ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

天川村とグリーンゲイブルス

復活の狼煙を上げてから、たくさんの方にメッセージや拍手、Twitterの「いいね」をいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

本当にいつもありがとうございます。

さて。

10月のおしまいごろ、また天川村界隈を旅して来ました。

よく「本当に天川に何度も行きますね。どこがそんなに魅力なんですか?」と聞かれます。

そのたびに、なんでだろう?と思ってました。

ちまたでよく言われるように、かの地がスピリチュアルな聖地と思っているわけでもなく。

(実は天河神社宮司さん方も、否定こそされないけど、かの地を聖地とは思われてないように見えます。日々、山の中で、実直に太古から伝わる八百万の神さまと向き合い、祈りを捧げていらっしゃる、その姿勢はとても好ましいです。)

宗教的な側面に興味があるというほどでもなければ、山歩きは好きだけど、登山が趣味というほどでもなく。

知的好奇心に従ってというほどでもなければ、風呂好きとわざわざ言うほどでもなく(笑)

好きな人が好きって言ってるところに行ってみたい・・・と思ったのは初回だけ。

さすがに今となっては、すっかりその観点は切り離されてます(笑)

ただ、必ずウォークマンとスピーカーを持っていって、彼の声をかの地で聴くのは必須!

これはいつの間にかオットもそうなっているのがおもしろいところではありますが…

おっと話が逸れちゃった。

それでも、いろんな方に聞かれるものですから「なんで天川がいいんだろうなぁ?」はずっと考えていて。

不意に先日「100分de名著」の赤毛のアンの回を見て「これだ!」と気がつきました。

(ちなみに何度か語っていますが、わたしにとってモンゴメリ赤毛のアンシリーズはバイブルのようなもので、好きな箇所は何か所もほぼ暗唱しているくらい読み込んでいます。)

そうでした!!まさしくそれ。

わたしにとっての「天川村」は「赤毛のアン」のアンにとってのグリーンゲイブルスなのでした。

本当の故郷ではないけれども、故郷に帰って来たような気持ちになれるし、美しい自然の中に分け入ると、子供の頃のままの素のわたしが出てきます。

山が身近にある場所で幼児期から中学まで育ったのもあるかもしれないけど。

どこへ行ってもそろそろ責任を持って動かなきゃなお年頃になってきて。

とはいえ、さしたる不満もなく、吐き出す必要もさして感じているわけではないけれど。心の奥底に溜まっているものもあるのかも?な昨今。

素直に自分を取り戻せる場所ってこの年になると貴重な気がして。

そんな場所ができた幸せを思います。

山も川も木も、目に映るすべてが愛おしくて、どこか懐かしくて。

会う人会う人、みんなとても素朴でまっすぐで親切で。

子どもの頃のまんまのわたしに戻って「きれいだなぁ」「素敵だなぁ」「おいしいなぁ」と、ひたすらに興奮したり、喜んだり、出逢った方々に心からの「ありがとう!」だけをまんまの気持ちで言える場所。

この年になると、もう自分のことだけ考えてるわけにもいかず。いろいろと心悩むシーンも増えてきましたが。

ここでは荷物を一旦降ろして、心が動くままに開放していいところ・・・という感じかな。

そのせいか、いつも子どもみたいに8時くらいから眠くなって、10時までだってムリ。起きていられないくらいだし(笑)

朝は朝でのんびり寝ているのがもったいなくて、早く早朝の山の空気の中に分け入りたくて、5時前には目が覚めます(笑)

そんなところも、寄宿舎(クイーン時代)や、結婚前、社会人として下宿(高校の校長先生の時代)からグリーンゲイブルスに帰省してきたアンとそっくり!

ふと、いろいろと「かの本」との共通点を思い出してふふふと笑ってしまいました。

 

いつも行く宿のおばちゃんは、ちょっとだけ人見知り。

元々、そんなに口数が多い人ではない方ですが、宿に着いたら、向こうからこちらへ歩み寄りつつ「わたしたちだ!」と気づいた瞬間、はっきりわかるほど表情が変わって。

その顔にゆっくりと笑みを広げていって「まあ!久しぶりやね。」「ようきたね!」と言葉少なに、でも愛情深く迎えてくださいます。

そうだ!彼女はどこか「マリラ」に似ているのでした。

無駄に笑顔を安売りしたりしないし、営業トークもしない誠実さがあって。

思わないことはきっと言わないであろう方だから心からの「ようきたね」がとても沁みます。

お部屋に通されると、もうちょっと前から、ちゃんと炬燵が温められていて、早々に足を突っ込んで、ゆっくりとお茶を入れてくださる時間の至福。

そんなおばちゃんがたまに笑うと、まるで花が咲いたように周りがふわっと明るくなって、心にも灯りが点ったような気持ちになります。

いつかおばちゃんのように、人をほっとさせる人になりたいな。

かの地に行くと、想像の余地がたくさんあって。

不意にふわっとインスピレーションが湧いたり、仕事のアイディアが浮かんだり。

あるいは日常の中で、頭の中にいっぱい溜まった心の澱みたいなものが、気がつけば消えていたりもして。

帰りはいつだって心がとても軽くなっていることに気がつきます。

神さまに手を合わせる時間は、自分の心との対話という気がするし。

山の懐に抱かれているととてもとても安心で。

生命の源にとても近いところにいると、自分もその一部、パーツの一つになったような気持ちになります。

鳥の声、雨音、水の流れる音。

そのすべてが快くてどこか心がふるえる音楽のようで。

ああ、好きだなぁと心から思うのです。

オットもまたかの地を大好きですが、わたしの好きとオットの好きはまた少し違っていて。

オットの方は古事記役行者、仏教や神道神仏習合やお経や祝詞の中身など、知的好奇心を刺激されているみたいで、日ごろからたくさん過去の文献を読んだり勉強したりして、その知識を持ってかの地に行って、いろいろと見識を深めたいらしいです。

なので、話題もまた、古事記にこんなことが書いてあっただの。

あのお経は、だれだれのご真言は、役行者は・・・などと、いろいろ好きにつぶやいていて。

わたしは横で紅葉の葉を見て「きれい~@@@@」なんてひとりごちたりもしていて。

同じものを見ても全然違うことを考えていたり、感じていたりもするのですが(笑)

それもまた楽し!!(雑なまとめ方、笑)

先日も、早速「次に行くとしたら雪の頃にバスで行くのもいいね・・・」の話もしたところです(笑)

旅の話ももうちょっと詳しくしたいところですが、とりあえず今日のところは、Twitterにあげた旅の画像を一枚だけ挙げておきます。

山の上の方へ行くほどに、少しずつ紅葉が始まっていて、とても綺麗でした。