ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

ENDRECHERI TSUYOSHI DOMOTO 中野神奈川、参戦の覚書 その4

一昨日、無事、大盛況のうちに大阪フェスティバルホールのライブが終了したそうです。

友人がたくさん入っていて、たくさんレポが読めて参加したような気になってしあわせな気持ちのまま眠りにつきました。

そしてたくさんの追加情報が!!

サマソニ大阪も追加で来たそうで!!

まだまだENDRECHERIを知らない潜在的なファンはたくさんいそうだし。

一般の音楽ファンがたくさんいるところで、あの魅惑の音が鳴る機会が増えるのは、ファンとして単純にしあわせなことだなぁと思ったりしてました。

3日間の平安神宮ライブの開催も決まり。

追加のライブハウスが5公演。

秋もつよしさん、本当に忙しそうだなぁ。

大変そうだなぁと思う一方、ライブハウスは音楽をするための箱だから、音響的にも他のところよりもずっと安心だし。

音楽をしている時のあのしあわせそうな顔を思い出すと、やっぱり徐々にステージを重ねながらリハビリを重ねていくのが、今の彼にとっての正解かもしれない?と、素直に発表を喜んでいます。

チケットはどう考えても厳しそうだけど、どこかでまた参加できたらいいなぁ・・・

それにしてもなんとか予定はこじ空けられるのか?とか・・・

いろいろと思うところはありますが、とりあえずわたしの急務は書きかけのものを書き上げること。

ぼやぼやしてたら本業の方の繁忙期、夏休みが来てしまいます。

一日中朝と言わず夜と言わず、ぐちゃぐちゃに生徒が来る日々は目前。

とっとと書き上げてしまわなくては!!

いつも反応してくださる皆さま方には、心からの感謝を!!

ありがとうございます。

Y.S.さま、いつもメッセージありがとうございます。気にかけていただいて、とてもとてもしあわせです。体調はいかがですか?不安定な陽気ですが、どうぞご自愛くださいね。

 さて。

ここでは、アンコールからのMCを中心に水面音まで。かなり感想色が強いですが、まとめておこうと思います。

中野へ。神奈川へ。

アンコールの最初の曲、水面音を歌う前と後。

ちょっと話がいろいろ前後しますが、ここから最後までのMC部分をまとめてしまおうかと。

あともう一つのエントリーで、セッション部分の音楽について感想を書いて最後です。

読みづらくてごめんなさい。

まずは下記、中野参加の後に書いたツイートです。

これ、神奈川でもほぼ一緒でした。

とにかくつよしさんが出て来るのが早いです。

そうそう。神奈川ではつよしさんがちょっと文句を言いながら出てきました。

わたしたちのアンコールコールへのダメ出しです(笑)

少し前から始まったらしき「ケリーー ウー!!」というコール。

前日「ダメ出しをされたらしい!!」という文章だけ読んでいました(笑)

そしてライブ本編が終わり「これか~」っというコールが、すでにその存在を知ってる方々のリードで始まり・・・

もちろん、早速真似してみるわたしたち!

わたし的には、かなり新しいコールが徹底されてる!と思ったのですが…

まだまだCHERIはお気に召してはいなかったようで(笑)

「声がまだまだ高すぎ!!」「もっと気持ち悪い感じにしてよ!!」

な~んて。やはりダメ出しをされたのでした。むふふ。

というわけで、ここからはまず中野のMCから。

例によって印象に残ったところだけです。

わたくしレインの忘却フィルターがかかってることをご承知のうえ、言葉はそのままじゃないし、ニュアンスだけ受け取っていただけたら。

・新譜について。

昔の曲もリアレンジして入れようと思っているそうです。

(すでにアルバムに「Nippon ENDRE ver.」と「音楽を終わらせよう HEIAN ver.」が入っていることがわかったし。通常には「Believe in intuition・・・ENDRE ver.」が入ることが確定されましたね。ああ、楽しみ過ぎる♡)

これらの曲たちについて。

昔の曲をあらためて聴いてみたら、本当はずっとこういう音楽をやりたかったけど、いきなりそういうのをやると戸惑う人も出て来ると思い、最初の頃はかなりマイルドにしながら作ってた・・・というような話をしてました。

いつか、もっとより理想に近い形にアレンジし直そうと思っていたものが、やっとブレーキを踏まなくてもよくなった今、ちゃんと形になって、出せるということだそうでした。

とはいえ。

今は遠慮せずにやっている・・・と言いながらも、やっぱりファンのノリとか反応をちゃんと気にしてくれてて。

この日少しおとなしめに見えたらしき客席のファンに「江戸時代の金庫のカギを開けて」と盛んに言ってたのも、やっぱり「ファンを置いてきぼりにしないように。」と客席を気にしていたのだろうし。

「着いて来れてる?」「着いてきて!」と目を配っていたのだと思いました。

つよしさんのそういうやさしいところは昔からちっとも変わらなくて。

でも、ステージ側にどう映っているかはともかく、みんなすご~く楽しんでいるのは客席側からも十分に肌で感じているので。

たとえば一人一人の胸のあたりが、楽しくなるにつれてぴかぴか光り出すとか・・・こっちの胸の内をあっち側に可視化して見せる手立てがあったらいいのに・・・なんて思いながら話を聞いてました(笑)

・新譜は4月ごろから着手していたそうですが、突発性難聴を患う前だったら、もっとできたのにと思うことも多くて。

昔使えてたテクニックが使えなくなってたり。

いろいろ計算して歌いやすくなった?と思っても、いざレコーディングしたものを聴いてみると、フラットしてたり。

何度も試行錯誤を繰り返してて。

くやしいなぁ、以前だったらもっと歌えたのにと思うことがあったりもして。

そういう仕事をするプロとしての悩みはあまりに孤独で。

その理不尽さに心が苦しくなって、悔し涙にくれたりした時。

その昔、学校に仕事にとあまりにも忙し過ぎた頃のことを思い出したそうです。

当時、誰にも会いたくなくなって、人を信用する力もゼロくらいになってしまった頃、もう身体もボロボロで、(心の)皮もむき出しで、風が当たっても痛い・・・みたいな状況になったとき、ケンシロウが涙をぺろぺろ舐めて助けてくれてたなぁと。

そういう時代からそばにいてくれたコだからこそ、こんな時、愛犬ケンシロウがそばにいてくれたらなあと思ったそう。

彼の身体には会えなくても、魂はいつもそばにいてくれるように感じているとも言っていましたけど。

そんな苦しい話もつまびらかにしてくれつつも。

セッションも終わり、ラストのトークの時に、今後も「これができる、できないの実験をいっぱいしながら、これからもやっていきたい!!」と語ってて。

その表情はとても晴れやかでした。

もうとっくに覚悟が決まった顔。

そして、そうやって苦労しながらも音楽を作る過程やライブで、本当に生きててよかった!と思う瞬間も確かにあって。

しあわせを感じているという話もしてくれて。

その表情にウソはなかったと思います。

 

・「言葉を人を責めるために使うのはもうやめて、他の人に対してもっと寛大になろうよ」というトーク

これは、日常のいろんな場面で、わたしも最近痛切に思っていたことだったのでとても共感しました。

人についてのあーだこーだで、責めるために言葉を使うのはもうやめて、心の苦しさもファンクのマナーやグルーヴに詰め込んで。

もうちょっとあるやん。人にやさしさをあげましょ。生きてる喜びを音楽に!!みたいに言ってました。

素敵。

この流れで・・・

今こんな話してるけど、他の星へ行ったら、すでに「言葉を攻撃のために使うなんて、そんな時代はもうとっくに終わってる!時代遅れ!」みたいになってるかもですから。な~んて言ったのがすごく印象的&共感でした。

ほんとにね~

「やさしい人たちと音楽をしていると、こんなにしあわせなんだなぁ」とも穏やかな表情で語ってて。

横浜のtank初期の頃のことが不意に思い出されました。

当時、ステージにいてもどこか孤独を身にまとい、ありったけの重装備で現れて、客席すらも怖がっているようにさえ思えたし。

常に何かと闘っているようで、見ていて辛かったあの頃の、あまりにも切実でギリギリでヒリヒリしてたMCの数々が思い出されて・・・

「今」が待っててよかったね~ほんとうに!と心底そう思いましたのことよ。

・水面音についての話は、中野後わりとすぐ、自分でつぶやいたので、引用しておきます。

☆水面音(ちょっとだけ歌の感想)

 中野でも神奈川でも、こんな風に↑水面音が出来た経緯について話してから、十川さんのピアノと、平岡さんの下ハモのひそやかなコーラスのみというシンプルな構成で歌われました。

シンプルで音の数が少ない分だけ、つよしさんの歌声の素敵なところが際立って、なんて魅力的なんだと思いました。

ご本人はまだまだ不満足と言っていたけど、(誰よりもプロ意識が強い)自分比では・・・であって。

客観的に見て、音程や細かなリズムが不安定だとはちっとも思わなかったです。

それでも満足ではないと言い。もっと歌えるようになりたいと公言する。

こんなものではないと悔しそうだなんて。

ご本人も言っていたけど、耳のことがあってからも、自分の思う「このレベルで歌いたい」という水準を下げず、前と同じように遜色なく歌うために、この人はどれだけ人に見えない努力を重ねてきたのだろう。

元々とりわけ上手い人が、さらに人の何倍もの努力を重ねているわけで。

この費やした時間が、流した汗や涙が、今後の彼の音楽人生にとって、大きな財産となって、彼の音楽がさらに大きく花開きますように。

誰よりも彼自身がしあわせだと実感できる瞬間がたくさん訪れますように・・・

そう思わずにいられませんでした。

曲調はラジオでもすでにほんの少しだけ流れましたが、どこか儚く、郷愁に満ちたメロディーと美しい抒情詩的なバラードでした。

桜の歌だけど、ピンクというよりは、どこか水墨画のような趣で。

だからこそ彼の繊細な歌声が生き、小さな気持ちの揺れまでもがこちら側に届き、際立って聴こえてくるような、印象的な歌でした。

ああ、早くCDでも聴きたいな!

ツアーが終わり、なんとなくさびしい気持ちになっているのに、アルバムがこれから出るという素敵!!!

ああ、楽しみだなぁ。

そして、さっきの続きで歌声を聴いたあとの感想をつぶやいたのがこれ。

中野のライブのちょっと前のラジオで、こんな話をしてくれました。

耳のことをあんまり心配しないでね?

ステージでも不調を隠したままにはしませんから。

ちゃんと不調になったら途中でも言いますから。

そう言ってくれたことが、本当にありがたかったです。

彼がとても誠実な人だから。

わざわざそう言ったからにはそうなんだろう・・・と心から思えたし、びくびくすることなく、安心して歌の世界観にどっぷりつかることができました。

本当にしあわせなことだったのでありました。ありがとう!つよしさん。

・中野では平日ばっかりのライブ日程にも触れてました。

どうなのこれ?って。

ああ、ちゃんと知ってくれてるんだなぁと思ったことを書いておきたいです。

・この日はメンバー紹介の後も一向にホーンさんたちやコーラスさんたちがお名残惜しそうにはけなくて。

「お仕事終わりですよ~」とつよしさんに促されてたのが素敵光景だったのでありました。

一方神奈川では・・・

・ ピンクの耳栓を新調したと言ってました。

ずっとつよしさんと共に働いてくれてた耳栓に、とうとう亀裂が入ってしまったのですって。新しいのは変態なピンクって言ってました(笑)

・アルバムは3月から作ってて(あれ?中野では4月からって?笑)わりと遊びながら自由に作ってて(頭で考えず浮かんできたものを・・・みたいな感じに受け取りました)二日で8曲くらい作ったそう。

・そしてジャニーさん話。

FUNKを始めた当初

「なんでYOUは一番人気があるのに(あまりメジャーではない系の?)そっち(FUNK)へ?」

なんて言われたこともあったそうです。

そのジャニーさんが、一方で「自分のやりたいことだけをやりなさい。」と応援もしてくださってたそうで。

si:ライブの時、一度だけステージを見にいらして、つよしさんの後ろでキーボードを弾いてた人は誰?とわざわざ聞いて。

「彼(十川さん)とは、これからもずっと一緒にやって行った方がいい」と、直感でアドバイスしてくださったというのを懐かしそうに話してました。

「あの時の言葉は『十川さんはネタの宝庫だから』って意味だったんじゃない?」みたいに茶化してましたけど。

もちろんつよしさんが十川さんに全幅の信頼を置いてるのは、誰の目からも明らかだし。

バンマスは、どんなジャンルにも対応できる幅広い音楽的見識と鍵盤の技術を兼ね備えて持ってらして。

さすが人を見る目に曇りがないジャニーさん!と思いましたのことよ。

そして、これからはもう、ジャニーさんがつよしさんのライブを見ながら書いた自分メモを見て「ねえ、YOU、これ何が書いてあるんだろう?」とダメ出しに来ることもないんだなぁとちょっとしんみり。

もちろん「オマエ(ジャニーさん)がわかってへんのかい!!」

「どうせーっちゅーねん??」なんて笑いに変えることも忘れずに(笑)
 で、わたしメモの次の行に

「大きくなればなるほどに、オーラを消してゆけ!」

って書いてるんですが、これはなんだろ?

(と、ジャニさんみたいなことを言ってみるww)

ジャニーさんがお掃除の人みたいに誰よりも先に立ち働いたり、楽屋へ入ろうとして止められたりという話の流れだったのかなぁ?

今となっては藪の中でごめんなさい(大汗)

この話の流れで「ものまね選手権みたいなのがあったら、自分はジャニーさんの物まねで出る!」「ライバルはミラクルひかるミラクルひかると競ると思うで!」だって(笑)

てってってってってーーーーーーっ!!と採点の小喜利のランプみたいなのが、駆け上がって行くさまを真似てました(笑)

・ジャニーさんは魂になってから、お世話になったいろんな人に挨拶をして。

一回り挨拶し終わってから、7月9日「凪ぐの日」を命日として選んだ気がするって言ってました。

語呂合わせでいくと「凪」には「平和」という意味があって、彼の最後のクリエーションがこれだったのではないか?と。

この日を選んだことに「(遺された)みんなは、どうか平和に清い気持ちで生きてって欲しい!!」という願いを込めたのではと語ってました。

(お別れのあいさつの)ワールドツアーが終わったら、ボクの愛獣の龍を事務所の駐車場に返しといて欲しい!って言ってましたよん、ジャニさん。むふふ。
そこからは、神奈川でも水面音についてのトークとなり。

哀しいこと、辛いこともすべて歌で包み込もう・・・という話をしてました。
この日は、ケンシロウだけじゃなくて、天に昇ったジャニーさんについても同じように思いを馳せながら歌っているように感じました。
この辺りの話の前後だったかで、社長からは本当にいろんなことを教わった。

色々言葉を並べても、自分の想いのすべては伝えられない。

そしてお別れの仕方も人それぞれ。

つよしさん自身は涙を流さずに身体と心を涙で彩って、体内に巡らせ、気持ちは作品に込めて、一度きりの人生を自分らしく最期までまっとうできたら・・・みたいに言ってました。

そんな風にたくさんジャニーさんに触れてるけど。彼自身はきっと「ぼくの話なんかどうでもいいよ!ライブのことを話しなよ!」と言ってそうだとも言って笑ってましたけど。

ジャニーさんはケンシロウと同じように、つよしさんの心の中に今も、これからもずっと存在していて。

彼だったらこんな時どう思うだろう?こういうのは喜ぶだろうな!って、常に心の中のジャニーさんに問いかけたり相談したりしながら、これからもやっていくんだろうなぁと思ったりしました。
その後のツアーレポでも、身内のお別れの会の折、ずっと泣かないで周りを和ませたり、笑わせたりすることに徹したと語ってたそうですが…

ツアーがまだまだ続いている緊張もあっただろうし、そうは言っても周りに気を配らずにはいられない人だから・・・

今、やっとツアーも終わり、時間ができた中で。

あらためて張っていた気持ちがほどけた時に、つよしさんが、ゆっくりと弔いの時間を持ててたらいいなぁと思いました。

 

ここで一旦切ります。あとひとつでこのまとめもおしまいです。

いつもながら、読んでくださってありがとうございます。