ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 時にはKYであろうとも・・・

 今年のお正月に、5年ぐらい音沙汰なしになっていた友達から年賀状が届き、とってもびっくりしました。彼女と知り合ったのは15年前で、10年くらいはとても仲良くしていたのに、ある出来事がきっかけで急に疎遠になってしまったのでした。
 疎遠に至る最初のきっかけが宗教と選挙に関わるむずかしい問題で、どうしてもYESとは言えず、かと言ってNoともはっきり言えず、「どうみても、わたしの方が一方的に嫌われたに違いない」と思いこんでいたので、年賀状が来たことにとっても驚いて、思いきって便箋5枚くらいに渡る長文の手紙を書いたら、向こうからも同じくらい長い手紙がきて、おたがいの行き違いがなんてことはない、バカバカしい勘違いだったことが判明したという・・・びっくりな話です。
 「手紙で思っていたことを伝える」作戦に味をしめたわたしたちは、すぐには会わず、その後も3往復くらい手紙を交換してやっと先日ランチをして、この件はもうおしまいということにしました。なんとも遠回りをした5年間でしたが、波風が立つのを怖れて、お互いになんとなく疎遠になってしまったことがとっても後悔させられました。実は、なんということもなかったのですから。しかも、1キロの距離に住んでいて、ふたりでいるとこんなに楽しいのに、なんで5年もそのままにしちゃったんだろうね〜わたしたち・・・とデザートを食しながら笑ってしまいました。
 さて、どうしてこのことを急に日記に書こうと思ったかというと、このエピソードが思い出されるラジオを聴いたからです。
 きのう、爆笑問題友近がやっているTBSラジオの「日曜サンデー」という番組を車の中で聴いていたら、太田氏があるニュースに関連して、とても熱心に真摯に語っていて、オットとふたりで思わず聞き入ってしまいました。
 彼は「人は何のために生まれて来たのか?」の答えは「しあわせになるため」だと思うのだそうです。
 「たとえにっちもさっちもいかない事態に陥ったとしても、今がどんなに絶望的であったとしても、ずっと先のしあわせを想像することができれば、なんとか乗り越えて行けるはず・・・」と力説していました。
 直接的にそんな言葉を言ってはいませんでしたが、「安易に死を選んではダメ!」「もうすべてが絶望的だとあきらめる前にちょっと聴いて!」と言っているような語りでした。
 たとえば、今日大きな仲たがいしてどうにもならなくなった相手と、なんとか関係を修復しようとしても、明日になってもダメ。あさってになってもダメ。1週間経っても1年経ってもダメということがあるかもしれない。
 でも、1週間後は?1ヶ月後は?1年後は?と想像していくうちに、どこかで必ず明るい未来が見えてくる瞬間があるはず。たとえば、10年後にバッタリ会った時には笑い話になっているかもしれないというところまで想像を広げて行ければなんとか乗り越えて行けるはず。
 そこがなんとか想像できれば、今に戻って行けるのだと。
 「今、手紙を書く」とか「あやまりに行く」とかいう行為は、たとえすぐに結果が出ずとも、10年後のしあわせにつながるという想像力さえあれば、なんとか希望を持って生き続けることができる・・・もちろん一度聴いた限りのラジオなので、だいたいの要旨のみですが、そんな話をしていました。
 途中から田中氏や友近嬢は相槌をうつことに徹し、太田氏が語りたいままに語らせていたのですが、その真面目語りが本当に真摯だったので一切茶化すこともなく、次の言葉を促す相槌だけでずっと太田氏の語りが続いていきました。
 最近のご時勢として「KY」だとか「イタイ」なんて言葉が流行り、本当に苦しい時、苦しいとは言いにくいような現実があるように思うのですが、上っ面を滑るような楽しい会話だけに終始して、その場が楽しかったらそれでいいのだろうか!?というようなことを時々ちょっと真面目に思い出します。
 大人であれ子どもであれ、たとえKYと思われようがイタイ人だと思われようが、必要なときはSOSを発したり、自分の中で怖い結論を出してしまう前にだれかにぶちまけたっていいのだと思います・・・
 一方で煙たがられようがからかわれようが、きのうの太田氏のように、人として時には臆せず真面目に熱く語る瞬間もあってもいいはず。
 子どもたちやむずかしい年頃の生徒たちに対して、心やすく話せる、そんな大人でいることばかりに必死になって、簡単に大事なことを打ち明けられないような空気を作っちゃダメだよな〜なんて、そんなことを静かに考えた日曜日でした。
 実はかく言うわたしも、3月からこっち、ライブ関係でとってもバタバタしては吐き出すように日記を書いていたせいか、「これは書くべきではなかった。配慮が足りなかった。」とずっと後悔していたことがありました。
 また、きちんと面と向かってあやまらなくてはならない相手がいるのに、バタバタを理由にうやむやにしていることがありました。
 もう何十年も大人をやってきていても、やっぱりまだまだ間違えることがたくさんあって、時々自分にがっかりすることもあるのですが、自分が悪かったと思うことにはちゃんと「ごめんなさい。」とあやまって出直そうと思い、ふたりの方にメールを出しました。
 もしかしたらわだかまりが残ってしまうかもしれないけれど、今やるべきことを今やらずに後悔するのはイヤだし、また誰かと5年も音信不通になるのはまっぴらです。10年後、20年後、笑って過ごす未来のために、今できることは今やらなくては・・・