8月19日。月曜日の朝8時半くらいに、バロンが虹の橋を渡りました。
17歳と1か月でした。
この画像は数年前のものですが、こんな風にべったりくっついて暮らしていたので、まだとなりにいるような気がしています。
ご近所で同時期に犬を飼い始めた家がたくさんあって、とてもにぎやかだったのですが、お友達のワンコはみんなすでに虹の橋を渡っていってしまったので、一番の長生きだったことになります。
特に病気をすることもなく、ラスト三日間くらいを除けば本当に健康で手がかからない犬でした。
直前の木曜日はサマソニ参戦の日で、半日くらい家を空けていたのですが、もしバロンの具合が悪くなるのがもう一日早かったらサマソニ参戦は断念していたと思います。
この日はビーチステージが使用できず、ENDRECHERIのステージが無くなってしまった日だったのですが…
だからこそ、ちゃんと楽しんで参加したい!という気持ちが強くありました。
そんな気持ちをちゃんとバロンが察してくれたのか?帰宅するまでは普通にいつも通りの日だったのです。
それが、だんだんにその日の夜から具合が悪くなり。
病院に連れていった翌日の午後には、明らかに呼吸が苦しそうになっていて、まったく飲まず食わずとなり、ただごとではない感じとなりました。
病院の先生の見立てでは、心臓が肥大しているようにも思えるけど、そこまで深刻そうだとも思えないとのことで。食べられるようになれば、また元気になるのでは?とも言われていたのですが、ついぞ食べられるようにはなりませんでした。
日曜日の朝も動物病院の先生がお休みなのに見てくださって、点滴や栄養も注射してくださったのですが…日曜日の夜には、誰の目から見ても、もう長くはないな・・・という感じになっていて。
たまたまこの日は、この夏唯一の、家族が全員揃っていた日だったので、存分に声を掛けたり、撫でたり、みんなでちゃんとお別れができたのが、今思い出しても本当によかったと思っています。
今思い出しても一番つらかったのは、日曜日の夕飯を作る間の時間で。
ずっとバロンはキッチンにいたので、常にバロンがまとわりつく中でご飯を作るのが常だったのですが、その日はわたしが料理している姿を、ずっと静かに見つめていて。
ずっとうるうるしながら、震える手でご飯の支度をして。
バロンにも時折声を掛けつつ、みんなでいつも通りにご飯を食べました。
驚いたのは、日曜日の夜中、滅多に吠えないバロンが吠えたのです。
外でも家の中でもほとんど吠えることがなく。生徒が来ても、来客があっても吠えることはなくて。
たまたま誰かが足を踏んだとか、そういうことでもなければ声を聞くことも稀な犬だったので。
夜中に吠えたのなんて、何年ぶりだろう?というくらいで。思わずアネとオットと見に行ったのが、午前1時半くらいでした。
吠える声を聞かせてくれたのかしらね?なんて言っていたら、その後また2時に吠えて。その時はオットがわたしに「寝てていいから」と、一人で下へ降りてくれて、一時間くらい添い寝していたそうです。
さらに、オットが戻ってきてほどなく。今度は3時半くらいにまた吠えたので、わたしが降りて行ってみるとバロンがそっとわたしを見上げていて。
そこから5時20分過ぎにオトートが起きてくるまでの間はわたしがキッチンの板の間で、バロンの隣で頭から尻尾までぴったりくっついて寝てました。
家族がいる間はまったく吠えもせず、苦しそうではあったけど、寝息をたてていたので、わたしもウトウトしながら、今にして思えば「添い寝」というしあわせな時間をバロンが最期の最期に用意してくれたのかも?と思ったりしました。
その後、いつも通りバロンに声を掛けながらお弁当を作り、家事をして。
朝ドラの後洗濯物を干していたら、たまたま月曜日お休みだったオットが「早く来て!」とただならぬ大声で呼んでくれたので、オットとともに、最期の瞬間に立ち会うことができました。
その日は出張レッスンで、9時半には出かける日だったのですが、もう前日に思う存分お別れはしていたし。覚悟はできていたので、そこまでパニック状態になることもなく。
淡々と決めるべきことを決めて、家族もそれぞれ職場へと出かけて行きました。
たまたまオットが休みの日だったので、その日のうちに動物病院への連絡やら火葬の手配やら、そういうこともすべて滞りなく終わりました。
オットがお休みの日であったこと。
前日に全員が揃って心残りを作らないでくれたこと。
サマソニが終わった後だったこと。
わたしとオット・・・特に一度くらいいつか添い寝してみたいと言っていたオットと、ちゃんと最後の最後に添い寝させてくれたこと。
すべてがバロンの計らいのような気がして・・・
本当にありがたいことだ!!いつか虹の橋のところでまた逢えたら、「あの時はあざやかな手腕だったね!本当にありがとう!!」と言いたいです。
サマソニについては、また別途触れたいのですが…
金曜日、わたしがひとつとても心に残った場面があって。
それはYUKIちゃんのステージでの「JOY」のパフォーマンスでした。
なぜかわたしは、この曲にとても大きな思い出があって。
そして、その思い出は、なぜかつよしさんなんだか、KinKi Kidsさんなんだかの思い出と結びついていて。
なのに肝心なところが思い出せないのですけれど・・・
この曲をどうしても聴きたいと思っていたら、ラストの方で歌ってくれたのでした。
その日白いドレスを着たYUKIちゃんは、以前とちっとも変わらずとても清らかで美しくて。
歌詞を聴いて思わずウルウルしたのですが、実際にこの歌詞の意味を深く噛みしめたのは、バロンがいなくなった後でした。
いつだって世界はわたしを楽しくさせて
いつか動かなくなる時まで遊んでね
という歌詞だったり。
誰かを愛すことなんて ほんとはとても簡単だ
だったり。
大切な思い出さえ忘れていきそうです。
確かな君に会いたい 百年先も傍らにいたい
どんなに離れ離れでも ふたりをつなぐ呪文はJ・O・Y
だったり。
今にして思えば、YUKIちゃんの歌を借りて、バロンがわたしにくれた最後のメッセージのような気さえして。これからもこの歌が特別に好きでいるんだろうなぁと思いました。
えっ!?どんな曲だったっけ?という方はどうぞこちらを見てみてくださいね。
バロンは、血統書上の名前は「ノウム」と言って、地の精という意味だそう。
愛らしいバロンにぴったりでしょ?という言葉と共に、ブリーダーさんから譲っていただきました。
当時、義父を亡くしたばかりでさびしかった我が家に4か月でやってきたバロンは、当初から、適度な運動をした方がいいと言われていた当時のオトートと共に、お散歩するという役割を担ってきました。
実際、虹の橋を渡るぎりぎりまでオトートとも散歩に行っていましたし、その姿は最後までドン・キホーテとサンチョパンサのようで。
オトートと、とてもいいコンビでした。
オトートはバロンを弟分だと思ってましたが、バロンもまたオトートを弟分だと思っていたフシがあって(笑)
あまり彼の言うことはきかないけれど、とても仲良しな二人でした。
とても穏やかな性格で、でも、知らない人に親しげにされるのは苦手で。
おやつをあげると言われても、こっちにおいで!と言われても、いつも困ったような顔をしていたのもいい思い出です。
その分家族への愛情は半端なくて。
本当に家族の一員としてずっとセンターでよく家族をまとめていたと思ってます。
とにかくオットが大好きで。
アネが泣いていると、いつもそばに寄り添っていて。
オトートと兄弟のように育ち。
わたしと共に、キッチンの番人で。
お料理するわたしの周りに常にまとわりついて、野菜の端っこをもらったりするのがとても好きでした。
小さい頃のオトートが何か食べこぼさないかなぁ?と期待の目で待っていたり(笑)
彼は階段を降りられないので、キッチンのある中二階の階段の端っこから下をのぞいていたり。
こんな風に下から常に家族を見つめてました。
これは今年の春。桜の頃にお散歩した時の画像です。
もういなくなってしまったはずなのに、時々夜中や明け方に「ぱたぱた」というバロンの足音が聞こえてドキっとします。
気のせいかもしれないけど、これは家族みんなが言っていて。
そして朝に夕に、いた時と同じように「バロン、おはよう!」だの「おやすみ、バロン!」だの「ただいま」だのをバロンに話しかける家族の習慣は変わらずで。
きっとこれからもそうなんだと思います。
ふぇるまーたを訪れてくださるみなさまにも、たいそうかわいがっていただき、感謝しています。
わりとさっぱり普段通りにしているとはいえ・・・やはり喪失の哀しみは半端なくて。
お料理をする時はさびしくないように「NARALIEN」をずっと流してバロンと聴いている気持ちでいたり(笑)
同じようについせんだって、大切な人を亡くした方々も、こんな気持ちだったのかなぁ?と思いを馳せてみたりもして・・・
一緒に乗り越えよう!!なんて思ったり。
本当にお別れって辛いものだなぁとしみじみしたり。
これからも生きていれば、お別れはたくさんあるだろうけれど、ミントやルナやバロンには本当にいろんな勉強をさせてもらったなぁととてもありがたく思ったり。
とうとう家から、すっかり動物がいなくなったんだなあと思うととてもさみしい気持ちになったり。
でも、生きている間に震災とか停電とか不慮の事故にあうことなく、寿命をまっとうさせてあげることができて本当にありがたいと思ったり。
まだまだ整理がつかない頭でいろんなことを思っています。
とりあえずは、ここのところ、老犬を一匹で置いて長い時間外出することや、旅行に出ることがとても怖くなっていて、滅多に出なくなっていたので・・・
少しずつ外へ出て行ってみようかな?と思ってます。
多分彼もいつまでも悲しんでいる家族を見ていたいわけじゃないだろうし。
わたしも元気に生きるから、わたしがちゃんとやれてるかどうか、空から見ててね!!と言いたいです。
長々と書きました。
読んでくださったみなさまにも、心からの感謝を!
ありがとうございました。