ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 君(たち)のこと、わかりたいんだ。どしても!

というタイトルのテレビではありません(笑)これはわたしの心の叫び(笑)

番組のタイトルは「君が僕の息子について教えてくれたこと」です。

これはNHKで2014年に放映された番組の再放送で、たまたまツイッターで5月4日に再放送があることを知り、それをフォロワーさんが紹介してくださっていて、開始5分前に直感的に録画ボタンを押して出かけてしまったので、中身を確認したのは一昨日でした。

ちなみにこの番組で紹介されていた東田直樹さんのオフィシャルサイトはこちらです。

この番組はすでにDVDにもなっていて、amazonで検索してみたらありました。

まずはどんな内容か、amazonさんの内容紹介の言葉を引用してみました。

内容紹介
日本の自閉症の若者・東田直樹さんが、自分の心の内を綴ったエッセイ『自閉症の僕が跳びはねる理由(The Reason I Jump)』が20か国以上で翻訳されベストセラーとなっている。
英訳したのは、イギリスの作家デイヴィッド・ミッチェル氏。彼にも自閉症の息子がいる。東田さんの本を読んで、
まるで息子が自分に語りかけているように感じたと言うミッチェル氏と東田さんの出会いが奇跡を生み、自閉症の子どもを持つ世界中の家族に希望の灯をともした。

【出 演】 東田直樹 デイヴィッド・ミッチェル 【朗 読】 濱田岳 【語 り】 ayako HaLo


そして内容紹介のところに出てきた、東田さんが出版した本がこちらです。
この本を彼は13歳の時に出版しました。

自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心

自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心


自閉症の人が、どんな考えでどんな行動をするのか、今までそれをちゃんと説明できる人はほとんどいませんでした。
なぜなら、自閉症の人たちは、実は頭がとてもいい人が多いけれども、人とのコミュニケーションがとても苦手だと考えられていて、実際に目を合わせることもそんなに簡単ではありません。

その頭の中、行動について、上手に言葉にして表現することができる人がなかなかおらず、なんとか理解し合いたい、わかりたい、力になりたいと思っても、わかり合うことはそんなに容易ではありませんでした。

わたしも自閉症について学校でちらっと勉強をしたことがあります。

自閉症の子がたくさんいる統合保育の幼稚園に2ヶ月ほど実習に行ったこともあるし、まったくこの症状のことを知らない人と比べれば、少しは知っているほうかもしれないですが、それでも断片的に知っていることがあるくらいで、本当に理解しているかと問われればまったく不十分なレベルだと思います。

実際、なんとか彼らと仲良くなりたいと努めましたが、当時はまだまだ本当に頭でっかちで人としても未熟過ぎる学生だったし、突然背中に噛み跡がつけたれたり、手をつなごうと差し出した手を振り払われたり、やればやるほど迷惑がられているのでは?おせっかいが過ぎるかしら?と思わされるような経験をいろいろとしました。

もちろん今現在、自閉症のお子さんを持つ友人もわたしの周りに何人かいらっしゃいますが、当時のわたしと比べると、びっくりするほど上手にコミュニケートされているし、どの方々も日々の努力の積み重ねで、お子さんと上手に楽しむコツを体得されて、いい意味で楽天的に、とっても明るくしあわせに暮らしてらっしゃる方が多いです。

それでもやはり現在進行形で、たくさんのご苦労があるだろうし、どんなにうまくいっていても、やはりくじけるときだって、もうだめだと思う時だってあると思うのです。

それは自閉症の家族を持つ方々に限ったことではなくて、我が家だってそう、健康にはなんの問題もない、一般の家庭であってもそうだと思います。

だから、この話はあえて「自閉症」という特別な話だという風には見たくないと思いました。

さて。

この番組に出てきた東田さんもまた自閉症ですが、パソコンを介すれば自分の思いを言葉で表すことができる、とても豊かな感性と才能にあふれた方です。
番組では、この東田さんの高い表現力と能力により、世界中のどれだけの自閉症のご家族が、健常者も含め、たくさんの人々が希望を得ることができたかという話を軸に、進んでいきます。

そして、早くから東田さんの才能に気づいたご両親は、パソコンで上手に文章を紡ぐ東田さんの行動からあるヒントを得ました。

それまで、パソコンを介してのみコミュニケーションができていた東田さんですが、キーボードの配列をおかあさまが手書きで書いた紙さえ持っていれば、パソコンがないところでも、その文字盤を順番に触って、他人に自分の考えていることを伝えられるというコミュニケーションの取り方を編み出したのです。

ご家族とともにいろいろと模索して、今ではご家族だけに限らず、多くの人たちといっぺんに会話をしたり、講演活動もできるようになりました。

この文字盤を持って会話できるようになったことについて、東田さんご本人は

(この文字盤があれば)自分の忘れてしまいそうになる言葉を思い出せるからです。
(言葉は)パソコンの変換のように次々と言葉が浮かんでくれるのです。

と表現していました。

もちろん、何も努力せずに文章がすらすら書けるようになったわけではなくて、早くに彼の才能を見出したご両親とともに、たくさん努力をして、中学生の頃にはすでに、グリム童話大賞を2年にわたり受賞するほどの文章力を得たのだそうです。


たまたま日本で語学の先生をしていたことがある、アイルランド在住の作家、デイビッドさんとの出会いにより、東田さんの本は世界中に広がっていくことになるのですが、その最初の邂逅は本の通販サイトでした。


デイビットさん自身、重度の自閉症の8歳の子どもがいて、彼と上手にコミュニケーションができず、とても悩んでいたそうです。
なぜうまくいかないのか、常に苛立ち、子どもにあたり散らしたり、お互いに不愉快な思いをしたり、自分がなんて不幸なんだと思ったりしていたそうです。

そんなとき、サイトで東田さんの本と出会い、もしかしたら、同じ障がいを持つ東田さんの本を読むことで、自分の息子が考えていることがわかるのではないかと思い、藁にもすがるような思いで、すぐに取り寄せたのだそうです。

たまたま彼は日本に住んだ経験があり、日本語ができたので、とてもラッキーだったと語っていました。

実際、本を読むにつれて、たとえばどうして自閉症の人が、突然パニックになるのか、床に頭を打ち付けるのか、大きな音にパニックになるのか?など、今までとても疑問に思っていたことが、東田さんの言葉を通して理解でき、最後には、息子が東田さんの言葉を借りて、直接語りかけてくれるように感じるようになったのだそうです。

すごいことに、今までまったく理解できないと思っていた息子のことを理解する手がかりを得てからは、日常がきのうまでとはまったく違ったものに感じられるようになり、日々、息子との生活をとても楽しめるようになったのだそうです。

そして、今は作家として名を成している彼は、この本を英語に翻訳して、世界中の人に伝えなければと思ったのだそうです。

まずは、同じように自閉症の人がいる家族に、そして、世界中の人たちに「東田さんの思いを伝えなければ」「この本を読めば、もっとみんなが自分のようにしあわせになれる」と感じたのだそうです。

デイビッドさんは、息子の行動には必ず意味があるということを知って、息子が同じことをした時に、今までならイライラしたり、腹立たしく思ったことが、まったく違う意味を持って考えられるようになったのだそうです。

自閉症の人には十分な時間と空間が必要だということも理解できて、彼のペースに合わせて、いろいろなことが待てるようになったのだそうです。

ご本人が語るその変化のお話は、とても説得力があって、ああ、そういうことだったのか!と頷かされます。

この本を書いたときの東田さんは13歳でしたが、彼の話は実に説得力があって、そして何より人の心を揺さぶる力がありました。

たとえば「どうして(自閉症の人は)うまく会話できないのですか?」という問いに対する東田さんの答えはこうでした。

話したいことは話せず、関係のない言葉はどんどん勝手に口から出てしまうからです。

ぼくたちは、自分の身体さえ自分の思い通りにならなくて、じっとしていることも、言われたとおりに動くこともできず、まるで不良品のロボットを運転しているようなものです。

この説明のなんとわかりやすいこと。
一見、わかりやすい反応が返ってくることが少ない自閉症の方ですが、心の中はちゃんといろいろと感じたり動いたりしているのだということがよくわかります。


「いつも同じことを尋ねるのはなぜですか?」という問いに対しても東田さんはとてもていねいに答えていて

今言われたことも、ずっと前に聞いたことも、ぼくの頭のなかの記憶としてはそんなに変わりません。

よくわかりませんが、みんなの記憶は多分線のように続いています。

けれども、ぼくの記憶はいつも点の集まりで、ぼくはいつもその点を拾い集めながら、記憶を辿っているのです。

この言葉もとてもイメージしやすいです。
自閉症の方が、日々、どんなことと闘っていて、この生きづらい世の中の方に自分を合わせるための努力をしているのかが、伺われるようでした。
健康な人の何倍も神経をすりへらし、何倍も頭を使いながら、日々、誰にも理解されにくい孤独の中で懸命に生きている、その様子が見えるようでした。


番組の中で、東田さんとデイヴィットさんが顔を合わせる場面がでてきます。
デイビットさんは、東田さんにまず息子の気持ちがわかるようになったことに対する感謝の気持ちを伝えます。

その時に

誰かにとっての喜びになるのは僕にとってもうれしいことです。

とまっさきに表現した東田さんの言葉には、なんだかぐっときて、思わず涙が出てしまいました。

彼らがきっと心にそう思っていても、なかなかに周りに伝わらないこと。
実はわかりにくいけれど、自閉症の人だって、ちゃんと心の中はおんなじなんだということをちゃんと言葉にして見せてくださった東田くんは、すべての自閉症の人や彼らをとりまく人々にとっての救世主と言ってもいいのではないかな?

その言葉を発してくれてありがとう。
ちゃんと伝えてくれてありがとう。

東田さんはこうも言います。

昔は、自然と一体化した時間がしあわせでした。今は、家族で笑っている時や、僕の本を読んだ人たちから感想をいただけるときが幸せです。

一見周りのことに興味がないのだろうか?と思われされるようなそぶりの時も多いですが、実は彼らはちゃんと周りを見ているし、周りのいろいろなことを感じているのです。

さらに、一番怖いこととして「人の刺すような視線」と答えていて、これは自閉症に限らず、人とちょっと違う人を見たとき、マジョリティーのほうに入る人たちが勝手に決めた「人並み」という尺度で見られた時に、実はたくさんいるであろう、マイナリティーの人が、多かれ少なかれ、みんなが感じていることだと思いました。


またデイビットさんは、東田さんを通して息子の気持ちを探ろうと「おとうさんとして、どうすればいいですか?」と問いかけてみます。
この答えがまたとても泣けるものでした。

ぼくはそのままで十分だと思います。お子さんも おとうさんのことが大好きで、そのままで十分だと思っているはずだからです。

という東田さん。
この言葉をまんま息子からの言葉だと素直に受け止めて、心から感動するデイビッドさん。


東田さんは、後日談として「もっともっとたくさんの話をしたかったのだそうですが、自分の言動をコントロールできませんでした。」と語っていました。

画面では、対面の部分だけでも、かなり上手に東田さんが言葉で伝えているように感じましたが、彼の中ではまだまだそれでも不十分で、もっと言いたいことがあったのに!と思っているのだなぁとわかったことは、わたしにとっても、とてもとても大切で胸いっぱいな経験でした。

後日談から引用させていただくと

子どもが望んでいるのは親の笑顔だからです。僕のために誰も犠牲になっていないと、子ども時代の僕に思わせてくれたのが、僕の家族のすごいところです。

この言葉を読んだときに、やっぱりこれは自閉症の人へのお話としてのみ読んではならないと強く感じました。

今、人として、とてもとても大切なことを聞いている気がして、わたしも心の中で何度も何度も噛みしめながら聞いていました。


専門のお医者さんの話の中で、自閉症と同じグループのひとつとして、先日オトートといろいろあった先輩の病名も出てきました。
オトートにとっては今のところ、いい出会いだったとは言えない状況ではありますが、先輩もまたこれまでどれほどの苦労をしてここまできたかが容易に想像できました。

今のオトートにとってはますますむずかしい状況になっていますが、だからと言ってこの病気そのものを彼が苦手と思わないように、気をつけなくてはならないと思います。

そして障がいがある人同士だけで解決する問題でもないし、健康な人は考えなくても関わらなくてもいい問題でもありません。

いずれにしても、こういう問題を家族とか同じ障がいのある人たちとか、専門の施設とか、小さい範囲だけに押し付けて、普通の人たちにとっては他人事にしてしまうことが一番ダメなことでもあるような気がして、やっぱりもっとこういう風に、自分の身になって考えられる番組、本、舞台、ドラマなどが増えることが大事なんじゃないかと思いました。

途中、東田さんの心の中の話、何に感動していて、何を喜び、何を悲しく思うのかというエピソードがたくさん出てくるのですが、どれもとても豊かな感性と人間性、表現力がにじみ出ていました。

さて。

デイビットさんが英語に翻訳したことで、本当にたくさんの自閉症の子を持つ家族が希望を得たそうです。


ノルウェー在住の少年、スコットくんは、東田くんの本を親子で読むのが日課になっていて、その本と触れているうちに、スコットくんも少しずつ言葉を発して自分の気持ちを表現しようと試みるようになってきたそうです。

スコットくんには、やはり止めても止めても、何度でも何分でも飛び跳ねるという癖があって、そのすごさは一年に15足も靴を履きつぶすほどだったそうです。

東田くんの文章を通して「飛び跳ねているとき、空に吸い込まれてしまいたい思いが東田くんの心をゆさぶり、鳥になってどこかへ飛んでいきたいと思う。」「飛んでいる時、とても自由な気持ちでいる」という彼の思いはまた、スコットくんの思いでもあるということを知るご両親。

また、飛び跳ねることで苦しいとき、発散している思いもあるようだということもわかりました。

それが理解できてきたご両親は、もはやスコットくんが飛び跳ねることをムリやり止める必要は感じなくなりました。

お庭にトランポリンを置いてあげて、好きなだけ自由に安全に跳ねられるようにしてあげたのだそうですが、ご両親からもらったトランポリンで、とてもしあわせそうに飛び跳ねているスコットくんは、きっととてもご両親の愛情を感じたでしょうし、ご両親もとてもしあわせな目でその光景を眺めていました。

ああ、理解し合えるってなんて素敵なことでしょう。

そうやって穏やかな目で見ることができるようになると、息子さんが動物とはとても上手に心を通わせていることに気づきます。
動物とは言葉を介さなくても仲良くできるし、人間とは少し違うルールでコミュニケーションをすることができます。

ああ、すべてはそういうことなんだなぁと思います。

それに気づいた両親は、スコットくんにミニブタをプレゼントします。
スコットくんは、将来動物のお世話をするような職業に就こうと考えるようになったのだそうです。

少しのきっかけがあって、理解する手がかりさえ得られれば、どんな風にでも関係は変わっていけるという実例がいくつか紹介されていましたが、気持ちの持ちようひとつで、こんな風にお互いがしあわせになれるんだというのが、とてもよくわかりました。

あるアメリカの成人した息子さんは、施設で暮らしていましたが、この本を親御さんたちが読んでから、積極的に家に呼ぶようになり、お互いにとって、一緒に生活をすることがどんなに楽しくてしあわせなことなのかを知りました。

何度も何度も両親の結婚式の写真を見てはキスをする息子さんの映像。
親が喜ぶと知っていて、何度もハグしてくれる息子。

息子さんなりに、一生懸命ご両親への愛情を示そうとする、その姿はとても感動的でした。
ちゃんとその真意が伝わってきたし、このご両親はしあわせだなぁと実感を持って感じることができました。

ご両親の本当にしあわせがにじみ出た顔は、息子さんにもちゃんと伝わっていて、いい循環が起きているのが手に取るようにわかります。

気持ちを分かり合える手がかりさえ得られれば、こんなにしあわせでいられるんだなぁというのが伝わってきて、これは、自閉症のことだけを言っているのではないなと強く感じました。

人と人がわかり合うということ。
人と人が気持ちよくお互いと接すること、一見まったく違う個性の人とも、上手に共存することができるようになるアイディア。


東田さんはデイビットさんと一緒に本を書こうと約束をしているのだそうです。

大作家になって、本で身を立てることが東田さんの夢だそうです。

東田さんにたくさんの幸あれ。
自由な感性が、これからもどんどん羽ばたいていきますように。

そして、不自由な思いで生きている、さまざまな枠からはみ出してしまった方々が安心して暮らせる、素敵な世の中がやってきますように。