先週の剛さんのソロラジオは、配信ライブの感想がたくさん読まれてとても充実した内容でした。
ブログでも久々に感じたことを書いてみたくなったので、今日のテーマはこれにします。
カナダや韓国在住のファンの方からの感想のメールが読まれていました。
わたしの友人たちやお知り合いのみなさまたちも、ヨーロッパから、あるいは台湾から、中国から・・・みんな楽しそうに一緒にライブを楽しんらっしゃいました。
韓国からメールを送ったお嬢さんがとても美しい日本語を操りつつ、日本人のわたしよりもずっと自分の気持ちを上手に伝えてらして、素敵でした。
以前浅草で小喜利に参加した時も思ったのですが。
普通に日本でファンをしているわたしたちが思っている以上に、海外のファンもたくさん現場にいらしてて。
特にあそこは「お笑い」だったわけで。
ライブよりもさらにハードルが高いはず。
それでも好きな人を深く知りたいという一心で、その国の言葉を勉強までして臨む方々もたくさんいるんだと思いました。
今回もきっと、そんなメールが読まれた以上にたくさん届いていたのだと思われます。
いつも剛さんが言っている「空と心は繋がっています」は、日本全国、津々浦々だけじゃなく。
お互いの気持ちさえ同じところにあれば、世界中のどこにでも繋がっているんだなぁ。
そんな風に感慨深く思いました。
ラジオの最初の方で「キツイ言葉、汚い言葉、やめませんか?」と剛さんが言ってましたけど、ほんと大賛成です。
最近SNSとか見ていると、苦しくなる場面が多いです。
傷つけあっても、誰もしあわせになれないのに。
そろそろこういうの、もう終わりにしようよ。
直後にかかった「Everybody say love」はまさにこういうのがテーマ。
この曲、ほんとに大好きです。
イントロのマサ小浜さんの、自然と明るく前を向かせてくれるギターソロから始まって、剛さんの歌声もメロディーも演奏も・・・隅々まで大好き過ぎて痺れます。
来年、普通にお客さんを入れたライブが復活しても「配信FUNK」をしたいと剛さん自身の口から聞けたのもとてもうれしかったです。
すでに会社にもお願いしているそうです。
どうぞ叶いますように。
このあたりまでは、まだ寝落ち寸前だったオットも一緒に聴いていて。
ほんとそうだよ!いいこと言うね!と大賛同してました(笑)
その剛さん、ここのところ、体調のコントロールがとてもむずかしそうで。
不調について語る日も多く、胸が痛みますが。
一方でライブの時も包み隠さず、ちゃんと自分の体調についてファンに説明してくれていて。
わたしたちファンは、ちゃんと信頼されているなぁと安心します。
以前「不調な時は不調だとちゃんと言いますから」・・・と言っていたし、ファンもその言葉をとても真摯に好意的に受け止めていて。
先日の配信ライブの時も、もちろん誰もがとても心配はしていたけれど、とても落ち着いて見守っていたように思いました。
換気タイムにTwitterを開いたら
「ゆっくりいこう!?」
「十分に休んで」
「ムリしないで」
「たとえここで終わったとしても、もう十分満足だからね。」
「こちらのことは考えなくても全然大丈夫」
といった、やさしい言葉や、やさしい空気に満ちていたし。
だんだんにご本人の調子が落ち着いてきてるとわかるにつれて、ファンも自然に「心配」よりも「楽しい」が勝っていって。
最終的にみんながみんな、本気の本気で楽しめた・・・という。
その過程ごと、お互いの理解、経験値を時間をかけてひとつずつ重ねてきたが故の、宝物のような時間でした。
この混沌とした時代においては、誰もがいつ身体や心を病むかもしれない状況で。
お互いに対してあらを探したり、ちょっとの弱みや隙も見せられない社会はとても窮屈です。
穏やかにありのままに、お互いを認め合い、信じ合い、愛を投げ合うことの大切さ。
そんなことをいろいろと考えるきっかけをもらった気がしました。
こういうやりとりや、ファンの空気感も含め、同じようにパニック症で苦しんでいる後輩くんにも伝わるといいなぁと思います。
先輩の剛さんの時代は、なかなかカミングアウトすることすらできなくて。
本当に本当に茨の道だったのですけれど。
今ではステージで突然不調が襲っても、見せてはいけないというムードではなくなったし。
スタッフさんもファンも理解して落ち着いて見守ることができるようになったし。
ステージに立つ人と見守る人の、こういう関係性がちゃんと成立している姿を見ることができたら・・・
きっと治癒への道を歩んでいる最中の後輩くんたちもまた、励まされると思うのです。
まだ復帰できずにいる後輩くんも、きっと大丈夫と思えると思うのです。
今はまだその時ではなくても、いつかきっとステージに戻れる時が来ると、希望を持ってそう思えるのではないか・・・と。そんなことを思いました。
誰もが完璧だけをゴールにして、とことんストイックに周りも自分も巻き込んで、身体も心もどこまでも追い込んでいく世界はもう終わりにして。
いたわり合う世の中へ・・・
超高齢化社会も目の前だし、誰もがもう少しおおらかになれたら。
きっとみんながもっと楽に生きられるんじゃないかなぁ。
さて。
今回のラジオで、もうひとつ特筆すべきは、剛さんが一緒に音楽をしているミュージシャンの方々のみならず、ジャニーズ内部のスタッフさんや職人さんたちへの熱い想いを語ったくだりだと思いました。
わたしはひとつ前のオンラインで行われた平安神宮の奉納ライブを見た時にもこのことを強く感じてました。
多分剛さんと同じように、技術スタッフさんたちも共に年月と経験を重ねて来たのだなあというのが伝わってきました。
照明の当て方だったり、水や火の演出、ステージング。
ジャニーズの中の技術担当スタッフさんたちと共に培ってきた経験が、結実したライブだったなぁと、本当にしみじみとそう思いました。
剛さんにとっては、彼らもまた、一緒に試行錯誤を重ねてきた戦友のような間柄なんだろうなぁと。
それが裏付けられたような今回のラジオでの発言でした。
とても素敵だなぁと思ったので、剛さんが語っていた部分を、わたしはまんま書くのが下手なので、できるだけニュアンスを忠実に再現できるべく、意訳で書いておきます。
ミュージシャンやスタッフさんたち、みんなで楽しみながらこのイベントをさせてもらった。
ENDRECHERIのいいところは(ジャニーズでライブを作るお仕事をしている)職人さんたちもまた、本来ジャニーズではやらないような挑戦ができること。
たとえば彼らがステージを見て「もっとこんなことをやってみたい」と、うずうずする職人魂を、他の現場ではNGでも、ENDLICHERIなら叶えてあげることができる。
ENDRECHERIは職人さんたちにそういうことを提供できる場所でもある。
この世界では、ミュージシャンだけでなく、裏で支えてくれているスタッフさん達、衣装さんやメイクの方々が、それぞれ自分を開放できる場所になっていて。
そういう世界観が作品に滲んではじめて、ENDLECHERIの世界はもっと伝わってゆくし、みんながENDLECHERIを好きになってくれると思っている。
ENDRECERIは剛さんだけが前に出る世界ではない。
剛さんが人生一度きりの中で出会った職人さんたち。
職人さんたちの職人魂が結実しているのがENDRECERIという場所。
もっと柔らかく言えば、スタッフさんたちすべてが家族みたいな関係性。
そういう関係性を鳴らしてこそのFUNKだし、ENDRECHERIだと思っている。
この部分、なんだかとても納得できて、とても素敵だと思いました。
どこかで「次にジャニーズを出て行くのは?」・・・みたいな記事が出ていて。
その一人として、堂本剛・・・なんて書いてありましたけど。
普段からそんな風に思っているファンはいないと思われますし。
このラジオを聴いた後では、笑ってしまうレベルです。
どこから出てきた??
こんな風に自分の会社の技術担当のみなさんにまで、家族のような深い愛情を抱き、それをありのままに語っている人が、今すぐ会社を出たいと思うはずがないです。
少なくとも今の断面では、会社内のスタッフのみなさんさんともすごくいい関係なんだろうなぁと。
それが容易に想像でき、ライブの映像にも音にも、しっかりと現れていたなぁ・・・としみじみと思いました。
さらに。
海外の人にもたくさん見てもらえたことや、アーカイブがあるかどうかで、見る方々の色が変わるというようなことも語ってました。
わりとふわっと興味を持った人でも見やすいのはアーカイブがある方だとか。
この2回の配信できちんとデータを把握、分析しているようで。
行き当たりばったりではなく、マーケティングとか、需要と供給のバランスとか・・・
多方面に関わり、今後よりよいものを作っていくための参考にしようという気概が伝わりました。
後半でも、わざわざ「海外の人達がたくさん見てくれたことも深く理解できた。」
って、再度語っていたことは、海外在住の方々にとっての希望だなとも思いました。
友人たち、よかったね!!
これからも海外在住の友人たちとまた一緒に見れそうで、わたしもとてもうれしいです。
ラストの方で
「世の中が元に戻っていったとしても配信はぜひぜひ続けて欲しい!」
という気持ちを、みんなで実感し、共有できたことが大きい。
と言ってました。
そしてそれは、わたしたち一般の人達が、自分たちの仕事に関して「テレワークでもいけるやん」と気がついたのと一緒の感覚だと言ってました。
まさしくそれはそうなのでありましょう。
現場にいる重要性もあるけれど、一方で「そこ(現場)にはいなくても、ちゃんとそこにいる」という感覚が大切で。
「配信であっても、目の前にお客さんがいるのが、僕にはちゃんと見えている」
と剛さん。
それは双方向に言えることだとも言っていて。
こちらの感情もちゃんとわかってくれてて。
ライブが始まる前のドキドキはオンラインでも現場でも一緒。
四角い箱の中だけれど、ちゃんと剛さんでありバンドの皆さま方はそこにいることがわかっていて。
そういうレベルでも、お客さんと画面の向こう側の方々が想像力を働かせつつ繋がっていければ、ENDRECHERIや堂本剛はこれからも、どんなライブでもできる。
この言葉のなんと頼もしいことか!!!
そして。
「(配信の日は)僕たちの新しい形というものが始まった一日!!」
という喜ばしい日だった。
これはスゴイ宣言が出たぞ!と思いました。
ちなみに、今の自分はこういうことをやっているよ!というのを家族にも見せられてよかったとも言ってましたね~
いろんな意味で剛さんは、前向きでどんな世の中になっても対応できる、そんな一歩を踏み出したのだなぁと感慨深くそう思いました。
個人的には・・・
ブルーベリーのオリジナルバージョンを聴かせてもらえたことが、ヘッドフォンを外してライブができたのと同じくらいの感動でした。
横浜アリーナで、久しぶりにブルーベリーが復活した日の気持ちを思い出しました。
あの大きな箱で大きな音のライブすることは、まだまだ当時キツそうで。
突発性難聴の音響障害に、かなり苦しんでいるのが伺われました。
一方でブルーベリーという曲は、思いのほか音程があちらこちら飛んだり複雑だったりするので。
この曲をあえて歌わない、セトリに入れないという選択だってできたはずなのに。
覚悟を決めて、一部メロディーを変えてでもできる工夫を施して、なんとかして歌ってくれたのだなぁと容易に理解できました。
そのことは、一ファンにとっても、とても思い出深い、大切な瞬間でした。
オリジナルな形がたとえもう見れなくても、また歌ってくれただけで十分。
本当にありがとう!!と喜びと共に私達ファンもまた、一旦覚悟を決めていたけれど。
そのオリジナルの、むずかしいメロディーラインの方のバージョンが、時を経てまた見れたんだという感慨はちょっと筆舌に尽くしがたい感動でした。
以前のブルーベリーとまったく遜色がなかったので「元のバージョンに戻ったのだと気がついてなかったよ!!」と言っている友人たちもいました。
それって本当に凄いことだと思うのです。
どれだけの努力をして、ここまで歌えるまでに持って来たのだろうとも思ったし。
コロナ禍に置いて、こういう形のライブに踏み切ったことを逆手に取っている凄さ。
たとえば目の前にお客さんがいないことで、不必要に大きな音を出す必要がなくなったこと。
それが突発性難聴の後遺症に苦しむ剛さんにとって、できることの幅を広げたことを目の当たりにしました。
そういう、予測不可能な一見ネガティヴな現実から、新しいポジティヴな利点を見出し、すぐに反映させることができる行動力もあって・・・
それがこのブルーベリーにもなったのだろうし。
ヘッドフォンをしなくてもライブができる手法が見つかったということでもあるのだろうし。
結果、ヘッドフォンの拘束から解き放たれて、久々にリズムの権化のようなダンスも見せてもらえて、ファンも存分に剛さんの世界を楽しめたわけで。
ほんとにほんとにスゴイ人だなぁとあらためて思いました。
とはいえです。
その前向きな決断と時期を同じくして、今も予想外の不調との闘いは続いていることがjwebの更新やラジオからも伝わって来てもいて。
心を寄せるほどにキリキリと締めつけられて、苦痛のほんの一部の一部でも、ファンみんなで分け合って引き受けてあげられたらいいのに・・・なんて思ったりもするけれど。
そんな状況にも関わらず、こんな宣言が出せる強さ。
それこそが何より今の剛さんの凄いところ。
無敵なところ。
きっと今後何があったとしても、その中で剛さんは新しい視点で、新しいことをやっていくのだろうなあと思わされました。
ファンも負けてはいられない!!
いろんな意味で、ままならない現実の間(はざま)から、新しい未来への希望を見せてもらったと思ったので、そう書いておこうと思います。
「ムリ」とか「できない」とか簡単に言わず、いろんなことをもっともっと深く考えて、とりあえず試してみようと思わされました。
剛さん、行動で示してくれて本当にありがとう!!という気持ちです。