ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

[本] 閉鎖病棟

閉鎖病棟 (新潮文庫)

閉鎖病棟 (新潮文庫)

 今年読んだ本はたくさんありますが、なんだかバタバタしていて、適当に書いて終わりにするのはもったいないから、後で感想を書こうと思っていた本も多くありました。要はものすごくいいと思っていた本に限ってちゃんと感想を書いていないということです。この本もそんな本のひとつです。
 実は東京駅の中の小さな本屋さんで見つけて帯がとても気になったのですが、1度目は購入に至りませんでした。たまたま次に東京駅に行った時にまたその本が目について仕方なかったので、こりゃあきっと読みなさいということなんだなと覚悟を決めて、2度目でやっと購入しました。
 登場人物のほとんどは精神を病んでいる人たちで、閉鎖病棟に入院している患者さん。そして彼らを取り巻く看護師さん、お医者さん、それぞれに関わった人たちや家族の話題がときおり出てきます。
 筆者は現役の精神科医の方なので、精神を病んでいる患者さんの描き方がとても自然なのだろなあと思われます。特に彼らを必要以上によく見せようともしていないし、病的なところを誇張して描かれているとも思えません。
 群像劇ですが、どの登場人物にもちゃんと隅々まで目が向けられていて、特に前半部分は閉鎖病棟という小さい世界の中で、普通に暮らしている人々の日常が、登場人物ひとりひとりにとても愛情をこめて淡々と描かれています。 
 患者さん同士が肩を寄せ合い助け合いながら淡々と送っている日常が描かれています。
 彼らはみんなイヤイヤ病棟に閉じ込められているのかと思いきや、自主的にそこに留まりほぼ自由に外出しつつも、外の世界に戻ることを怖がっている人もいます。お互いのつらい過去や不運な出来事を知り、自分の痛みとしながら閉鎖病棟という小さな社会のささやかな日常的なしあわせを頼みに肩を寄せ合って生きている人たちには、温かいやさしい気持ちをもらったり、「負けないで!」と応援したい気持ちになりまがら読みました。
 ところが一転、後半はある凄惨な事件をきっかけに、平和だった閉鎖病棟が次々と変化を余儀なくされます。
 悲しくなったりせつなくなったり、やるせなくなる場面もたくさんありますが、最後はやっぱりこのお話らしく、人間の尊さ、凛とした強さ、本来人があたり前に持っているやさしさを億さず語る人たちを目の当たりにして、きもちよく読み終わることができて、読後感は決して悪くありません。
 この本を読んでいると、現代社会の一筋縄ではいかない多面的な側面に気づかされます。
 一見正常で何の問題もなく見える人が、実は深く病んでいたり、気がつかないうちに病んでいることもあります。
 一方で心の病気を抱え、完全に心が健康だとは言えないまでも、ちゃんと病気と向き合いながら、一歩一歩前を向いて進んでいる人もいます。
 治ったと認められて社会復帰を果たしたのにいつまでも偏見の目で見られてしまう気の毒な人もいれば、医者に行ってどこも病気ではないと言われても、やっぱり体調が悪くて学校や職場に行けない人もいます。
 人を正常だとか異常だとか判断する基準ははたしてなんなんだろうか!?自分を客観的に見たときに、果たして自分に異常性はないと言いきれるのか?とか、次々といろいろなことを考えさせられます。
 本を読んでいる最中からもっとも気になり始めたのは、犯罪が起こったとき、よく付けくわえられる「犯人は精神病の疾患があって」とか「通院歴があって」とかという記述です。
 この本を読んでからというもの、この付け加えられた文章にどんどん違和感を感じるようになって、最近では腹立たしく思うことになりました。
 これでは「すべての精神を病んでいる人には要注意」と言わんばかりではありませんか。
 たとえば他の病気の人が犯罪を犯したとしても、あたり前ですがニュースで病歴が伝えられたりはしません。犯人は心臓に疾患がありとか、たとえば犯人は慢性の肝炎を患っておりとか、そんなことは決して語られないのに、数行のニュースの中にわざわざ「犯人は精神科の通院歴がありました。」と言うということは、「そういう病を持った人は気をつけろ」とでも言いたいのかとうがった見方をしてしまいます。
 もちろん精神の病気を持った人の中には、本当に犯罪を繰り返す人がいるのも事実かもしれません。そういう人によって家族が理不尽に命を奪われる事件を見るたびに悲しすぎる世の中だと思います。
 でも、だからと言って同じ病歴を持っている人すべてが危険視されるというのは何か違う気がしてなりません。
一方で考えられない凄惨な犯罪を犯した人が周りにいた人たちに「おとなしい普通の人だった。」「この人だけは犯罪を犯すとは思わなかった」と語られることも多いです。
 統計を取ったわけではありませんが、ニュースを見ている限りそんな印象を持つことが多いです。両方を考えると、振り込め詐欺のような情報の共有が再犯防止に役立つ場合は除いて、いたずらにニュースを見た人の不安を煽ったり、「こんな犯罪が増えている」「こんなことがまた起きた」と何度も何度も手口を紹介し、注意を促すことが果たして必要なのかと思います。
 せっかく病気が全快して希望を持って新しい生活に向かおうとしている人が、そういう先入観の元、自立を妨げられたり、人から敬遠されたりするのはやりきれません。
 物語の主人公は、最後の方でついに自ら退院することを決めます。何十年も病院に預けっぱなしで全く訪ねてすら来なかった彼の家族は、彼が退院してくるかもしれないと知って恐怖し猛反対しますが、病院の先生、看護師さんなど彼の日常の生活や人柄を知る人たちが一丸となって彼が自立への第一歩を踏み出せるように奔走してくださいます。
 いつもは愛想のない看護主任が最後の最後に涙を浮かべながら、主人公の自立のために口添えをしてくれます。何十年も彼と共に生活してきた者だからこそわかる誠実な態度で、彼の身内を心から説得します。
 このお話の素敵な部分はうまくは書けませんが、わたしの心の奥底にあった、たくさんの先入観や既成概念が取っ払われた大切な出会いになりました。
 意外に読みやすい本ですし、救いがないお話でもありません。何か読んでみたいけどないかしら?という方に、お勧めしたい1冊です。