ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

うれしいニュースと気の持ちよう。

先週のことですが、うちのオトートの病気について、珍しくyahooニュースになっていて「薬物治療に道」と書いてあって大興奮しました。
今までこの病気に関する限り「治療」という言葉が出てきたことはなかったのです。
ああ、やっとここまで…と思いました。
まだ「道」と書いてあっただけで実際にみんなが治療を受けられるわけではないのですけれども。
こんな風にまだまだ治療法がない病気はたくさんあると思うのですが、日々研究は進み、科学は進歩していると信じたいです。
他にもこんな事情を抱えてらっしゃるお宅はたくさんあることと思います。
何も大きな遺伝子の異常とかではなくても、治療に限界がある病気はたくさんあるし、新薬ができたとしても、すぐに治療に入れるものばかりじゃないし、医療タイムラグもあれば費用が莫大なものもある。
きのうたまたま、いつも楽しみに読ませていただいている友人のブログで、とても心に響く文章を見つけました。
ちょっとだけエッセンスを書かせてもらうと
「その人が生まれもった運命はその人が受け入れるのが一番。それが生きるということ。それをどう受け入れて、どう工夫して、どう幸せになるかが大事なこと。」
というような話です。
幸いにもオトートは治療法のない難病を患っているとはいえ、ありがたいことに、たまたま進行が遅い型なので、小さな不便はたくさんあるには違いないですが、19年間普通の暮らしをしています。
今日も今日とて…免許を取る時間がないとか、レポートに追わてもうイヤだとか、
途方もなく早起きを強いられてぶーぶー言いながら学校へ行くとか(笑)
大学の先生の授業がつまらないとか、犬が散歩ですぐにバテちゃうのが許せんとか(笑)
大学の帰りに疲れたと文句を言いつつも更にアニメイトに行って好きなゲームの予約をするとか、
忙しい忙しいと言いながらもツイッターをしまくるとか、
キンコンカン(ハンドベル的なもの)を持ってボランティアの演奏をしにあちこち行くとか…
多分完全なる健康体だったら「こういうことでため息をつきながら『しょうがないなぁ〜』と言えるってことが、しあわせだということなのだ」なんてことには気がつかず生きていたことと思います。
文句が言えるということはまだまだ余裕があるということなのだなぁと思います。
あとは隠れたり表に出たりする不便や不都合を、ひとつひとつ知恵や工夫やユーモアで乗り越えること。
治療が確立するその日まで、事故なく健康でいること。
もちろんもっともっと深刻で一刻も早く薬が見つからないと命が…という方々やそういう家族を見守ってらっしゃる方が世の中にはたくさんいらっしゃることと思います。
世の中にはなんとかしたくってもできないこともたくさんあると思います。
それでもやっぱり「受け入れて前に進んでいく」。
明日はやってくる。
毎日は過ぎて行く。
今日できることは今日やろう。
最後は自分に言い聞かせるような文章になってしまいましたが、とってもパワーをもらえる話を聞いたなぁと思ったので、ひとこと書いておきます。
(私信ですが、Nさん。あまりに心に残ったので、ひとこと触れさせていただきました。あえて一般論として書かせていただいて、出典やリンクは貼らずに書かせていただいたのですが、問題ありのようなら遠慮なくおっしゃっていただければと思います。すみやかに書き直します。)