ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 待ち焦がれていた会報

 玉置浩二さんのファンクラブ会報、最終号が来ました。会費の返金払い出し票と一緒にです。すごくすごくせつないなあと思いながら封筒を受け取りましたが、中身は更にせつないものでした。1995年から13年分の総集編とご本人の直筆メッセージ、そしてマネージャーさんの隅々まで愛情に満ちた、希望的なコメントが載っていました。
 今までたくさんのアーチストの方のファンになり、その活躍に一喜一憂しましたが、突然にこんなにはっきりとファンクラブ解散宣言までして、充電に入った方はいませんでした。ショックです。ご病気がもちろん最も大きな理由なんでしょうけれど、マネージャーさんの

ある時から「悩むようになった。」とのことでした。
大好きな音楽とビジネスの間で、負けないようにがっかりさせないように「戦ってきた。」とのことでした。
中略
ボロボロの体を休めるために、曇った心を晴れやかにするために、
背負っていたものを一旦置き休むことを決心されたという次第です。

という言葉に胸がしめつけられました。
 更にとても心に残るこんな言葉もあって、これでおしまいということではなくて、再出発のの可能性を示唆しています。

僕らにできることは信じて待つことだけです。
玉置さんの歌が聞こえない日々は、玉置さんが音楽を育てている時間です。

 もちろん待ちますとも・・・どうぞ心身ともにお元気になった暁には、またいい声と素晴らしい歌を聞かせてくれますように。
 大好きなアーチストさんが身を削るようにしてCDを製作し、わたしたちの前で楽しそうに披露してくれるのを見るのは本当にしあわせなことですが、毎年毎年作品を聞かせてくれることはフィックスではありません。よもや「出てあたりまえ」なんて思っちゃいけないんだなあという当然のことを、久しぶりに徹底的に思い出しました。
 そのアーチストさんが大好きで思い入れが強ければ強いほど期待も大きくなってしまって「こうあってくれたらいいのに」「これはちょっとなぁ」なんて思ってしまうこともあるけれど、そんなことが言えるのもアーチストさんが作品を世に出すことができる環境にあって、気力体力ともに充実していてこそ。
 まさか突然にファンクラブ解散なんてことが起こるとは、年が明けて尚想像すらできなかったわけですが、一寸先には何が待っているかわからない世の中です。
 会報の最後の締めは、十分な充電ができてまた動きがある際は、「責任を持って連絡します。」と書いてありました。連絡お待ちしています。玉置さん、ゆっくり休んでまた、とびきりの笑顔で戻って来られる日をお待ちしています。