母が無事(骨折の)リハビリを終え退院してきました。
やっと安心できたので、止まっていた時計が動き始めて(笑)
今さらのように3月と4月に深夜集中的にやっていた剛さん編の「金田一少年の事件簿」の編集を始めたり、忙しかった時期のブンブブーンをリピートしたりしています。
この日記では、両親とオトートの近況について書きます。
両親は東京のマンションで暮らしていて、妹やわたしが住んでいるのが埼玉なので。
母が入院したからといって、何をしなくてはならないわけでも、何ができるわけでもなかったのですが…
ずっと母のこと、一人でマンションで留守番をしている父のこと。
いろいろなことが心の重しになって、胃が痛い日々が続いていました。
コロナ禍なので、どこの病院でも一度入院してしまったら面会はできず。
最初の病院に入院した日に少しだけ顔を見て。
転院する日に手続きのお手伝いに行った時にもやはり一言二言交わしたのみ。
父に付き合ったり、母に届け物をしたりで数回リハビリ病院がある原宿へも行きましたが、看護師さんに荷物を手渡し、持ち帰るものを渡されるのみ。
ある意味外部から菌を入れないように、とても徹底していて安心しましたが、さびしい日々でもありました。
母がスマホに不慣れで、最初は電話すらもかけられなくて。
なかなか中の様子がわからなかったり。
院内で2度、コロナ患者が出たり広がったりして、リハビリが全部止まった週があったり。
予想外なことがいっぱい起きて、なかなかに過酷でした。
誤算だったのは、父が一人で病院に行くのが想像以上に大変そうだったこと。
元々ずっと東京に住んでいたし、都心に何十年も通勤していたし。
そこはあまり心配していなかったのですが…
80代の老人となると、いくら慣れていたとしても話は全然違うのでした!
都会の駅の複雑さ、乗り替えのむずかしさ。
なにげない道の段差の多さや歩き辛さ。
人の流れの速さも思い知った気がします。
あの年にしては、毎日1時間の散歩を欠かさず、相当に元気な方だと思うのですが。
それでも足元のおぼつかなさは想像以上で、乗換案内通りの時間に乗れないし。
雨が降って傘が増えようものなら、さらに持ち物もずっしり重く。
少し歩くとぐったりと疲れてしまったり。
ひとつのことに集中しているうちに、荷物を忘れそうになってあぁ!となったり(笑)
ハラハラすることがいっぱい。
にも関わらず、手を貸そうとすると年寄り扱いするな!と拒否するので(笑)
大人になって以来くらいぶりに、しばしば父と言い合いになってはぷんぷんしてました(笑)
入院後ほぼ3か月の日々が過ぎ「そろそろ限界では?」と思い始めていたところだったので、無事予定通り退院できて本当によかったです。
幸いにもリハビリ病院での母は、たくさんのスタッフさんや患者さん仲間と日々話したりする中で、よく喋るようになったし、ずいぶん明るさが戻ってきました。
今までは「とんでもない」と開きさえもしなかった雑誌や本を読むようにもなったし。
「退院までに歩けるようになる」という目標ができて、リハビリにも次第に熱が入り。
本来の負けず嫌いが戻ってきて、昨日電話したらリハビリのし過ぎで足が痛いと言ってました(どういうこと!?笑)
杖をついて部屋の中を歩き回ったり、日常生活は普通に送れるようになったそうで、本当によかったです。
しばらくは、むしろ父がゆっくりできるといいなぁと思います。
ずっと気を張りつめていたようだったし、頭をフル回転させていたので、きっと自分が思っている以上にすごく疲れただろうと思うのです。
父は性格上人に任せるということができないし、そもそも任せるなんてことはしたくないしで、ずいぶんせめぎ合いました(笑)
母が骨折した当初、病院やマンションのケアマネさんから、よく相談の電話があって。
実際こちらと話した方が話が早いと思われていたフシがあるのですが。
ほどなくそのことが父にバレ、父は自分がボケたジジイだと思われていると憤慨して
「娘には余計な電話をしないでくれ」と言ったそうです。
その後も折に触れ、さまざまな問題で久々に父の頑固さと真正面から対決することになり、何がってそれが一番大変だったかも(笑)
父はことあるごとに「娘たちには迷惑はかけない!」と言い。
それはもちろん、離れて暮らしている娘としては、とてもとてもありがたいことでもあるのですが…
もうすぐ87歳になるんだから、そろそろ遠慮なく人に手を借りてもいいんじゃないの?
無理をして父が倒れたら、また別れ別れの日々が続くことになるんだよ?
このまんま何もさせてもらえないまま、父や母と別れる日が来たら、わたしたち姉妹だってものすごく悔いが残るし、なんでもいいからちょっとはさせてよ~なんて。
ある時は懇願したり、ある時は怒ってみたり。
またある時は理屈で攻めてみたりもして(笑)
そのうちに「結局何もできなかった…」という怖い夢を何度も見るようになったりもして。
「行くよ?」「来なくていいから」
「行かせて?」「いらん」
の応酬を何回繰り返したことか(笑)
そんな父は口癖のように「おかあさんのことは自分が一番よくわかっているのだから」と言い。
そりゃそうだと思うのですよ??
今は母の面倒をみたり、母のためにいろんなことをすることが父にとっての生き甲斐だとも理解しているのですが、ほんと頑固!!!
そんなことを山ほど実感したので(笑)
母には何がなんでも長生きしてもらわなければと思う今日この頃です。
かと言って、父のイヤなところばかりが見えたか?というとそうでもなくて。
母が留守の間に何度か父のところへ遊びに行って、ゆっくりお酒を飲みながらわたしや妹が小さかった頃のこと、おじいちゃんやおばあちゃんのこと。
母との出会いや父の半生など、さまざまな話が聞けたのは、とてもしあわせなことでした。
そして今、時々顔を出しては苦労させられている父の「頑固」に家族が何度も助けられて来たこともまた事実で。
やっぱり今もですが、男前で頼りになる父でもあることも実感して。
「人間万事塞翁が馬」なんだなぁ…なんてことを感慨深く思ったりもしました。
それにしても親との関係や親の大事にどこまで関わるかという問題は、やってみなければわからないことがたくさんあって、諸先輩方の苦労がよくわかりました。
長年ご両親の介護や介助に関わっていらっしゃるみなさま、本当にご苦労さまです。
そんなこんな、ただ今ほっとして脱力状態(笑)
やれやれです。
そうは言っても、まだまだ母のリハビリは途上だし。
他にも痛いところがあったり、うまくいかないことがあったり。
問題が山積みでもありますが、兎にも角にも元気になって退院してきて、いつでも連絡が取れるし、父も一人ではなくなったしで、本当によかったです。
なるべくよけいなことを言わないように気をつけつつ、ぼちぼちと食べるものを送るとか、こまめに楽しい電話をするとか…小さな援護射撃できたらと思ってます。
さて。
オトートが今の会社に入って6年が経ち、今月からついに正社員になりました。
筋ジストロフィー症という生まれながらの障がいを持っているオトートにとっては、気象条件ひとつとっても通勤がものすごく大変で。
ハラハラすることも多々ありました。
幸いにも身体が丈夫で、体調を崩すことがほぼ皆無だったこと。
とても慎重な性格なので、無茶をして転んだりということが最小限で済んでいること。
いい意味で決断が早くてキツイと思えばタクシーを使ったり、その辺の見極めが早くて潔いこと。
そして多趣味で常に先々に楽しみがあること。
たとえばジャイアンツの試合に常に一喜一憂したり、監督か?というくらい各選手のことを心配したり(笑)
画面の向こう側に推しがたくさんいて、相変わらずライブだ映画だイベントだ!と常に楽しみがあって。
そのためになんとしても働いて、推しに(グッズやチケ代など)貢ぐというモチベーションがあることも手伝って(笑)
なんとか仕事を続けて来れたんじゃないかと思います。
会社の同僚の方々、上司の方々にもとてもよくしていただいていて、細やかに声掛けもしていただいているらしいです。
本人が至らないこともたくさんあると思うのですが、じっくりと育ててもらい、ありがたいことだなぁと日々感謝の気持ちでいます。
ただ…唯一とびきりの天敵がいて。
となりの席の(多分わたしとの方が断然年が近い)お局さまには、入社以来ずっとサンドバックにされていて。
ぼろくそに言われて弱音を吐いたり、理不尽なことで怒鳴られて怒り狂いつつ帰ってくることも結構あります(笑)
一緒になって「はぁ?何言ってんの?」「なんやとごら~!!」と言い合ったり(笑)
なんでそんなイジワル言うかなぁ?と呆れ果てることも多いですが…
そうは言っても彼女の存在が息子の「なにくそ根性」の着火剤をしてくれてるかも?
と思う日もあって(笑)
ちょっとは感謝しています。(ちょっとかい、笑)
たとえばオトートは、混雑を避けて5時15分には出かけていきます。
さすがに誰よりも会社に着くのが早いので、自主的にみんなの机を拭いたり、キャビネットの鍵を開けたりとしているのだそうなのですが。
「きったない雑巾を使った手はちゃんと洗ってんの?」と子どもに対するように言われたり。
自分はお菓子を食べながら仕事をするくせに、オトートが飴でも食べようものならすごく怒るので。
ポケットにチョコレートをしのばせて席をはずそうとしたところを見とがめられて
「それ、まさか仕事中だというのに、食べるわけじゃないよね?」とけん制されたり(笑)
「トイレがムダに長い、時間泥棒!」と叱られたり(笑)
書類やファイルがなくなるとまずオトートを疑うとか
(彼女の机の中から出て来ることも多いそう、笑)
オトートが失敗をすると、鬼の首を取ったようにいつまでも言われるし、聞こえよがしに、このコ頭悪くて…と日々言われたりもしていて、くそーっ!!と思うらしいです(笑)
もちろんオトートが悪い時も多々あるのでしょうけれど、なかなかでしょ!?
まるで小さい子に対するママみたい。
いつかどこかでご挨拶できる機会があったら
「日々鍛えてくださって本当にありがとうございます。」とにっこり笑いながら、深々と頭を下げ。
白いブラウスの背中に墨汁で黒々と「感謝」と書きたいものです(笑)
ここまで一筋縄ではいかないこともたくさんあったし、本人の心が折れそうになったことも多々あったし、きっとこれからもあると思いますが。
これからも真正面から風を受けずに、上手に受け流したり。
知恵を絞ってたくましく切り抜けていってほしいものだと思ってます。
そんなオトートは、半年前にとてもいい鍼の先生と出会えたので、今は月に一度くらい鍼に通っています。
筋ジスは未だ治療法が見つかっていない難病なので、薬がもらえるわけでもなく、検診に行っても現状を話して記録してもらうだけ。
身体のことで不安に思っても相談できる場所がなかったので、鍼の名医との出会いには本当に心強く感じているようです。
「現状を改善してあげるよ!」と言ってくださる先生に初めて出会えたと言い、とても喜んでいて。
月に一度鍼を打ってもらうほかにも、家で教えていただいた丹田を鍛える呼吸法などもやっています。
家の中も階段が多いので、そろそろ手を入れなくてはと思っていて。
とりあえず手すりをつけるか?と話してます。
わたしたちもだんだんに年を取るのだし、家の住み替えとか改築とかも視野に入れないとと思っているのですが、オトートはこの階段の多い家に住んでいることも、リハビリのひとつと思い込んでいるフシがあって。
これまでなかなか話が進みませんでした。
ライブ会場もまた、球場とか昇り降りがわりと困難な客席も多々あるし。
ライブに行くまでの路線や駅の乗り継ぎ、乗り降りが大変だったりするところもあって。
近年何かと苦戦することも多いですが、だからと言ってライブ参戦や人と会うことに消極的になったりせず、今のところは上手に自分なりの工夫をして出かけてます。
友人もたくさんいて、学生時代の仲良し6人組とはいまだに遊んでいて。
幸いにも大学が福祉学科だったこともあり、友達はみんな元々理解があって、オトートのペースで歩いてくれたり、お店を選んでくれたりもして、助かっています。
オトートはライブのチケットを取ることにとても熟練しているので(笑)
学生時代の友達とライブに行く際は、チケットやグッズはオトートが確保して。
友人たちは荷物を持ってくれたり、場合によっては肩を貸してくれたり。
その辺はお互いにwin×winでやっていることもあるとのこと。
本当にありがたいことだなぁと思うのです。
主要なライブ会場へ行くための駅のエレベーターやエスカレーターの位置、バリアフリーの現状は知り尽くしていて。
昨今はデジタルチケットも増えて、会場に着くまで席がわからない場合も多いのが悩みの種でもあって。
席がわかったら、そこは球場の2階席で。
延々階段を昇ることになったり、逆に降りていかなくてはならない場合もあったり。
新しい心配事が生まれたそう。
でも必要に迫られれば、一人参加でも、スタッフさんや周りにいる人に「助けてください!」と言えるようになったとも言っていて。
無理な状況にあきらめず、ちゃんと人に助けを求めることができること。
どんな小さいことでも、してもらって当然とは思わず、助けてもらったらちゃんと心から感謝して、その場でお礼が言えること。
これだけは…と幼児の頃からずっと言ってきたことですが。
本人の性格にも合ったのか、ちゃんと身に着いたことは、本当によかったと思ってます。
「ねえ、おとうさん!!!」
(↑と、声を大にして父に言いたい!!、笑)
実は孫の中で一番父に似ているのがオトートで、さまざまな場面で自他ともに「そっくり!!」ということが多いのですが。
「プライドが高くて人に助けを借りられない」というところだけは、オトートが父に似なくてよかったです。
(まだ根に持っている陰湿な娘、笑)
これからも先回りして怖がらずに、その場その場で解決しつつ、前へ前へと行って欲しいものだし。
お局さまにも負けないで欲しいし。
日々の医学の進歩も著しいから、いつの日か、治療法が見つかって「いっぱいがんばってよかったね~」と言える未来が待っている!!と信じていたいです。
ふぇるまーたを読んでくださっている方々の中にも、ずっとオトートのことを気にしてくださってたり、応援してくださる方がいて。
時々尋ねてくださる方がいるので、ちょっと詳しく近況を書きました。
本当にいつも、心を寄せてくださって、ありがとうございます。
本当にありがたいです。