結局のところ、昨日のレッスンは一勝一敗でありました(泣笑)
最初のあいこちゃんはオーディションのこともあったのだと思いますが、めちゃくちゃ張り切って5分前にやってきて、しかも前回見た時から比べると、ものすご〜く上手くなっててびっくり。
これは幸先がいいぞ〜っ!!と思っていたら、次の幼稚園の先生のKちゃんは、まったく音沙汰なし。
もしやわたしが時間を間違えた?と思ったのですが、前日の夜確認メールをしたばかりだし、やりとりはそのまんま、携帯に残っておりました。
さすがにこれは何も言わないわけにはいかずで、さきほどメールでかなりお灸を据えたところです。
はぁ〜
こういう時、さらにどうもうまくいかないとき、決まって聞く玉置さんの1曲がありまして。
これはふぇるまーたにも何回も貼っているので、またかよ!と思う方もいらっしゃることと思いますが、「いつもどこかで」という曲です。
実を言うと、先日、京都から帰った翌日に、セットリストも何も知らず、オットと玉置さんのコンサートに行って・・・
アンコールの最後の最後、玉置さんがひとりで歌った1曲がこの曲だったの。
待って!待って!今これ?
不意打ちでこの曲とは!!
まるでわたしのための1曲のようだわ(うぬぼれすぎ、笑)
久しぶりにこの曲が生で聴けて、わたしは思わず涙ぽろぽろ。
これはわたしにとって、枯渇しかけた母性本能を思い出させてくれる曲なのです(笑)
とりたてて何のとりえもないわたしにとって、この「母性」ってヤツは唯一無二の生命線(手相の線にあらず。生き抜くためには、そこを絶対に守らなければならない、大切な所の方です。)で。
この歌を聴くと、そうだった!そうだった!と思い出します。
君の行くその道が なだらかな道であるように
心ふさぐ 雨の日にも おだやかな気持ちでいますように
切々と歌う玉置さんのいい声を聴いていたら、ちょっとくたびれすぎて、枯渇したかも?と思っていた、いろんな感情があふれてきました。
草ぼーぼーで、どこにスイッチがあるのかわからなくなっていた、「愛」とか「情」とかのボタンが不意に見つかって、固まっていた心が動き出し、どうでもいいかも?と思っていたことすべてに、ちゃ〜んと意味があると思えるようになってくる・・・
ああそうだった!
世界はいつだって愛に満ちている!
そんな風に思えてくる。
ちびっこたちが無心に楽譜を追い、読み上げるドレミ。
小さい手が奏でるつたないけれど、心のこもったメロディー。
めだかの鉢をのぞく澄んだ瞳。
ルナやバロンの、どんなに遅くなってもぶんぶん尻尾を振って、あるいは身体をこすりつけて、迎えてくれるやさしい瞳。
こんなに暑いのに、健気に咲き誇るサフィニアたち。
しがみついてきたことちゃんの涙と汗で湿った身体。
もう一回!もう一回だけ〜!と何度も弾くまーこちゃん。
何度も音を出し、ペダルを踏んだり離したりしては、踏んだでしょうか?離したでしょうか?とクイズを繰り返すりーちゃん。
人間関係が〜体調が〜と常に文句を言いつつも、意外と器用になんでもこなしちゃうアネ。
淡々と仕事にゆき、淡々とお金を貯め、疲れた〜!と言いつつも仕事も遊びも全力投球のオトート。
ゆっくりと日々のルーティーンを正しく繰り返す両親。
暇さえあればさまざまな本を開き、さまざまな原語を口にし、なにかを書き付け、知識を得ることに夢中になるオット。
そしてそして。
いつも自然体でファンを和ませるおだやかな関西弁の人たち。
雨にぬれそぼり、強い瞳で愛を歌いギターをかき鳴らす、決然としたそのプロフィール。
彼らをきっかけに出逢ってきた、やさしいみなさんたち。
わたしを取り巻くいろんな人の姿が浮かんでは消え、ああ、みんな一生懸命生きているんだなぁと思い出す。
君が見た空の光に 輝く明日があるように
吹きすさぶ風の中を ひたむきに歩いていけるように忘れないでどんなときも 僕が君を包んでいるよ
最後は玉置さんにわたし自身がふんわりと包んでもらって、まるで命のお洗濯。
さていっぱいもらったし、今度はわたしがもうちょっとがんばる番。
ちなみに玉置さんのライブについては、もう一度葛飾で見ることになっているので、その時にちゃんと感想を書きたいです。