ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

納得のいかないことが多すぎます。

土曜日に中1の生徒が来て、こんなことを言いました。テニス部の顧問が「1年生9人を4つのペアに分けて、今日から練習試合を中心に部活を進める」と言ったそうなのです。9人に4つということは一人余るわけで、彼女はその残った一人になってしまい、しばらくは補欠扱いで、部活に行ってもろくろく練習にも参加できないんですって。「恥ずかしくって親にも言えやしない」と自虐的にわたしに言ったのは、きっとくやしくて哀しくて誰にも言えなかったんだろうなと思い、わたしまで唇をかみ締めてしまいました。顧問の先生に対してものすごく頭にきたのだけれど、なんでわざわざたった一人だけを差別化するのか納得がいきません。先生は彼女を呼んで「悔しかったら悔しさをバネにしてガンバレ!誰かを蹴落とせばお前が上がれる」と励ましの言葉を言ったのだそうですが、バカじゃないの?!怒り心頭です。確かに彼女は人知れずがんばるでしょうが、「だれかを蹴落としてやろう」なんてひねくれた頑張りを奨励するなんて。
この手の話はもうひとつあって、これはオトートの話。彼らの中学の体育祭は今週末で、この中学にはいろいろと名物の競技があって、クラス対抗全員リレーなど大好きな競技もたくさんあるのですが、やはりクラス対抗の競技の中に大縄の回数を競うというのがあります。オトートは知っての通り筋疾患があるので、彼にとっては飛び跳ねるということは人の何倍も大変なことなのです。わかっているから親は「適当に参加しなさい。なんなら本番の競争の間は休んでたっていいよ」といつも言うのですが、彼はそんな風に特別扱いされることを極端に嫌い、どうしても参加したいと言うのです。確かに外見的には他の子達と差がなくて普段友達たちの中にはそんな病気を抱えていることを知らない子の方が多いのですが、親としてはこういう場でみんなに迷惑をかけることがあったら本人もつらいだろうし、クラスの皆さんにも申し訳ないと、どうしても身内なだけに弱気になってしまうのです。担任の先生とも相談しつつ本人が頑張ると言うのだからあまり神経質にならずやらせましょうという結論に達したので、その後口出しはしていないのですが、そうしたらやっぱり数日前にちょっとへこんでしました。
体育専任の先生が練習のつれづれにおっしゃるのだそうです。「どのクラスもがんばりが足りない。もっと回数が飛べないのは努力や団結が足りないからだ。」「引っかかってばかりの奴はがんばりが足りない。クラスみんなが迷惑するということをもっと意識して恥じろ」「全員ががんばれば、絶対に学年一位になれるはずだ。」そんなことをずっと練習の間中、先生は怒鳴っているのだそうなのです。
「がんばりって何ですか?」
がんばれば必ず上に上がって行けるという考え方は嫌いではありません。ピアノだってそう、勉強だってそう、人としてだってそうだと思います。でも「がんばった」と評価する基準は何ですか?
相対的な評価でがんばりの定義が変わるのであれば、結果を出そうと思えばオトートのように身体に欠陥がある人はどんどん除いていけばいい。今日がんばりすぎて身体を痛めてしまった人は、負け犬として去ればいい。年をとった人は足でまといとして順番に社会から排除して行けばいい。心を病んだり文句を言ったり、ちょっとでも弱気を見せた人はどんどんどんどん社会から抹殺していけばいい。そうして生き残って行けるものだけがみんなイチローや柔ちゃんを目指し、勝利の栄光を勝ち得た者だけがしあわせな生活をする権利を有すればいいとでも言うのでしょうか。
そんな毎日だと、明日何かあって自分が蹴落とされる番が来るかもしれないとひと時も気が抜けないのでしょう。他人はみんなライバルで、蹴落とすためにお互いを見張りあい、あら探しをし、どんどん殺伐としていくのでしょう。そんな世の中で本当にいいのですか?と怒りに震えてしまいました。評価は一種類じゃないし、ものさしは一本じゃなくていい。どんなことだって昨日できないことが今日できればすごいことだし、先生という種類の人はそういう一人一人の形の違う成長に敏感に気がついてあげる人であってほしい。
一見弱いと思っている人だってとっても大切な社会の構成要員で、彼らから勇気をもらえることもあれば、生活にいっぱいいっぱいの世代に代わり、年配の人たちが英知をもって子ども達や社会をフォローをしてくれることもある。身体を痛めてしまったことで、今まで知らなかったことに気づくことができる人もいる。
幸いにして部活で途方もなくイヤな思いをした彼女は負けない強い子で、「自分のために休まない」と言っていました。「そういうあなたは本当にすごいと思う、尊敬する」と言ったら、「少なくともそういう風に思ってくれるひともいるんならいいや」って言ってくれました。
先生方には深い考えがあるのかもしれないし、わたしが聞きかじったことがすべてだとも思っていませんが、少なくともそんな風に先生の一言を重く受け止めてしまっている子たちがいて、なんらかのフォローを必要としている追い込まれた子ども達がたくさんいることは事実なのです。素晴らしい先生方もたくさんいらっしゃることは重々承知していますが、一部の先生方のそうした言動にはどうにも納得がいきません。
負けないで、子どもたち。