ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 shamanipponーロイノチノイ ひと手間かけて、感想文 その3 「ヒトツ」

この一連の日記のタイトルの綴りが間違っているというめっちゃ恥ずかしい過ちを犯していることを、夕べになって気がつきました。
もちろん覚え間違いをしてたわけでもなく、最初に作ったタイトルを単純にコピペしたから間違えたままだったわけですが、いやだなぁ。ほんとにもう。
というわけで、いきなり愚痴から入ってしまった(笑)
気持ちを切り替えていきます。
ここからは順不同です。
そもそもが自己満足企画なのですが、いつも計画倒れになるパターンなので、このテーマについては、ちょっとずつ、自分が書きたいと思うところからコツコツと書いて行こうと思います。
思い入れのある順とか、好きな順とかじゃなくて、時間がある時とかない時。分量により伸び縮みさせつつ書いていきます。
なんだかこれが一番好きとか、これが一番大事と言葉にするのをためらっています。どれも好きだし、どれも大事なのでとても選べない(笑)
と言いつつ、マッキーのカヴァー集とか、ショパンも聴いてたり。何しろいつだって音楽に触れていたいです。
この間、充電があまりにも短くなって、とうとうウォークマンを買い替えたのですが、新しいのには充電器にもなるスピーカーがついていて、キッチンでいろんな作業をしながら充電しつつ音楽を鳴らすのにぴったりです。
今日は「ヒトツ」について書きたいと思います。
この曲は通常盤の「ふつうよし」にしか入っていないのがとっても残念です。
平安神宮のブルーレイも持っている方には、ぜひぜひ聴き比べていただきたいと思います。
ふたつの「ヒトツ」は全然違う風に仕上がっていて、とてもおもしろいです。
「ヒトツ」をわたしが一番最初に聴いた日は、多分この日、2012年9月14日です。一昨年の平安神宮公演の日でした。
ちなみに、この日初聴きの時の感想はこんな風に書きました。
多分…今の方がこの曲のことをずっと好きです。最初は正直に言うとあんまりピンと来てなかったかも。
彼の音楽は、初聴きでどーんと好きになるもの、時間をかけてゆっくり好きになるもの、いろいろあるのがおもしろいです。
日記文中では「これが来年アルバムに入るとしたら…」と書きましたが、実際には2年経ってアルバムに入りました。
わりと最近、Blu-ray「ヒトツ」でこの曲はたくさん聴いたので比較的近い記憶なのですが、アルバムを聴いた時のこの曲の第一印象は「全然違う!!」という新鮮な驚きでした。
もちろんイントロのギターに明確なメロディーが入っていたり、楽器を弾いている人が違っていたり、すぐにわかる変化もあるのですが、全体として流れる空気が全然違う気がして…
何が違うんだろう?どこが違うんだろう?
と何回か繰り返してみて「多分これだなぁ」と思ったことがありました。それはドラムの音です。
聴き比べてみたら、一目瞭然。びっくりするほど違いました。
平安神宮の「ヒトツ」の時のドラムはDuttchさんで、アルバムshamanippon-ロイノチノイでは屋敷豪太さんが弾いてらっしゃいます。
どちらかが寄り添うように包容力のある音で、どちらかがどちらかと言えば攻撃的?とも思えるような熱い音…だとすると。
一見若いDuttchさんの方が熱い音を鳴らしそうなイメージですが、逆なのですよね〜
Blu-ray「ヒトツ」ではDuttchさんがとてもやさしく、決して主張し過ぎずつよしさんの歌声に寄り添っているのに対し、アルバムの豪太さんの音はとてもとても熱いです。
こういう曲を表現するとき、一般的にはPPから始まって徐々にcresc.というイメージがありますが、豪太さんのドラムはわりと最初の方からテンションが高いです。アプローチそのものが違って聞こえます。
そもそもつよしさんの歌声は終始凪いだ海のようにとても静かで、一見穏やかだけれど、この歌の詞をよく聴くと「どうしてヒトツになれないんだろう。」という強い気持ちがこめられています。
メロディーラインもごくごくシンプルだし、繰り返しも多いので一篇の「詩」のようです。
つよしさんは、そんな曲をあえてあえてあまり感情の振子を揺らすことなく、一見穏やかになめらかに歌うことを選んでいる気がします。
まったく関係のない話ですが、BARFOUT!の中で山崎氏が、新幹線の車窓の飛んでいく景色、音があまりなくて景色がただ流れている、日常のような非日常のような、あのサイレント感が独特…という話をしていて、つよしさんも同意してたけど、その話を聞いてからというもの、この曲を聴くたび新幹線の車窓を流れる景色が思い出されます。
詞はどこか非日常的、抽象的で、一見さらさらと車窓の景色のように飛んで行ってしまうような。どこかちょっとつかみどころのない感じ。
でもそんな風だからこそ心に残る、余韻が残るような感じもあって。
心の奥深いところにある「どうしてだろう」という感情が、時間の経過とともにさらにくっきりと浮かび上がってくるような、そんな気がします。
そういえばこの曲は平安神宮Blu-rayのタイトルでもあったわけで、つよしさん自身の一見秘められた?ようにも見える思い入れは、底の方で沸々としているのだと思われます。
一方で豪太さんのドラムは、時に傷つけ合わずにはいられない人間に対する怒りだったり、なんでわかりあえないんだ!という嘆きだったり…そういう気持ちが率直に前に出ているように聞こえます。
その豪太さんの音が、つよしさんのどこか儚げで遠くに行ってしまいそうな声を、現実の方へ強く引っ張ってくれるような不思議な感じ。
このふたつの声&楽器の異なるテンションが、距離を縮めたり離したりしながら、一方的な主従関係(ちょっと言葉がヘンだけど伝わるかなぁ。)ではなく、ポリフォニー?まるで対位法で作られてるかのように、絡み合いつつ進行していくように聴こえるのですよね。おもしろいなぁ。
そして全体として冷たくもなく暑苦しくもなく、ちょうどいい温度に仕上がっているように感じるようになっているような。
そしてよく耳を澄ますと、平安神宮ではDuttchさんが鳴らしていたような、ものすごく包容力がある音の部分を担っているのはベースの音のような気がして、あれ?この音を鳴らしてるのは誰?と気になって通常盤のアルバムジャケットを引っ張り出してみたら、ベースは上田健司さん、ウエケンさんではありませんか!!うっわ〜、すごくわかる気がする…と思ってしまった。
なるほど彼らしい、ものすごく体温が伝わる温かい音だなぁと。
ギターは名越、平岡夫妻の名前があって、ご夫婦でギターっていうのも珍しくないですか?ちょっとびっくりしつつ、このギターの音たちにも人肌のとってもやさしいぬくもりのようなものを感じて、さもありなんと思ってしまいました。
ここに要所要所、キラキラとした美しい透明感のある音を添えているのがSWINGOさん。
全体として強い意志とか、清らかでまっすぐな気持ちとか、人の愚かさを嘆きつつも、やっぱりそれでも人のチカラをどこかでちゃんと信じているような…そんないろんな気持ちが混ざり合ったイメージを持って聴いています。
平安神宮で聴いた時のバージョンと比べると、歌詞を書き出してみると、長さが3分の1くらい減っている感じで、2番をまるごと削ったような感じです。
どうしてこの部分を削ったのかな?とかそんなことを考えながら聴くのも楽しいです。
雑誌では「豪太さんが、必ず歌詞を読んでからレコーディングに入られること。」に触れられていました。
またつよしさんは、京都のご出身でふるさとも近く、プライベートでもお会いしたりとても仲良くしている豪太さんには、普段自分が言っていることを、言葉にしなくても京都人の脳みそで理解してもらえていると感じていると言ってました。
よく読み直してみたら、CD Journalの真保みゆきさんのインタビューで「ヒトツでは豪太さんの感情が相当高ぶっている」と触れられてました。
確かに!確かに!ああ、やっぱり。
こんな風に静かで歌が前に出て主張するバラードにおいても、楽器がどれも伴奏にとどまっていないところが、わたしはこのアルバムがとっても好きなところのひとつです。
「みんなで作り上げた」音楽のひとつなんだなぁということを強く意識しました。