ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

shamanipponーロイノチノイ ひと手間かけて、感想文 その2

3誌を読んで、なんとなく全部読んだ気になっていたのですが、なんか忘れてる。あれ?と思いつつ土曜日に掃除をしていたら、おぉ、ベッドサイトに置きっぱなしの一冊が!!そうそう忘れちゃいけない、BARFOUT!さん。
これを省いちゃダメでしょ。ということで、あらためてこの雑誌にも目を通しつつ、まだまだ探究の旅は続きます。
さっき下の日記を掲げて、ちょっとだけ書く勢いがついてるので(いっぱいひっかけて酔った勢いで書いちゃえ的な。もちろん酔っぱらってはいませんよ。午前中ですから、笑)勢いのまんま次行ってみよう!
さて次は何を書こうかなと考えたときに、わたし的に今回の雑誌群で長年なんとなく「ほんとはどんな気持ちなんだろう?」と知りたいと思っていたことが、鮮明になってすっきりとした!と思ったことから書いてみようと思い立ちました。
なので今回はこのテーマ。
「ジャニーズであることとソロワーク」
について書いてみます。

ジャニーズのグループに所属している人がソロや別グループでも音楽活動をするというのは、今でこそいろいろ他にもやっている人たちがいますが、多分先駆者的な人と考えるとやっぱりつよしさんなんじゃないかと思います。
そして、ずっと長く見てきた身としては、やっぱりその時々で、ある時はなりふり構わず思いきり心踊ったり、いろんなことを言われているのを目にして一緒になって心が痛んだり、いろんな感情が生まれつつ、応援してきたわけですが…
音楽と人で、つよしさんはこんな風に言ってます。

「ほかの仕事はしなくていい。音楽をやっているので」くらいの意志を示さないと、ジャニーズという場所では革命は起こせないと思ってた。

虚勢を張らざるを得ない。かたくなさこそが命綱だった頃。

でも、今はそうではない。

そこからいろいろあって、周りの意見を咀嚼して、かみ砕いて自分が年を取ってもできること、何だろうと思って生まれたもの。
音楽だけじゃなくて、ファッションでも、書でも。
いろんな方向でアクションを起こせる場所ができたのは僕にとってかけがえのない出来事

そして、それに対して何年にも渡り、彼の音楽を見守り、インタビューをしてくださっているライターの三宅氏は「今は健康的なバランスが取れている印象がある」と評してらっしゃいました。わたしもとってもそう思います。

そもそもつよしさん自身が自分がアイドルだということを否定したり、そこから逃げようとしたりしたことはない。
ちゃんとどちらの場所も大切にしながらお仕事をしている人だととわたしは思っているのですが、今回もう一歩踏み込んで、三宅氏が「アイドルという出自だったからこその弊害と彼だからこそできたこと」というテーマで話を振ってくださっていて、ああなるほどと思いました。

二足の草鞋を履くことによって、時間や活動形態もかなり制限されていたという側面もあって「そのいらだちを隠さない時期もあった。」と三宅氏。
確かに音楽と人に取り上げられるようになって2年目くらいのインタビューかな?わたしも多分そんないらだちがにじんでいるように思った時があった気がします。

インタビュー本編とは別途書かれた「Editor's File」の中でも「(ジャニーズとして重ねてきたものを)すべて捨てて一から始めればいいじゃないかと言う人もいるだろう。しかし、その場所(アイドルという場所)を捨てなかったのは、育ててくれた事務所や人たちの恩を、かけてもらった愛情を裏切りたくなかったというやさしさ。想いがそこにあったからこそ」
と書いたあとで

もうひとつ。堂本剛という存在で居るおかげで、他のミュージシャンにはまず不可能なアプローチの音楽への向かい方ができることに彼は気がついたのだ。

という風におっしゃってます。
この視点はわたしにとってはとても新鮮でした。そうですよね〜
他のミュージシャンには不可能な常設会場、tankやshipを作ったり、さらにクリエーション上のコンセプトとはいえ、作ったものをあっという間に壊してしまうという行為そのものが、彼がパっと出のミュージシャンではなく、すでにアイドルとしての知名度や地位があったからこそ許され、実現できたこと」と触れられ、つよしさん自身もそのことをちゃんとわかって、多方面に感謝しつつやっている一面もあるのですよね。

一方、Rolling Stone誌では「現在は理想的な環境に見えるけど、ここまで来るには一筋縄ではいかなかった?」という問いに対して「とにかく大変なことしかなかったですね。ラクなことは何一つない。」と答えてます。

たとえば楽曲を作るために楽器を覚え、音楽ソフトの使い方を覚えたり、あとは写真や映像を始めたり、音楽から始まって枝分かれに対してどれも真剣に楽しく(って書いてありましたよ!素敵!)やったと語ってましたが、それは見ている側にもちゃんと伝わってました。

さらにそのもっと前、事務所にこういうものをやりたいとプレゼンしたり、うまくいかないことを人任せにせず、自分でなんとかしようと働きかけたり、自分で人脈作りをしたり、そうやって道の途中でもがいている姿はとっても印象に残っています。
最初にファンクをやり始めた頃は、たとえばベースが鳴り始めただけでは「ウオーっ」とはならず

お客さんも何が始まったのかわからなくて「これはすごくかっこいいことで、クールでめっちゃ楽しいねんで」って伝えることから僕の音楽はスタートしたんです。

な〜んて言葉はまったくその通りだと思ったし、ほんとに最初は始まった音楽に対してどう乗っていいかもわからなかったところから始まって、今では昨年のドリフェスで音が鳴った瞬間に「キャーっ!!」ってなるところまで連れてきてもらったのですよね〜

それら来し方を思い出すと、ほんといろいろ感慨深いです。

tankの頃には音楽もMCも楽器のアドリブも、最初はいろいろと探り探りぐるぐるしていて、自分のその頃のプライベートのなんやかんやとも微妙にリンクして、スゴイ!楽しい!と聴いてて引っ張られて辛い!苦しい!も…同居している部分もあったけど(笑)
この方は本当に実践しながらメキメキとスキルを上げていく人で、その音楽や楽器演奏はもちろんのこと、前回のラカチノトヒの時のアルバム発売イベント時のプレゼンテーションのようなアルバム語りは本当にものすご〜く興味を持たせ、楽しませてもらったし。
ライブにしても、MC。ライブの構成。即興。いろんなことの流れやバランスがどんどんわかりやすく、ノリやすくなってるのを肌で感じます。

「アイドルの趣味が高じたものだろうと皮肉る人たちもいたが、彼は10年以上かけて、自分の力で音楽シーンに場所を作り、そんな声を黙らせた。」と三宅氏。
「何よりも今、つよしさんがしあわせそうに見える」と三宅さん。わたしも実感的にそう思います。

お客さんとの関係性のみならず、サポートしてくださるミュージシャンのみなさまとも、最初はジャニーズだから、アイドルだからという壁にぶち当たってきたのだそうです。
でも何年も一緒にやっているうちに積極的にサポートしてくれるようになり、仲間を呼んできてくれたりもし、同じ過程を経て仲間が増えてきたのだとか。

だからと言ってその人たちに気に入られるために、ジャニーズとアイドルを今さら止めようという気にもならないですし。それは僕に根付いているものだから。

すべてはきっとここへ帰るのだろうなぁと思われます。

物理的なことで言えば…CDの置かれるコーナー。顔が前面に出たジャケット。既存のやり方を変えるだけで大きく間口は広がるのかな?とも。
そういえば、たとえば歌がうまいとか、曲がいいとか、最近は普通にいろんな聴き手の方に言われることがすっごく増えている気がするけど、そこにつく「ジャニーズにしては」とか「ジャニーズなのに」という言葉を見ると垣根の高さというか、根強さを感じたりすることもあります。

まったく関係ないわたくし事だけれども、「音楽が好き」「わたしも」「一緒一緒!」と盛り上がりかけて「実はクラシックもやってて…」と言いかけると「なんだ。じゃ仲間じゃない」みたいな雰囲気になるのと「ジャニーズだから論」はどこか似ている気が常々していて…
そんな崇高なことをしてらっしゃる方とはとてもとても〜(笑)みたいに変に持ち上げられたり(もちろん誤解、笑)とか、そんなヤツにロックやファンクがわかるわけない。わかったような顔すんな!…という侮蔑が混じったような複雑な感情をぶつけられる感じ。
これと、ジャニーズの人たちが受ける「どうせジャニーズだろ」「ジャニーズにしては」な偏見とは、どこか似ている気がします。
たいした差ではないと思うのになぁ。人間の気持ちってヤツはどこか複雑で、めんどくさいです。

つよしさん自身は

自分が芸能の世界で積み重ねて来たもの…たとえばお芝居とかバラエティーに出ることとか…そういうこととソロの音楽活動は共存しえないと思っていた頃を経て、今にたどり着いた。

shamanippon」という活動を始動してからは、マインドは変わってなくて「僕たちが未来を生きるうえでの方法論を音楽で表現するならこうだし、ファッションで表現するならこうだし、写真を撮るならこうというその感性を楽しんで発信しているというか。」

という風に音楽と人で語ってました。

今までは別のことだと思っていた、もうひとつの場で経験したり、発信してきたりしたこと。
たとえば写真に撮られたり、ファッション誌を飾ったり、バラエティーで培ったもの、そのひとつひとつが矛盾せずにshamanipponというひとつの活動の中でどういう風にでも発信でき、生きてくる。
趣味の書道、生け花なども併せて

本来なら、異なるものが混ざり合うのってむずかしいことだけど、自分の場合は幸運にも共存させていくことができる。

と語っていて。
その発想の転換で彼はずいぶん楽になっただろうし、ものすごく彼の背中を押すだろうし、いろんなことから自由になったのではないかと思いました。
これもまたジャニーズとしてていねいに積み重ねてきたものがきちんと彼の表現の中に組み込まれていることの証明でもあるし、どちらも捨てずに辛抱強くがんばったからこそたどり着けた境地でもありますね。
今後もそうやってふたつの場所が上手に別々に機能しつつ、一方がもう一方の活動に刺激を与えたり、化学反応が生まれたりしてもっと高いところに昇っていくのではないかという大きな大きな期待が生まれました。
そっか。そう考えると、一見ちょっと不思議に見えた「めざましテレビ」や「めざまスカイ」でのロングインタビューも、ちゃんとshamaniponの活動の本流をアピールするのひとつのプロモーションだったんだなあと気がつきました。

いずれにしても、どの場面を生きていても、とにかく一生懸命に「自分はこうなんです。」って生きれば、辻つまは合うのかな?って感じはしてるんです。だから、今の自分の状況は客観的に見ていて、すごく面白いです。

ああ、こんな風に思えるようになったのなら、きっと無敵だなあ。とっても頼もしく思ったし、これからの活動がますます楽しみになったので、そう書いておきたいと思います。