろんあるにせよ、最後の最後に向かってちょっとずつく音楽を高めていく過程はずっと自分抱きして感情をおさえ気味に歌っていて、最高潮のちょっと手前で振りほどいて音楽とともに、手もまた雄弁に語り始めたあたり、「やられた〜っ!」と鳥肌が立ちました。
 意図的にそうしたのか、たまたまそうなったのかはわかりませんが、なんだかとってもドラマチックに思えてならなかったのです。
 最後の最後、歌が終わった後の後奏のところで一瞬メジャーコード進行になるところが救いがある感じでとても印象的でした。
 そもそもどうしてこの曲にこんなに心惹かれるのかよくわからないし、いろいろ言えば言うほどなんだか言いたいことから離れてもいくようで悔しくもあるのですが(笑)わけのわからない惹きつけられる感じがとっても気に入っています。
 ただ…やっぱり一度でいいから、東儀さんと同じステージに立って一緒に演奏しているバージョンでこの曲を聴いてみたい…という気持ちが益々強くなりました。
 Mステバージョンでも和の楽器の音は聞こえていましたが、やっぱり生音で目を合わせつつ呼吸を合わせつつコラポしているところが見たいし、一度限りの音を聴きたいです。
 バンドの音も洗練されていてとても素敵でしたし、文句があるわけでは決してないのですが、やっぱりなにかが足りない残念感が残りました。
 ラジオ音源で初めて聴いたときは本当にびっくりしました。もっともっと剛紫さんの声と楽器が絡みつくように聞こえてきます。何より和の楽器と剛紫さんの声の相性がとってもいいのにびっくりです。楽器がかなり存在を主張しているのですが、決して邪魔じゃなくて、声と和楽器という別の種類の楽器が絡み合ってお互いをひきたて、より素敵に聞かせることができているような、そんな不思議な感じがあるのです。
 ラジオが聴けなくてCD発売を待っていらっしゃるみなさんには声を大にして「お楽しみに〜♪」と言っておきたいです。
 ファンはもちろんCDを買えばいずれは聞けるわけですが、この間のMステみたいにふつうの音楽好きの人がたくさん聞いているところで、ふたりのコラポが聴けたらどんなによかったかなぁ〜…って結局はそこへ行ってしまうのですけれど…(笑)
 つよしさんの話はおいておいて、最近はふとした瞬間にたまたま素晴らしい音楽を耳にして「あれっ!?どうしてこの曲はもっと知られていないんだろう?!」とか「初めて聞いたけど…すごい!」と思うものに出会うことが多いです。
 以前だったら、本当にすごいものや評価されているものは難なくテレビで見れたり、マスコミで紹介されて知っていた気がするのですが、最近は表に出ずにその人のコアなファンだけ、知る人ぞ知る…という風にして埋もれている音楽が多すぎる気がしてなりません。
 音楽番組が少ないこともあるかもしれないし、数少ない音楽番組が深夜にかたまっていたり、ちょっと違うバラエティーになりかけたりしていることもあるのかもしれないですが、もっともっと使い捨てられない音楽が増えるといいなあ、いいものを聴きたい、まだ知らない素敵な音楽と出会いたいと切実に思っている人たちの耳に、とりあえず届けばいいなあと切実に思っていたりするのです。