ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

堂本剛 平安神宮LIVE 2019 9月13日・14日 その2

昨日アップした「その1」からの続きです。

とても怪しげな記憶と文章なのに、たくさんの方に読んでいただいて、ありがとうございます。

Twitterでリプしてくださったり、いいねしてくださったり、そんな反響にとても励まされ、背中を押していただきました。心からの感謝を!!!

細かいところで間違っているところも多々あるかも?なので、遠慮なくご指摘いただけたら。

とりあえず、わたしが見たまま、感じたまま。メモったままを書きました。

今回、感想をまとめた文章にあまり出会えていないので、わたしの言葉で全然いいから読ませて~と言ってくれた友達がいて。

彼女のために、そして自分の記憶の定着のためにと書き始めた文章です。

もっと簡潔にしたかったのですが、やっぱりわたしだな(笑)

簡潔に書くのはムリでした。

この後、セッションからのその3で終了です。

コーラスが印象的なインスト曲

このインスト曲は、女声コーラスの美しくてなめらかな歌声の繰り返しがとても印象的で「STARSHIP Lah~っ♪」みたいに聴こえたけど、なんて言ってたんだろう?

「ラ↓ソ↑ドーーー」 「ラ↓ソ↑ミーーー」とメモ。

基本はこの二つのメロディーの繰り返し。

そして時々ちょこちょこアレンジが入ったり、ハモったり。

「スターシップ 〇〇~♪(ここ、不確か!)」とタイガーさん、恵子さん、KAORUさんの3人が美しい声で歌います。

「スターシップ」までは多分合ってたはず。

ちょっと儚げでふんわりと美しくて、月夜に合う静かな曲でした。

「どの曲であってもつよしさんが歌う」ということが大前提ではないというのは、ファンにとっては今ではあたりまえのことだけど。

今でもENDRECHERIは、事務所からつよしさんが与えられたもので。

残りのメンバーは彼を良く見せるためだけのお仕着せのバックバンドだと思っている一般の人がいるとしたら、こんな曲は想像できないだろうなぁと思います(笑)

つよしさんはここではひたすらに弦をかき鳴らし、ひたむきに演奏してるだけ。

でも、当然ですがつよしイズム全開で、どう聴いてもつよし印がついていて、彼の世界観がそこに再現されているわけです。

他のみなさま方も淡々と自分のパートの音を鳴らしていて。

この曲では、つよしさんが魅せたい世界観を表現するための歌声は、実力者3人娘のキャンディーボイスが担っていたわけですが。

この声がまた真綿のようになめらかで美しくて、夢見心地で聴いてました。

まるで宇宙に向けて呼びかけているみたい。

どこか遠いところの未知の生命体と交信しようとしているみたい。

さらにこの曲では、後ろの水の柱が変幻自在に形を変えて。

高さを替えて段違いになったり、らせんを描くようにくるんくるんしたり。

変化があって、視覚的にも見ごたえがありました。

音楽そのものは、全体としてとても不思議で・・・少し母性や郷愁が感じられるようなイメージで。

宇宙に向かって奏でられるララバイのようでもあり。

未知との遭遇の一場面のようでもあり。

惹きつけられてやまない曲だったのでありました。

つよしさんが音楽を創り披露するうえで、彼の脳みそにあるイメージを瞬時に理解し、まるで彼の一部でもあるかのように、イメージ通り自在に表現してくださる仲間はかけがえのないものだと思うけど。

中でも自分では出すことができない音域の声を、多くを語らずともイメージ通りに担ってくださる実力がある女性ヴォーカリストたちの存在は、彼にとって、ものすご~い強みなんじゃないだろうか?と思いながら聴いてました。

表現できる音楽の幅が格段に広がるし、聴いている方も楽しいです。

いつかつよしさんがジョージクリントンのようになって。

椅子に座ってただくるくるするだけ、指示するだけの人になったとしても(笑)

2代目、3代目ENDRECHERIが現れて・・・なんて話もされる今日この頃ですが…

そこまでぶっ飛んだ未来まで思いを馳せずとも。

彼だったらこう思うだろう!これを求めるだろう!が完全にあうんの呼吸で再現できる仲間がこんなにもたくさんいるって本当にスゴイです。

中のみなさんは、その気になれば誰でも主役を張れて。

誰もが前に出てくればどんな風にも魅せることができるし、聴かせることができるこのバンドの強みをさらに見せつけられたような気持ちになりました。

素敵な曲でしたよ。

そうそう。

この曲の途中で、ふと気がついたら、両側で△の光がくるくると回っていて、とても綺麗だったのと。

星とか夜空とか、宇宙的な映像が大極殿に映し出されていて・・・とてもとても幻想的な雰囲気でした。

 

音楽を終わらせよう HEIAN ver.

つよしさんはこの曲の直前に鍵盤?のような楽器の前に移動してスタンバイ。

わたしのところからは姿はほぼ見えたものの、どんな楽器を演奏しているかはまったくわからなかったのですが、多分鍵盤で。

鳴っている音はビブラフォンのようなサスティンが効いた音でした。

ひそやかに始まって、十川さんが音を重ねてらしたのかな?その二人が創り出す和音がちょっと不思議で、優しくて。

たとえるなら「夜明け」を思わせるような。

どこかで平積みされてた本のタイトル「慈雨」という言葉が浮かぶような・・・雨?水?を想像させられるような音でした。

幻想的で、とてもメローで。

ああ、既存の曲の何かに似ていると思ったら、あっそうか!!

「RAIN」かも?なんて思いながら聴いてました。

(後で思い出すに、これはあながち間違ってはなかったかも。そもそも「RAIN」と一緒に入っていたのが「音楽を終わらせよう」ですもんね!!

そしてさらに、自分の感想を読み返したら、2016年バージョンも、同じような始まりだったかも!)

聴き惚れていたら・・・

徐々にベース、リズム隊、ギターと音の数が増えてゆき・・・ホーン隊が入ってきて。

この曲のキメフレーズ「ファ↑ラ↑ド↑レ↑ミ♭↓レ↓ド↓ラー」が出て来て。

音楽を終わらせようだ!!」とわかりました。

FUNKってこういう大好きな「キメフレーズ」がいっぱいあって。

まったく違う音がしばらく鳴っていて、なじみの音列が不意にかえってきた時のうれしさったら、格別です。旧友にまた逢えたような気持ち。

堪えられないしあわせな瞬間。

ところがです。

歌声が始まるまで、演奏だけの時間がかなりあって、そこだけでも十分に満足していたのが

「どうしたんだい♪」

のたったワンフレーズで、歌声にとんでもなく心をさらわれて。

そこまでがすべて吹っ飛ぶほどの威力。

さすが堂本剛の歌声!!!だったのでありました(笑)(笑)

つよしさん自身は、あえて詞に感情を入れすぎず、CDよりもさらに、とてもとてもニュートラルな歌い方を選んでいたのですが、それがとても成功していて。

元々の彼の声の音色の美しさやトーンの絶妙さが際立っていて。

淡々と歌っているから、逆に詞の内容がちゃんと心の底まで届くように感じられて。

今さらながら、この人表現の天才!!と唸りました。

耳のことがあってから今まで、わりとバラード系は一音一音。あえて意識的に音を踏み外さないように確かめるように歌っているように聴こえていたのが

(聞いてる側として彼の音程はちっとも狂っては聴こえなかったし、必要を感じたことはなかったですけど)

この時のこの曲で、またひとつ。

慎重に慎重に寸分の狂いもなく、ここだ!という位置に置かれているストッパーが外れた感じ。

もはや一音一音の境目はなくて、レガートでなだらかに美しくつながった極上のメロディーは流れるようにわたしの耳に、心に届き。

歌っているつよしさんは、喉からも肩からもいい感じに力が抜けていて。

一瞬耳を患った直後の東京ドームでの姿が脳裏をよぎって、ああ、とうとうここまで戻ってきたんだなぁ。本当にすごい人のファンになったなぁ・・・と感慨深いものがありました。

どれだけ、目に見えるところでも、見えないところでも努力を重ねて来たかは、その時々の歌い方やアプローチに、ものすごく如実に表れているとかねがね思っていたのですが…

音響障害が残る中で、彼が必死に重ねてきたことで得たものは、もう彼の一部になって身に着いていて・・・もう意識しなくても大丈夫!・・・というところまできたように、わたしには聴こえました。

もちろんその日の体調や気候によって、これからだってむずかしい時もあるだろうけれど、きっとこの人はもう、まっすぐに歌へと向かっていくだろう・・・と思わされました。

というか、こんなことを思ったのは後からで。

歌を聴いている時はその表現にただただ夢中になってました。

一人、そこに立って歌っている姿は、ちょっと儚げで、純粋な瞳をした奈良から出てきたばかりの少年のようなのに。

歌からくる印象は大人の包容力に満ちていて、大丈夫!いけるよ!と励まされているようで。

そして本当に伝えたいであろうメッセージが、この歌い方を選んだことによって、砂地のような乾いた心にあっという間に水が沁み込むように、とてもとてもまっすぐに伝わって来るではないですか!!

なんていい声!!なんて刺さる歌!!

そして何度でも思い出す。

この声に出会えたしあわせを。

これまでもこの表現に何度心を掴まれてきたことか!!

何よりわたしにとって、この声がいかにかけがえのないものかを思い出して、この宝石のようなキラキラとした時間が永遠に続けばいいのに・・・という気持ちで存分に味わってました。

2日目にもうちょっと冷静に聴いた時、歌が入るパートと入らないパートで音の厚みが全然違うことに気づきました。

歌が始まると絶妙に音の数を減らし(つよしさん自身が音を)聴きやすくしているのが感じられました。

間奏や歌がないところでは、バンド全体が音を鳴らし、厚みのある温かい音。

歌になるとコーラスとベースだけとかになって、つよしさん自身は音を聴きやすく、わたしたち聴いている側からしたら、とてもボーカルの美しさそのものを堪能しやすい、音の厚みがちょうどいいつくりになっていて。

だからと言って音程をナビゲートするようなメロディーを追うパートがあるわけではなく。ほとんどアカペラのようなところもあったので、素人が手を出せるような唱法ではなく(あたりまえ、笑)とてもむずかしいことをやっているわけですが。

つよしさんが「聴きやすく歌いやすく」という創意工夫が随所になされているのを感じました。

こういう配慮があうんの呼吸でできてしまうのも、このスーパーバンドの強みなんだろうなぁと感じました。

正直この1曲だけでも、京都まで聴きに行った価値があっただろうと思えました。

この曲と言えば、2016年にも歌われました。

そして、その時はこんな風に日記に書いてました。

fermata.hatenadiary.jp

これを見ていただくとわかるのですが、同じ曲でも、今回とまったく違う「音楽を終わらせよう」だったのです。

印象がまるで違いました。

そもそも、この曲が生まれた頃、2009年は、つよしさんはいろいろとソロ活動がうまくいかなかったと語っていて。

「RAIN」というCDの中に入っていて。

同じCDの中の「Sunday Morning」は確か全部の楽器を自分で弾いて作っていたし。

自分の仕事環境の周りにある矛盾と闘っているような、内面を吐き出すような歌だったようにも記憶しているのですが…

2016年の平安神宮ライブの時は、すでにかなり変化していて。

歌の肝は自分の内面から、社会へと思いを馳せ。

あれ?と思うことが増え、何か変だぞ?という想いを歌った歌のようにも思え。

さらに今回は、その社会への怒りとかあきらめのような気持ちは持ち続けつつも、愛へと昇華して。

若者、後進にどうしたんだい?と問いかけ、温かく励まし、その包容力で支えるような歌へとまた変化したような気がしました。

諦めたふりをしているだけならおいでよ 一緒に行こう

とか。

この意味がわからない怖さから解かれよう 一緒に行こう 

という歌詞がとても心に響きました。

そしてそして。

最も心に残ったのは歌詞のここ。

地球を抱いて僕らの誰かが

他の星の誰かと愛し合う

そんな日が訪れる そんな君のために

歌うべきだよ

わぁ、鳥肌!!この日のテーマ『宇宙』とも大きくつながった!!

そういうことだったのか!!

そして・・・

この曲では、途中白一色のライトが、一本、天へ向かってまっすぐに伸びていて。

 思いのまっすぐさや清らかさを現わし、宇宙にいるであろう、いつか出会うその星の方々にも届けと言わんばかりに歌っているように感じました。

さて。

きっとバラードっぽいのは、この曲だけだろうから、存分に堪能しておこう!!なんて思っていたのです・・・この時はまだ(笑)(笑)

ええ、ええ。

この曲だけではなかったのです。

次の曲もまた、とんでもなく歌声を堪能できる曲なのでありました。

しかも多分、耳を患ってこのかた、できるだけ避けて来た曲調だったんじゃないかな?と言うような、J-POP系のわりと音数が多い歌ものでした。

 

新曲

 始まったこの曲は、ちょっと懐かしいソロ初期、rossoかsi:あたりに入ってそうなイメージ?

もしくはKinKiで歌っても、他のジャニーズのみなさんが歌っても全然違和感がなさそうな、明るいJ-POP調のミディアムバラードでした。

 ジャニーさんが亡くなった時、つよしさんは眠れなくて、日ごろ自分では選らばないようなフレーズが浮かび、ジャニーさんの力を借りて、一緒に創ったかのような曲ができたと言ってましたが、この曲がそれかな?と思いました。

大極殿に星座や星、惑星?天の川がプロジェクションマッピングで浮かび上がり。

「Shooting Star」とか「Milky Way」とかって歌詞が出てきたり。

間違いでなければ、何度か「Precious Love」と聴こえた気がしたので「かけがえのない愛」・・・と言えば、まさしくつよしさんがジャニーさんにいただいた愛情のことを歌ったのかな?と思いました。

一日目からすでにそう思っていたのですが、二日目。

なぜか突然、隣で見ていたオットが小声で「これ、ジャニーさんに歌っているみたいだね!」と言い出し、度肝を抜かれるわたし。

えっ!?なんでわかった??

多分つよしさんを知らない人が普通に聴いていたら、男女間の恋の歌にも聴こえるかも?だし。ファン的にはつよしさんという人の曲の作り方をよく知っているから・・・

ジャニーさんを思わせる要素は、一見すると恋愛的歌詞の中に、ひっそりと隠喩のように隠されていると思っていたのです。

それをまだまだつよしさんファン初心者の、アルフィーさんと同い年のオットが言い当てたってこと?とちょっと動揺してました(笑)

打ち上げで聞いたところによると、一緒に見ていた友人たちにも、このオット発言は聞こえていたらしく・・・みんなこっそり「すご~い!!初心者なのに言い当ててる!」と驚いていたそうでした。むふふ。

侮りがたし!!わがオットよ!!!

書きなぐってあった歌詞に「手を振るよ。君の明日がしあわせであるよう」というのがあったのですが。

一見すると、遠く離れることになって別れた恋人や友人のしあわせを思う歌でありそうで。

やっぱり「天の川」=「三途の川」を渡ってあちら側へ行ってしまったジャニーさんや愛犬たちが、あちら側でも幸せであるように、願わずにはいられないという心模様を現わした歌かなぁ?と思わされました。

それは、わたしもまだまだ記憶に新しい、愛犬バロンの死を完全には受け止めきれておらず。

あっち側でしあわせにね!元気な若い頃の身体(乗り物)に戻って、存分に跳ね回って遊んでいてね!という気持ちになるからかもしれません。

そしてそして。

何よりも、このタイミングでできたこの曲を、平安神宮というこの場所で歌おうとしたことにとても意味がある気がして。

 第一にこの曲はとても音程がはっきりしていて。

これはかなり勝手な想像ですが、こういう曲は耳を患って以降、あまりつよしさんが自分の今の耳の状態で、選ぼうとはしなかった曲のような気がしたのです。

実際には耳を患ってからも、音程が怪しいと思ったことはなかったし、聴いている側からしたら、歌えなくなったとも思わないのですが、本人的に何か不安定に思えたのか、避けてきた曲調だったように思えて。

水面音などで、少しずつ自信をつけて来たとは言え・・・まだまだ全開放とはいかなかったのが・・・

でも、そういう曲をこのタイミングで自ら作り、どうしてもこの場所で歌いたいと思ったということは、ジャニーさんが最後の贈り物として「YOUもう大丈夫だよ?歌っちゃいなよ」と背中を押してくださったような気がしてなりませんでした。

 歌が終わった後、ラストつよしさんのギターで終わるのですが、このギターの音は東大寺で聴いた街のラスト。涙の後のとても心のこもったギターとどこか印象がそっくりでした。

あふれる思いがギターに乗って、痛いほどに伝わる音。

以前はこういう気持ちを運んでくるのは『この人の歌声だけ』・・・と思っていた気がするのですが、今となってはその頃の自分をこっそり笑ってます。

そんなわけない!!

当時のわたしってば、ほんと浅はかだったなぁ(笑)

手段が歌声であれ、楽器を手にしての表現であれ。

その人が創り出す音楽にはその人そのものが現れる。

この人が創り出す音楽がすべて好きだ!と今はしみじみと思ってます。

さて。

本当はこのまんま、最後まで書いちゃえ!と思ったのですが、セッションの最初の方のことをどうしても書きたくて!!

あんまり同じことを言っている方を見かけてないので、自信はないのですが…

もしやそうなんじゃ?と思うことがあって。

間違ってるかもしれないですが、どうしても書きたくなったので、ちょっと詳しく書いてみようと思います。

そして、少しだけMCに触れて、この感想はその3で終了予定です。 

長々と読んでくださった方には、心からの感謝を!!

y.s.さま。いつもながら、拍手コメントありがとうございます。とても励まされました!