ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

やさしさをあきらめるのはまだはやい。

きらきらひかる (新潮文庫)
きらきらひかる  江國 香織 新潮社
ちょっと心が荒れているなあと思うとき、いつも取り出してしまう本のひとつです。この本はわたしにとってはバイブルとも言える本の一つで、やさしさとか思いやりとかを思い出したいとき、ネガティブに囚われそうになったとき、まっすぐな気持ちを取り戻したくてこの本を取り出してページを繰るのが習慣になっています。この本のページをめくりながら眠りの中に入っていけると、翌朝やさしい自分でめざめられる気がするのです。(この間の日記で触れた 赤毛のアンシリーズと共に大切な大切な本のひとつです)
ご存知の方も多いと思いますが、この本の主人公はアル中?*1の女の子笑子とホモの夫睦月、その恋人の紺くんの3人という突拍子もない設定なのですが、その突飛な設定に惑わされず素直な気持ちで本を読んでいくと、彼らのお互いを思いやるやさしい気持ちにいつもうたれてしまうのです。
わかりやすく言えば三角関係が軸になっているのですが、ちっともドロドロしていなくて、夫睦月を真ん中にはさんで、ぎりぎりの切迫感の中で一生懸命にやさしさを投げ合う笑子と紺くんが、とってもいじらしい。わたしはいつもこの二人のシーンを繰り返しくりかえし読んでしまいます。
ふたりとも睦月の愛情を求めつつ、独り占めすることができなくて割り切れない気持ちを抱えているのですが、だからと言って相手に意地悪したり、出し抜こうとしたりなんてちっとも考えていません。むしろライバルを傷つける心無い第三者のひとことを聞いて本人よりも本気で憤慨したり、一生懸命にライバルの気持ちを想いやり理解しようとして、実際気づけばとても仲良しになってしまい、余計に自分を追い込んでしまったりするのです。
それでもまっすぐに、ひたすらまっすぐに歩いて行こうとする二人の心のあり方がとてもステキで、とってもせつない気持ちになりながらも、やさしい気持ちになってくるのです。二人の間にはさまれた睦月はというと、彼は彼で自分にも他人にも一生懸命「誠実」であろうと努めもがき、自分をはさんだ大好きな二人を思い苦しみながら、一生懸命に誰に対しても誠実な態度でい続けようとします。そうすることで彼なりの愛情を示そうとするのです。

今日、この本を見たくなったのはロシアでの哀しい事件の映像をニュースで見てしまったから。来週の今日からオットが向かうジャカルタのホテルのほど近くでも、たくさんの人々を巻き込んだ大変な事件が起こったことを聞いたからでもあります。世界の中ではたくさんの争いごとが相変わらず続いていて、明日の命もままならない人がたくさんいます。わたしは家でこんなにのほほんと暮らしているのに。かと思えば大いなる無関心に飲み込まれて、自分が無事生きていることのありがたみさえ感じることができない人がいたり、「たかが」とか「どうせ」とかという言葉を連発して斜に構えている人もいます。どうでもよい事で大騒ぎをしたり、暇にまかせて新たなネガティブをもっともらしく生み出して、聞きたがってもいない人たちにわざわざ振りまいて回る人たちもいます。
民族紛争など根深い問題について書かれているものを読むと、歴史の中で、長い長い間憎しみの連鎖が続いてきたことがわかり、そういう世界のことと日常的な稚拙な出来事を一緒に考えること事態かなり無理があるのかもしれませんが、事の大小にかかわらず、向こうが悪いとか、その前はこうだったとか、どちらも一歩も譲らずにいれば、永遠に平行線をたどるばかり。いつまでも憎しみをぶつけ合うことがどれほどの良い結果を生むというのでしょう。結局お互いがいつまでも哀しいままでいるよりも、一緒にしあわせになる道はないものかと、そのエネルギーをもっとポジティブに使えないものなのかと、平和ボケした国の愚かなわたしでさえも、切実に考えてしまうこの頃です。

*1:非常に余談ですが、わたしはこの本に出てくる笑子と彼女の飲むお酒の描写が大好きです。強いお酒をうっとりしながら口に運ぶ笑子の描写を見て、一緒にそのお酒を想像したりしてうっとりしているわたしなのです、アブナイかも