一瞬タイトルにお名前を入れてしまおうかと思ったのですが、あまりにも失礼だと思ったので、わかる人にはわかる某現場の愛称で(笑)
ここからはわたしのブログなので、ちゃんとお名前を入れて書きます。
O正月コンサート2021で、久しぶりにシミーさんこと、清水ひろたかさんがバンドメンバーの中にいらっしゃいました。
久々にその音に触れた清水さんは、とてもお元気そうでうれしかったし、相変わらず素敵なギターの音色やフレーズに痺れつつ堪能させていただきました。
清水さんといえば、以前書いた日記の中でとりわけ印象に残っていることがあります。今回コンサートでお姿を拝見し、そのことを思い出しました。
あれは2015年の剛さんのソロライブツアー、TU FUNK TOURのオーラス、国際フォーラムでの出来事です。
その時の感想は、先日のO正月コンサートの感想と、どこか印象が近かったです。
わたしがずっと夢見ていて「そうなったらいいなぁ」と思う世界観が、目の前に広がっていたような気がしたのです。
ちょっと大げさだけど、新年だから披露してしまうと・・・
生きている誰もが、みんな自分の個性を失わずここぞという場面で持てる力を発揮できて。
我慢したり無理に合わせようとすることなく。
人を支配しようとしたり、支配されたりすることなく。
みんな笑顔で、平和に楽しく共存できる社会。
そんな世界になったらいいなぁとずっとずっと思ってて。
2015年の時も、そしてつい先日の「O正月コンサート」も。
どちらも「それってこういう景色じゃないの?」と思えるような素敵ライブでした。
真ん中のKinKi Kidsの気持ちはもちろん、参加されたミュージシャンや音楽家さんたち、スタッフさんたちの想いが、心穏やかに温かく、時に熱い想いに彩られながら、剛さん流に言えば「ひとつ」になったと感じられたライブでした。
きのうの朝、友人たちと発作的に(笑)ひとしきり語り合っていたのですが、最新のコンサートについて語り出すと止まらなくなりそうなので(笑)
今回は、5年前の話の方をご紹介します。
最近、新しくファンになられた方がたくさんのぞいてくださって。
時にメールをいただいたり、時にTwitterで話しかけていただいたりもして、とてもうれしく思っています。
アマプラの影響かな?とも思いますが、KinKi Kids、ファンが増えてるなぁという手ごたえを感じます。
KinKi Kidsをきっかけにソロのことも一緒に知りたいですと言ってくださる方たちもいらして。
ふぇるまーたは別に入り口を分けてもいませんし。
わたしはソロもKinKi もどっちも同じくらい好きなファンなので、それらの方々に、5年前にもこんなことがあってね!・・・と読んでいただけたらいいなぁと思い、再掲します。
ぱ~んとリンクを貼り付けておしまいにしようかとも思ったのですが、あまりにもいらない文章が多すぎるので、少し編集加筆しました。
ああ、あの話ね!という方もいらっしゃることと思われます。
よかったらどうぞ。
さて。
ここから「TU FUNK TOUR2015」のオーラスのあと。
10月12日の日記へ飛びます。
本文は主として昔の日記からの転載ですが、少しだけ割愛したり、読みやすく編集しました。
前後の流れやライブそのものの感想など、まんま読みたい方は下のリンクからどうぞ。
(↓ここからが、少し削り推敲した文章です。)
この日のライブでは
「生まれも性格も個性も能力も体力も違う人たちが、どうやって社会の中でみんなでうまくやっていくか」
というむずかしい問題に希望が見え、答えの一端がおぼろげながらわかったような気がしました。
というのは・・・
目の前で素晴らしい音楽を繰り広げるあの方たちは、17人もいて。
たとえるならひとつの「社会」のようでもあり。
たとえば優等生もいれば、授業中でも立ち歩いちゃうような好奇心旺盛な人もいて。
しゃべりたがり、絡みたがりもいれば、寡黙な人もいて。
自然と真ん中に立つリーダー的存在の人もいて。
上手にみんなを交通整理ができる人もいて。
おっちょこちょいで心優しい人もいるかと思うと、すごくいい場面なのに、途中でこらえきれずトイレに行っちゃうような人もいて(笑)
思慮深く見守るタイプの心強い人もいれば、パワーの塊のように、まずは行動という人もいて。
「ヘンな人」が褒め言葉で。
ガキ大将もいれば、にこにこと少年のような瞳で静かに場を和ませる人もいて。
年齢も経験も様々だけど、そんなことはまったく関係がなくて。
いろんな人種の人がお互いに思い遣りつつ、仲良く共存していて。
みんな全然違うのに、ちゃんとそれぞれの人の気持ちに寄り添うことができて。
誰の痛みも自分の痛みとして感じることができるから、誰かが痛そうにしていると、みんなが痛そうな顔になる。
誰かがうれしそうだと、みんながにこにこと笑顔になれる。
そして「ここぞ」という「場」がくると、誰もがマネじゃない、自分だけの才能とその世界観を遠慮会釈なく発揮できて。
いい空気に満ちているからこその、素晴らしいものが次々と生まれて。
誰が創造したものであっても、みんながみんなの創り出した世界を自分のことのように喜び合える空気があって。
誰にもちゃんとその人なりの役割があって、それがとても尊重されていて。
個が集まって素晴らしい塊になって。
表に出ている人だけじゃなくて、縁の下の力持ちの存在が自然と想像できる空気もあって。
みんながみんなお互いに感謝の気持ちを持っているのが伝わって。
ただただそこにいるだけでしあわせで。
ただただそれを見ているだけでしあわせのおすそ分けをもらったような気持ちになれて。
だからと言ってその小さい世界だけでは決して完結してはいなくて。
排他的でもなければ、定員もなく・・・誰でも受け入れてくれそうな懐の深さがあって。
まさしく理想的な世界観は、創りうるのだと知れたことがただただうれしくてしあわせで。
そんなことをずっとつらつらと、心の奥で考えておりました。
その中で、たまたまツイッターで目にしたシミーさん、ギターの清水ひろたかさんのオーラス前日のツイートに焦点を当てます。
(自分は)誰からも愛されてないような気がしていた。
でも、最近は人の愛情を感じるのだと。
「ありがとう、がんばろう」と。
そんな風につぶやいていらっしゃいました。
一見とても意味深ですが、わたしもわりと当時、いろんなことから逃げ腰だったので、「誰からも愛されていないような気がしてた」という、シミーさんの気持ちに、なぜかとても共感してしまっていて。
その人が人の愛情を感じられるようになったとおっしゃっているのです。
これはひょっとして、あの現場に向けられていたりして?と思っていたら。
そのシミーさんが、最終日のライブでの自己紹介の中で
「つよしくん、ありがとう!」
とだけ2回、短くおっしゃられたのでした。
そのひとことに、万感の想いが込められているような気がしてならず。
もちろん前日のあのツイートがすべてライブ関連ではないかもしれませんが、多分彼の気持ちを変えた一端に、きっとこのライブやこのメンバーたちとの出会いがあったのではないかしらと思えたのでした。
そして。
ひとつ信じられる場ができると、その場所を支えや足がかりにして、他の場所へ行っても人を信じられるようになる気がして。
そういう風に人ってヤツはできているような気がして。
それはステージだけの世界ではなくて、客席から見守っていたわたしたちとておんなじで。
清水さんのあの言葉は、わたしの思いでもあり、みんなの思いでもあり。
このひとつの場所から、自分の世界へと・・・
個が集まって世界はできているわけだから。
ひいては世界中に広がっていけば、争うことなく、みんなが安心して暮らせるのに・・・
この空気をみんなが持ち帰れば・・・もっともっと世界は自由で生きやすい場になるんじゃないか・・・
な〜んて。
どんどん壮大なことを壮大に思っていたことを告白しておきます。
(↑ここまでが主に、シミーさんのお話です。)
そしてここから先は、同じ日の出来事で、同じ日の日記の続きですが、今度は剛さんを中心としたエピソード。
この話も、わたしの心に深く残っている話なので、覚えている方もたくさんいらっしゃるかと思いますが、よかったら。
(↓)
最終日のアンコール後のMCの中で、つよしさんは18歳から24歳くらいまでの間、ほとんど記憶がない・・・という話をしました。
一年に3回くらいしか休みがなかった・・・と淡々と言ってました。
だから今や未来のことは歌えても、過去のことは覚えていないので歌えない・・・というようなお話を。
その話は長くファンをやっていれば、一度は聞いたことがあるものですが、何度聞いても本当に気の毒だし、哀しい話だと思います。
なによりも気の毒だと思うのは、皮肉にもほとんど覚えていないという人は、日本中を見渡してもご本人だけだと思うのです。
当時の彼は知らない人がいないくらいの超有名人で超人気者で、表舞台で八面六臂の活躍をしていた頃で。
この日、会場に集まったすべての人たち、ステージに立たれたすべてのメンバーさんたち、裏方さんたちも含め、誰も当時の彼は誰の心にも強烈な印象を残しているはず。
なのにあんなキラキラの中にいた当のご本人だけがそのことをほとんど覚えていないだなんて。
本当になんて痛ましい。
そんな話が繰り広げられている中、時間になったのか、ひとり、またひとりとメンバーさんたちが話しの途中に割って入るように、次々入って来られます。
DUTTCHさんがにこにこしながら、つよしさんのお尻に触れつつ定位置へ。
さらにタイジさんもまた、まるで親戚のおっちゃんみたいににこにこと、やっぱりつよしさんの身体に触れながら通り過ぎます。
つよしさんは「なんなの?きのうといい、今日といい、ボディータッチが激しくない?」と半ば茶化しておりましたが、多分そのみんなの寄り添う気持ちはびんびんと感じていたのではないかしら。
その後から入ってきたつよしさんと同世代の渉さんは、つよしさんとしばし目線を合わせて、小芝居・・・からの爆笑の流れ。
仲良しっぷりにほっこりです。
表に見えている部分は穏やかなじゃれ合いですが、その「真意」はちゃんと会場に伝わっていて、笑いながら心で泣いている・・・みたいな。
(この辺りのやりとりは、確かどこかのおまけのDVDの中に残っていたような。)
普段から飲み会などで、誰かが悲しい話をすると、みんなで泣いたりするという話をしてました。
誰にでも寄り添い、誰の気持ちにもなれる、この集団の強みを目の当たりにした気がしました。
メンバーさんたちは剛さんが語っている間、裏でつよしさんの話を聞いていて。
きっと心の中でつよしさんの痛みを、一緒に強く感じていたんじゃないかな?
いろいろと思うことがあったんじゃないかな?
そんな風に思えてなりませんでした。
つよしさんはあえてそこを強調しなかったけれども、メンバーさんたちが言葉じゃないところでつよしさんに伝えたかったであろうことを、実はちゃんとわかっていたように思いました。
ボディータッチや、ふざけているみんなの表情に、言葉にできないやさしさとか、思いやりとか。
「キミのことはみんなちゃんとわかってるよ!大丈夫。ここにいるよ」
そんな空気が満ち満ちていて。
そのMCを経て歌われたのが「今あなたと生きてる」だったわけです。
「世の中誰もが痛みやどうにもできない過去を抱えて生きてます。そういう人の背中を押してあげられたら」
「誰かの痛みや苦しみは全部は理解してあげられないし、その人にしか解決することはできない。」
「大切な場所や人を思い浮かべて聴いてもらえたら。」
と、この辺りは多分ほとんど決まり文句。
違う日のライブでも聞いたくだりですが、この日はいやおうなしにつよしさん自身の痛みや過去が浮かんで、彼の言葉をそのまんま彼その人に投げてあげたいような、そんな気持ちで聞いていたら、なんだか瞳に涙が浮かんできてしまって参りました。
目の前で繰り広げられたできごとを目撃したあとで、この歌を歌われた日には、この曲が沁みないわけがなく。
そのまんまあのホーンのイントロが流れただけで、すでに涙腺が決壊!あっか〜ん!
あの場面はその後もずっと覚えてます。
これからも「わたしはもしかしたらひとりかもしれない。」と思いそうになったとき、折に触れて思い出すんじゃないかと思います。
きっと気がついてないだけで、いつだって誰しもひとりなんかじゃないのだと思うのです。
ラストのラスト、シミーさんが「つよしくん、ありがとう。」と言ったのとタイミングを同じくして。
タイジさんが「これからもつよしくんをよろしくお願いします。」と言ってらしたのもとても印象的でした。
またしても、頼もしい親戚のおっちゃんみたい!とほっこり(笑)
あんなにギターの上手なパッションのあるおっちゃんはなかなかいないと思うけれども、タイジさんもすっかりともう仲間の一員で。
もちろん他のみなさまも。
ほんとによかったね〜つよしさん。
「愛をしてる」「愛をしたい」とひとりマイクに向かいながら、涙で歌えなくなったあの頃の彼(かつてのsi:ライブ、確か大阪ですよね?)はもういません。
今、彼はたくさんの愛に囲まれて真ん中で堂々と笑顔で立ってらっしゃいました。
ちなみにもう一箇所だけ、堪えきれず涙を拭いた場面があったのですが、それはバンマスの「じゃがいもの袋」の話の時。
確か会場に入り、持ち物から当日履く靴を取り出そうと袋を開けたら、中身は靴じゃなくてじゃがいもだったという話だったと思います(笑)
こちらは笑いすぎて涙が出て止まらなくなったのでした。
(↑)
というわけで、長々以前の日記を引用しました。
ね?ね?剛さんはあの頃とちっとも変っていないと思いませんか?
そして、ここからはわたしが勝手にここのところずっと思っていることですが…
この日記を書いた翌年、アリーナツアーで「お互いのソロコーナーを入れよ!」と進言したジャニーさん。
あのツアーが、ふたりがソロとKinKiとの垣根をさらに取っ払うきっかけとなった気がしていて。
あの時の進言は、特に剛さんにとって、とても大切なターニングポイント。
今にして思えば、生前のジャニーさんからいただいた、最大級のギフトのひとつだったのでは?と感じています。
その後また剛さんには大きな試練がやってきて(涙)
今もその苦労、苦悩、たゆまぬ努力は続いているわけですが…
あの時に取り払ってもらった垣根のおかげで、リズムをつかまえやすいFUNKアレンジを取り入れられるという選択肢も生まれ。
たとえ剛さんが不調な時であっても、より彼の耳がリズムや曲の入りを見失いづらく、不安が少ない状態で歌えているようにも思えるし。
それとは別に、剛さんがKinKi Kidsの音作りにも本格的に関わり始め、新鮮なクリエーションが次々と生まれている手ごたえも感じます。
光一さんもまた、FUNKアレンジの中で、今までとはひと味違った魅力的なダンスセンスが可視化され、開花している気がするし。
今またKinKi Kidsに新しい可能性の扉があちこちで開いている気がします。
何よりアリーナツアーのソロコーナーがなければ、KANZAI BOYAは生まれなかったことでしょう。
そして今、大変なコロナ禍にあって。
KinKi Kidsはいろいろな人の気持ちに寄り添ったり、寄り添われたりしながら、ふたりがいい距離感と絶妙な役割分担のうえで、ステージに立っていて。
そんな人、そんな人達の姿を見て、相変わらず心強く思いつつ、勇気をもらっている気がするわたしなのでした。
今、新年始まってややしばらく、少しずつ助走中なのですが、だんだんに調子が出てきたら、今のKinKi Kidsについて、あらためて熱く語りたいです。
いつもふぇるまーたを訪れてくださって、ありがとうございます。
拍手や拍手コメント、スターなど、心を伝えていただいて感謝です。
Y.S.さま:身体を動かせる機会、またできるといいですね~
いつも近況を聞かせてくださって、ありがとうございます♡早く収束しますように!!