ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

「ふぇるまーた」にあこがれる

日記に向かうのが久しぶり過ぎて変な感じです。双方の実家に行ったり、お墓参りやお盆の法要をしたり、忙しい時間をあわただしく終えた後昨日から仕事が始まり、今日は先ほど、8時半まで生徒が来ていました。
 オトートが年に一回の検診を受けに病院に行きました。彼を連れて行く仕事をオットが必ず引き受けてくれて、黙って連れて行ってくれるので本当に助かっています。最初に病気の告知を受けた時のトラウマがあって*1その時のショックがあまりにも強かったせいか、今でもオトートが筋ジス科にかかるというだけで、本人よりも誰よりも「わたし」が縮みあがってしまいます。どうしたものでしょう。そんな気持ちを知ってか知らずかオットはいつも淡々と「そろそろ行かなくちゃね」と迷う間もないくらい直前に提案してくれて、連れて行ってくれます。今日もどんなだろう?という不安な気持ちを隠しつつ忙しい仕事の午前中を過ごしていました。幸いにして、オットもオトートもニコニコしながら帰ってきたのでひと安心。わたしはいつ大人になれるのでしょう。
 病気の進行はこれといってなく、卓球部に入ったことも間違ってはいなかったようですし、筋力も心電図の結果もレントゲンの結果も良かったようなので、一安心しています。ああ幸せです。思わずうたたね中の彼の足を手で包んで、足にお礼を言ってしまいました。「酷使してごめんね。本当に良く働いてくれてありがとう!これからも一日も長くオトートのために働いてください」これはアポリジニの本を読んだ時そこで見つけたやり方で、裸足でオーストラリア大陸を歩きで渡っていく部族の人たちが毎日酷使している足にあやまったり、感謝の祈りを捧げたり、もう少しがんばってねとお願いしたりするのをまねているのですが、真剣に足にお礼を言っているうちに、アネやわたしたちの筋肉も、あたりまえのことと日ごろ忘れてはいるけれど、いつも休まず動いてくれてありがたいなあと思いました。
 私はと言えば、4日間の完全オフ日を過ごし昨日からまたレッスンを再開しています。お休みの4日間昼間は全くレッスンのことを忘れていたのに、恐ろしいことに毎晩、夜になると夢の中でレッスンをしていて驚きました。どれもうまく運ばないレッスンの夢。オットに話したら「半ノイローゼじゃないの?」と笑われましたが、今のわたしは全くもって仕事に対して不安を覚えている自覚はないのです。これはどうしたことだろう?と余計気になっています。深層心理の中になんらかの不安があるのかしらん?ユングかなんかの本でも紐解いてみようかしらん?いずれにせよ、レッスンが始まってちょっとホッとしているわたし。「ふぇるまーた」は交通ルールで言えば一時停止のようなマークで、その音やお休みにしばし留まる記号です。*2HNのレインは大好きな江国香織さんの愛犬にちなんでいるという意味もありますが、雨降りの何もできないお手上げ感にあこがれて・・という意味もあるのです。お休みがほしい、お休みがほしいとつぶやきつつ上手に休めない、実は休みなんかほしがっていない自分を考えるととってもへこんでしまいます。つまらない女だなあ・・・・そんなこんなで自分がちっぽけに見える雨降りの夜。隠し切れない本音がポロポロとこぼれてしまう夜。途方もない文章になっていたら明日冷静な目で見直して加筆いたします(笑)

*1:その時は、一人で子ども達を連れて日本の病院にいて、突然予期せぬ感じに打ちのめされたのです。

*2:最近のわたしは音楽記号を交通標識にたとえてしゃべるのがマイブームなのです。