ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 いーそーじーっ!!

おとといは誕生日でした。
この年で、今さら誕生日っていうこともないと思うのですが、当日いろんな方に「おめでとう!」「おめでとう!」といっぱいメールやツイートで声を掛けていただいて、なんてしあわせだなんだろうと思いました。ありがとうございました。
たまたま前の日に「NIPPON」について日記に書いたせいか、メールをくださった皆さま方の多くが、わたしの日記に触発されて「NIPPON」聴いてみました!やっぱりいいね!いい曲多いよね!とおっしゃってくださって、それもとってもうれしかったです。
最近はものすごくのんびりペースで日記を書いているにも関わらず、ああ、それでも十分にたくさんのみなさま方が読んでくださってるんだなあと実感的にそう思いました。ありがたいです。ほんとうに。
そして、それぞれの場所で生きている皆さんと同じ音楽でつながって、同じ気持ちを共有できるしあわせ。
みなさんの生活もわたしの生活も、楽しいことばかり・・・とはとても言えない世の中ですが、いいことも悪いことも、楽しいことも辛いことも、年齢も環境も全然違う者同士が、誰かの経験を「日記」というスペースを媒体に分かち合えるってほんとに素敵だなあと思います。
だから恥ずかしい体験であっても読んでいただくのはいつだってうれしいし、ここでつながったみなさま方が知らせてくださる日常にもちょっとでも寄り添えたらと思います。今後共よろしくです。
さて。
気がつけば五十路です。
「いそじ」でいいんだよね?と検索してみたら「五十路AV」とか「五十路マダムの淫乱・・・」とか「五十路ヌード」とか「マダムブーム来る。その中心は五十路熟女」ってのもあったな。ぷぷぷ。
なんやかんや、色っぽいサイトがザクザク出てきて爆笑しました。
そういう年だったっけ?50代って。
気がつけば生まれて半世紀ですよ!半世紀!思えば遠くへ来たもんだ〜♪ってところなのかもしれませんが、本人的にはさほどでもありません。
なんだか「ちゃらちゃら」「へらへら」してるうちに「もうここ?」みたいな気分でございます。
というわけで、せっかく50になったんだから、風吹ジュンさんみたいに色っぽくて大人かわいいマダムになるべく精進したいと思います(ウソです、笑)
ここまでの人生を振り返ってみると、予想外のこともいっぱいあったし、その時その時には悩んだことも、絶体絶命のピンチがきて、もうこれからは本気で笑うこともないだろう・・・なんて覚悟したこともあったけど、いまだに毎日ゲラゲラ笑ってるし、平和だなぁと笑い飛ばせるくらいには家族と揉めたり文句を言ったりもしていますが、総じてHAPPYライフなんじゃないかと思っています。
ここまでで人生にはいっぱい借りを作ってしまった気がするので、折り返しをだいぶ過ぎたこれからは、ちょっとでももらってきたものを返せるような、そんな人生になればいいなぁなんて漠然と思ってます。
だからと言ってわたしに何ができるというわけでもないのですが、こういう節目には必ず聴きたくなる曲「これだけの日を跨いできたのだから」を久しぶりに聴いていたら「愛に生きて愛に死ね」というワンフレーズが強烈に耳に残りました。歌が終わる直前の移動ドで言うと「ララララララミレードーラ!」というメロディーに乗っている「アレ」です。
彼がこの歌詞を歌ったのはずいぶん前ですが、正直に言うと今頃になって「ああ・・・」と心底実感しました。この年になったからこそ、これからはこのフレーズをキャッチフレーズにしたいと思いました。
彼の紡ぐ言葉には、こういう風にあとからじわじわやってくるものが多いなあと思います。
まだ20代の彼の口からこの言葉が出たっていうのがすごいです。
50年も経つと、だんだんに生きるということに慣れてきちゃって、たとえばうちの子や、生徒の日々の細かい悩みごとに「大丈夫」とひとことでおしまいにしちゃったり、もっと親身になれたよね!今の一言は手抜きだったなぁと思うこともあるのですが、大人として、ちゃんと何事にも愛を持って動かないと・・・最近つくづく思います。
おっと話がそれました。
誕生日のその日、わたしは先日の日記にも書いたとおり、りんごをいっぱい持って実家へ行きました。
前日にさらにいっぱいりんごの焼き菓子を焼いたので、それらをちょっとずつ、それからバレンタインのトリュフを持って、さらに近所で開店したばかりのパン屋さんの前を通ったらちょうど焼き上がりのアナウンスがあったので、焼きたてパンまでいっぱい買って大荷物になっちゃいました。
でも持っていった甲斐あって、友達にいただいたりんごをむいて「うわぁ〜蜜がいっぱい!!こんなにもらっちゃっていいのかしら〜」と大喜びでしたし、りんごのケーキも総じて喜んでくれたみたい。さっそくいろいろ試食してました。
わたし自身は自分の誕生日はあまり意識していなかったのですが、父が赤ワインを冷やしておいてくれて、母にチーズを盛り合わせてもらって昼から酒盛り(笑)
考えてみれば、一緒に住んでる家族よりも誰よりも、どうかするとわたしよりもわたしの誕生日を心から喜んでくれる人は両親かもしれない・・・という当然の事実に気がつきました。
ああ、そんなことは気がついてなかったなぁ。
元気な顔を見せたら、それはそれは喜んでくれたし、母の10年ものの梅酒とか、お赤飯まで炊いて「持って帰りなさい」と渡してくれました。
ワインを飲みながら、父方の親類の話、母方の親類の話、両方の家のルーツ、ひいては日本人のルーツの話なんかも聞いたし、ごはんのあとは、母のおせちのレシピをもらったり、おいしい田作りのつくり方を習いながらアーモンド田作りを作ってみたりもしました。
お正月に「そろそろ年のせいか、おせちが作るのがしんどくなってきた」と母が言ったのですが、そういえばわが家の味っていうものを受け継ぐなら今かもしれないと思い始めました。
わたしは少しだけ生活に余裕がでてきたし、母もまだまだ元気だし。
ふだんの料理は多分かなり母の味を知らず知らず引き継いでいると思うけど、おせちとか特別な日の料理はびっくりするほど母任せなので、ちょっと反省したところでした。
さらに、野菜が高いわねえなんて話をしたり、節約のためにどんなレシピで料理をしているとか、山口時代、杉並時代の知合いの消息とか、これまで住んできた家のいろんな思い出話とか・・・
たいした話をするわけでもないけれど、毎日父と母は二人きりで狭いマンションにいるので、煮詰まることも多いみたいで、一人わたしが入るだけでちょっと活性化された気がするとか言ってたから、どちらかと言うと世話をしてもらいに行ったみたいになってしまったのですが、そんなんでも親孝行になったのかも?と思ったり。
さらに父が届いた年賀状を折り紙みたい一枚ずつ折って鍋敷きを作るというのをやっていたので、それを手伝ってはがきで折り紙をしたり、おやつにしましょうと抹茶アイスをもらったりもしました。
何も言わないのにお茶とおやつが出てくるなんて、しあわせなことだなぁ。これは子どもの頃には気がつかなかった感覚ですが、自分が主婦になって初めてありがたみがわかることって結構いっぱいありますよん(笑)学生の、独身でお母様と同居の皆さま方、おかあさまは偉大ですよん。
そうそう、ひとついいなぁ〜と思ったことがあって、それは両親が4月初旬に奈良京都に桜を見に行くという話を聞いたことです。
あちらこちらの桜の名所を訪ねた後に、吉野の千本桜を見に行くというではありませんか!!なんといううらやましい話でしょう(笑)
いずれにしても、あっちが痛いとかこっちが痛いとかいう話はあっても、二人ともまあまあ元気で、父は園芸や工作日曜大工、パソコン、母はパッチワークやお料理と、日々楽しいこともあるみたいだし、元気で長生きしてほしいなあと思いながら帰ってきました。
そんなこんなで五十路はワイワイと始まりました。
「本当に楽しいのは60代からよ!!」というのは、カーブスのお姉さま方のお言葉です。
先日、50代なんてまだまだひよっこだから・・・とか言われてしまいました。
まだまだ先は長そうです。
いくつになっても日々「楽しいこと」をいっぱい見つけながら生きて行けるといいな。
さらにその楽しいことを日々みんなで分かち合っていけたら、こんなにしあわせなことはありません。