ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 5月20日 オールナイトニッポンゴールド その2 拓郎さんの音楽論

(ちょっと慌てて外出前に書いたため、文章が重複してたりつながりがおかしかったりしましたので、大幅に加筆、推敲しました。)
今朝起き抜けにツイッターで「原宿の看板」の画像を見ていてもたってもいられなくなりました。
ああ、あの魅惑のshamanipponのDVDが間近に迫ってる!
そしてこのところかわいいつよしさんや小綺麗なつよしさんにやや見慣れつつあったわたしですが、この看板のなんともいえない色気ダダ漏れなつよしさんに、一気に「こっちへおいで」と手をぎゅーっと引っ張っれた気分(笑)
ああ、わたしには時間がない!とっととカバのまとめをしなければ!またどんどん時間軸がずれていく・・・(涙)
というわけで、おいでおいでしている原宿つよしさんの手を振りきって、とりあえずカバエントリーの続きをば。
このエントリーは下の文章の続きです。
『☆カバからの「人生を語らず」の話。』のところをちょっと細かく書いてみます。
つよしさん、そしてつよしさんファンにとってはとっても興味深い、うれしいお話満載ですので、もしまだお聴きになってらっしゃらないという方がいらしたら、ぜひぜひ読んでみてくださいね。
まずは拓郎さんの語る音楽論のお話の出だしのところをちょっとだけご紹介してみます。
音楽にはその人が聴いてきた土壌というものがあり、たとえばインドの音楽、シタールが常に鳴っているような音はインド人には耳慣れていても、日本人には日本人に合う音楽というものがある。
さらに音楽には好き嫌いというものもあって、誰もが好きなもの、誰もが嫌いなものというのは存在しない。
最初、拓郎さんはつよしさんが「人生を語らず」をカヴァーしたいと言って来たとき無茶だと思ったそうです。
なぜならば、あの歌は70年代に彼がもの凄い血気盛んで血の気が多くてエネルギッシュで、誰にも音楽なんか負けやしないと、もうもの凄い自信に満ち溢れてて、肩で風切って歩いてる頃に吹き込んだ歌だからだそうです。
どうしてもあれに勝てるもんがあるわけないと思っていたそうです。
実際拓郎さんには拓郎さんのコアなファンがいっぱいいて、彼らにとっては、あの70年代の吉田拓郎の「人生を語らず」を越えれるわけない、あそこの解釈しか解釈のしようがない、70年代の元気な吉田拓郎というひと通りの解釈しか持っていないはずだと思っているだろうとも。
この辺りの話はつよしさんに置き換えてみればわたしたちにも容易に理解できる話ですね。
たとえば「街」をどんなに上手に誰かがカヴァーしたとしても、やっぱりつよしファンの頭の中にはつよしさんの「街」があって、そうやすやすとあれを超えられるはずがないと容易に思ってしまいそうですよね。
さて。
拓郎さんはこのラジオでつよしさんの「人生を語らず」を聴いてとてもびっくりされたのだそうです。
他の人があれをカバーしても絶対あれを越えられないと思っていたのに、それを見事につよしさんが変えたのは、あの原曲を一回ないことにしてあの70年代の吉田拓郎の人生を語らずは、あれはあれとして違うちょっと解釈を加えているように思えたからだそうです。
要はつよしさんが歌う「人生を語らず」は拓郎さんの歌い方を踏襲したものではなかったということですよね。
そもそもアレンジが変わっていて、まずは拓郎さん、つよしさんのブレーンをとって褒めてらっしゃいました。
いいブレーンに恵まれて幸せだなあ・・・と。
それはわたしもいつも思っていることなので、深くうなずきながら聴きました。
さらに、「あれはあれとして、あれもいいですけど、新しい解釈を加えてみると、こんな解釈もあるんですよ!」というのをつよしさんが拓郎さんに示してくれたような気がしたとおっしゃってました。
このあたりをちょっとだけラジオから引用させてもらうと

解釈をもっと深くすると、広げると・・・音楽ってのは広がっていって「あぁこういう解釈がある」っていう風になるんだっていうのを、堂本剛が証明した。
俺がやったようにやろうとしてもダメ。
だからこの人生を語らずの出来は凄いと思う。
中略(同じような内容を上で書いたので)
俺は参ったね。正直言って参った。いやぁ、やったなぁ!!

まんまじゃないかもだけど、こんな風におっしゃってました。
さらに拓郎さんは「ある意味、これは新曲だと思う」ともおっしゃっていて、これはもうつよしさん的には最高の賛辞なのではないかしら。
実際に拓郎さんの曲は何度かカヴァーされていますが、こんな風にご自身が認めてくださるのはとても珍しいことなのだそうです。
それらの言葉をもらったつよしさんは、とっても素直に大喜びしつつも・・・
実際に「人生語らず」は本当に拓郎さんのテイクを何度聞いても(拓郎さんが)おっしゃる通り(拓郎さんのように歌うのは)無理なんです。
坂崎さんも「越えられないよね・・・」と横で頷いてらっしゃいます。
そのあとのつよしさんの考え方が面白いです。
「人間って超えられないと思った時にそれを超えようとする方法と超えなくてもいいという二通りがあると思う」とつよしさん。
で、つよしさんは後者の方を選ばざるを得なくて、でそこに拓郎さんのあの当時作られた当時の思いや考えに敬意を表しながら歌うためにはどういうアプローチをしたらいいかを考えたそうです。
たとえば「人生」という言葉が入っているので自分という人生をサウンドにしてみたらどうな風になるか・・・そんな風に考えたそうです。
そこで、つよしさんはモータウンサウンドがすごく好きなので、モータウンサウンド風にして。あえて拓郎さんが教えてくれたアコースティクギターを持って・・・という風に考えていった。
さらに、つよしさんが「今自分は音楽やっているなぁ」と感じられ、実際楽しめるようになったのは拓郎さんのおかげでもあり、その感謝の気持ちもこの「人生を語らず」を通して体感し、実感しながらこの曲を吹き込もうと思ったのだそうです。
そこから先に「アコースティーックギター弾きながら、しかも下の1、2弦とか余り弾かず、上の弦だけ弾きながらちょっとつま弾きながら歌ったんですよ。」というコメントがあったのですが、ここはどういう意味なのかしら?
わたしはギターについては詳しくないのでよくわからないのですが、これがどういう意味なのかご存知の方がいらしたら教えていただけたらうれしいなぁ。
さらに、つよしさんのブレーンの皆さんも「LOVE LOVEあいしてる」を見てた人ばかりなので、皆さんも感慨深く見守り参加してくださったのだそうです。
その話の流れからだったか、拓郎さんはぜひぜひつよしさんのバンドのメンバーさんと一緒にやってみたいとおっしゃってて、その結果どんな化学反応が起きるのかを見てみたいそうで、それを言われたつよしさんもとてもうれしそうに「いつものメンバーの皆さんに話してみます!」とおっしゃってました。
それから、つよしさんは拓郎さんや坂崎さんに「音楽というものの方に『これをやれ!』と突き飛ばしていただいた」というふうに言っていて、この「突き飛ばす」という表現の中に、背中を押すよりもずっと荒っぽいけれども愛にあふれた感じが出ています。
それとは別に、つよしさん的には(この場面としてはKinKiさん的にはかもしれないです。)音楽の世界へは最初自分から飛び込んだという感じではなくて、番組に音楽方向に向けて強引に「突き飛ばされた」という感覚もあったのかな?という印象も受けました。
もちろん、あくまでも最初は・・・という但し書き付きです。そうでなければこんな素敵な「人生を語らず」はよもや生まれなかったことでしょう。
続けて「自分がLOVE LOVEあいしてるだったり拓郎さんだったり坂崎さんだったり色んな人に 楽器を教えて貰って、音楽って複雑なところもあり、シンプルなところもある両極端を教えてもらって自分で真ん中見つけろって、突き放されて自分で真ん中見つけてきたんですよね。」
という話も出て、拓郎さんはもちろん、坂崎さんともとてもとてもいい師弟関係なんだなぁというのが伺われました。
プラス音楽というものが、実際つよしさんの身体の一部となって生活の一部となったというところに感謝だなという思いも「人生を語らず」に載せたそうですが、一方でこの曲が拓郎さんや拓郎さんファンの人に耳に届くかもしれないということを色々考えると、とても怖かったとも語ってました。
それはそうでありましょうとも。
実際、つよしさんはこの「人生を語らず」という歌に、これまでにたくさん助けられてきていて、昔はジャニーズというところで歌を作ることについてもいろいろ言われたし、ボコボコにされた時とかにこの「人生を語らず」という言葉とか「超えていけそこを」という言葉とかにとても救われたそうです。
おとうさんに励ましてもらっているような気分だったつよしさん。
いいお話がいっぱい聞けました。
そして年齢も経験値も全然違うアーチストたちがお互いに、自分のだったり相手の音楽についても同じ土俵で真剣に語り、尊重し、わかり合うことのステキさを実感しました。
つよしさんは拓郎さんの胸を借り、褒めていただいたことには素直に喜びつつも、ラジオでいろいろと音楽談義をかわしつつ、更にその先輩たちの背中の大きさを知り、気持ちがぎゅっと引き締まったんじゃないかな。
一方で拓郎さんや坂崎さんにとっては、自分たちがギターの持ち方から教えた後輩の成長ぶりに目を細めつつも、若いミュージシャンからも新しい刺激を受け、そのことが今後、吉田拓郎ここにあり!さすがアルフィー!という作品を更にどんどん生み出してゆく原動力のひとつになるのではないか・・・なんてことも想像しました。
このラジオでのエピソードは、もちろんつよしさんと拓郎さんと坂崎さんのものですが、一方でわたしは自分のこととしても聴いたような気がします。
今までピアノを通して知り合ってきた先生方のことだったり、大学の先生方のことだったり、音楽へ導いてくださった方への感謝だったり、いただいたものを音楽で、あるいは後輩へとその技術や心を伝えることで返そうと思う気持ちだったり・・・「師」に対する思いということについてもいろいろと考えました。
さらに、カヴァーというもののあり方、性質、音楽の普遍性というところまで考えが及び、いろいろと頷けるところがあったので、そのことを考えながら続きの考察をしたいと思いました。
まだまだカバ話は続きますが、ひとまず今日はこの辺で。