ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

KinKi Kids Concert Tour 2019-2020 Thanks 2 YOU 12月14日&15日 その7(ラストです。) 

やっと最後まで来ました。

遅くなりつつも年賀状も終え、仕事も無理やり納めて(最後インフルエンザの子が二人出て、来年に二つ持越しになってしまいました、涙)また戻ってきたところです。

偶然ですが、14日のMCを中心にまとめたのは正解だった気がしました。

なぜならば、金曜日に発売となったテレビ誌に、15日のMCについて、それは詳しく載っていたからで(笑)

思い出してもああ、そうだった!という内容が、かなり克明に書かれてました。

パッと見た感じでは、特にテレビガイドかな?

臨場感のある素敵な場面を切り取った写真も満載で、ものすごくいいライブレポでしたので、雰囲気を知りたい方は、あれを読まれることをオススメです。

そしてラストのところの感想をこれから書いて行きますが…

それこそこの文章はわたし個人の「感想のかたまり」で、客観性を欠いている自覚がある部分です。

ちょっと重たい話ですが、あえて書いておくと…

ここのところ、周りのさまざまな気持ちを考えるほどに、何も書けなくなっていました。

わたしの周りには、さまざまな属性の大切な友達がいて。

わたし自身は友人たちとの考え方の細かい違いはあまり気にならず、少しでも共通点が見いだせれば、全然OK。

むしろたくさんの異なる感じ方が回りにある方が、なるべくフラットでいれると思うタイプです。

そして。わたしの好きは、多少の熱量の差こそあれ、全方向、特にこだわりなく足を掛けて、どこも入ってしまえば存分に楽しめるタイプ。

そのわたしの節操がない「好き」が、大切な友達の誰かを、強烈に不安にさせているのではないか?という怖さ。

たとえどんなに考えて、どんな風に言葉を紡いでも、誰かを傷つけてしまうのではないか?悲しませてしまうのではないか?と思い始めたら、いつの頃からか、素直な気持ちを日記に書くことが怖くなってしまいました。

そんなこんなで、時間がないのを言い訳に、長きに渡りなんとなく日記から離れてしまっていたのですが…

友人の一人が

「ブログはいつだってブログ主のもの。書くも書かないも、閉じるも続けるも、自由に決めればいいんじゃない?」と言ってくれて、とても気持ちが楽になりました。

だからと言って、何を書いてもいいというものではない…とも思ってて。

自分の文章で違う考えの誰かを傷つけるなら、きっと書かない方がいいのだとも思うのですが…

でも、あえて今回は、かなり踏み込んで書いてみました。

かなり汗をかいて文章は工夫したつもりですが、それでも誰かを傷つけてしまったら、それはわたしの力が足りないということです。

どうぞ誰も、いらないところでムダに悩まないでくださいね。

何度も言いますが、一個人の感想であって、こんな風に思うのが普通でしょ?とはゆめゆめ思ってませんので。

ふ~ん、そんな風に思った人もいるのか?というくらいの緩さで。

どうぞ読みたい部分だけ、斜め読みでよろしくです。

ここからアンコールです。

ボクの背中には羽根がある

ああ、ここでこの曲なんだ!!と思いました。

きっとセットリストに入っているだろうなぁと思っていて、まだやっていなかったからです。

モニターの剛さん越しに、ホーン隊の3人がほのぼのと映し出されて、思わず笑顔になりました。

この曲で特筆すべくは…

ケーナの音をかわ島さんが、多分フルートで?再現したのですが、これが絶品でした。

すごくたくさんこの曲のこの部分の音源を聴いて、研究されたとご本人のツイートがありました。

そうでしょうとも!!

今までも、いろんな方がこの曲のこの部分に参加してくださったときの演奏を覚えてますが、吹く方によって、とても個性が出ます。

かわ島さんは、わたし的には、とても大人っぽくて、都会的な洗練されたジャジーな音を鳴らす方だというイメージですが。

彼が吹いたボク羽根の世界観は、あまり溜めを作り過ぎず、ウェットになり過ぎず。

程よい力加減の中に、冬の乾いた空気の冷たさみたいな感じとか、ふたりっきりの孤独とか、この曲のイメージを形作るいろいろな気持ちが滲んでいるように思えて…ああ、やっぱりこの方の表現が好きだなぁと思いました。
この曲では、ライブ本編ラストのHarmony of Decemberよりも、さらにたくさん上を見上げて歌うKinKi Kids

きっと君と生きてくんだね

は、どうみてもジャニーさんを想って歌っているようにも思えたし。

ジャニーさんの前でジャニーさんに名付けていただいたKinKi Kidsを、これからもちゃんとやっていくよ!という宣言のようにも思えたし。

そう思い始めると、どの歌詞もジャニーさんと自分たちを歌っているように感じ始めてしまい、なんだかいつもよりも心にじんじん響いてました。

実際、いつもよりもさらに哀しみやせつなさが滲む表現で。

いつぞやかテゴマスさんたちが堂本兄弟で歌って、こんなに幸せな歌にも聴かせられるんだ!!と目から鱗、びっくりして。

それに比べてKinKi バージョンに滲む、孤独や切実さとは?と散々考えたことを思い出しました。

今回のは、あの時のKinKiバージョンの、さらに5割増しに「胸が痛くなる系」の表現だと思ったことをここに書き加えておきます。

二日目、歌が終わったあと、光一さんが一言。

「この曲の歌詞を見返した時『ジャニーさんが本当にぼくらの背中に羽根を授けてくれたんだなぁ』とひしひしと感じました。」

と言いました。

ここはワイドショーでも使われてましたけど「背中に羽根を」のところを「背中に背中を授けて」と言ってしまい。

多分あそこにいた全員がその言い間違いに気づいてたと思いますが、彼の真意は十二分に伝わっていて。

水を打ったように静まりかえったまま、会場中がその言葉の重みを噛みしめていたのが、とても好ましかったです。

そのあと、さらに続けて

「(羽根を授けてもらったからこそ)僕たちはここ、東京ドームに立てているのだと、あらためて感じました。」とも言って。

「聞こえているでしょうかね?ジャニーさん。本当にありがとうございました。」

と締めくくりました。

ああ、本当にこのライブは、東京ドームというたくさんのジャニーさんとの思い出が詰まった場所で、彼に捧げる追悼ライブでもあったのだなぁと実感しました。

さて。

ここまでは光一さんが仕切って、次の曲では剛さんに進行をバトンタッチです。

「YOU…」

「最後にYOU…という楽曲を聴いていただきます。」と剛さん。

この楽曲は、ジャニーさんとの突然の別れがあって生まれたそうです。

彼が亡くなって数日後のお葬式の日、彼の身体が火を浴びて魂になる時に滝沢くんから「ジャニーズ伝説」の楽曲を書いてくれないか?とオファーが来たそうです。

ジャニーズの歴史を彩る舞台の、ラストを飾る曲を書いてみないかとの依頼は、ジャニーさんが剛さんに何か託したのかなと考えることがとても自然に思えて、引き受けることにしたそうです。

悩みながら歌詞を沢山書いたという話の中で、剛さんが言った言葉でとても印象的だったのが…

やはりジャニーさんは最愛の人だから、想いがあふれてはあふれては、その感情の中で立ち尽くしていて。

その感情となんとか向き合ってこの楽曲が生まれたという言葉でした。

ここの「あふれては、あふれては」で、あまりにも剛さんが抱いた感情がストレートに伝わってきて、すごく心に響いたことを覚えてます。

そして、そうやって苦しみながらいくつもいくつも書いた詞の中で、最後に残った候補は2つあって。

一つ目は、ジャニーさんから残された(ジャニーズの)僕たちへ、また、これから新しくジャニーズへ入って来る若い子たちに向けての愛のメッセージ。

二つ目は『個人的に書いてしまったという方が自然だと思う』…と前置きをして。

「僕たちKinKi Kidsのふたりの中で生まれた友情を描きました。」

と剛さんが言いました。

この「友情」という言葉は、今までは彼らが自分たちの関係性を表現するときに選んだことがない言葉だったので、多分その瞬間、会場中がこの言葉を噛みしめつつ聞いていたと思います。

ジャニーさんが天に昇る間の数十分間は、先輩も後輩もそれぞれの想いを抱いてその場に立っていて。

その時間が終わって、会場の外へ出ると、雨がやんで。

夕暮れの空には虹がかかっていたそうです。

その時、その場所ではとてもピュアなエネルギーが流れていて。

剛さんと光一さんが同じ景色を見て、同じ感覚を共有した時間の中で生まれ、感じた友情があって。

『今日はあの日のふたりの物語を綴った「You…」という曲をお聴きください。』

確かこんな感じに言って、静かに曲が始まりました。

出だしは剛さん。

艶のある美しい声。

歌声にパワーがあって、一瞬にして惹きつけられてしまいました。

そして、歌が始まってすぐに、歌詞を聴いてさらに驚くことになりました。

最初のところの歌詞は、スポーツ紙にも載ってたし、ワイドショーでテロップでも出たので、多分間違いないと思います。

君が涙を はじめて見せてくれた

気づかないふり 出来なかった

どんな人にも悲しみが流れてる

背中を掌(てのひら)で撫でた

ここまでが最初のフレーズです。

この初めて聴く歌詞のインパクトで、すでにここまでで胸がいっぱいになります。

剛さんのソロライブも追っている人なら、このエピソードはライブレポで流れて知っている方もたくさんいらっしゃるのではないかと思います。

ジャニーさんが亡くなってから、剛さんはソロライブの現場でもお別れに際して抱いた心情を、いろいろな場面で語っていました。

その中に、誰の話かは明かさず、ジャニーさんのお葬式の時に心に残った出来事としてこの特定の誰かとのエピソードが語られました。 

剛さんがソロの現場でジャニーズの仲間の話をすること自体珍しかったし。

当時もあちこちで話題になったのを覚えています。

「剛さんが誰かが泣いている姿を目にして、思わず駆け寄って行けるくらい近しい距離感の人。

多分ジャニーズ広しといえども、真っ先に浮かぶ人は相方しかいないよね。」

そんな話は、その時も、いろいろな友人たちと折に触れて語り合ったことを思い出します。

でもそれきり、この話の続きはどの場所でも語られることはなく。

いきなりこのタイミング、曲の歌詞の中で「あの話はここにつながるのか!!」と知ったわけです。

きっと誰もがそれはそれは驚きつつ、静かに受け止めながら聴いていたと思います。

で。

このメロディーの後に

We're the ones…We're the ones…

の繰り返し。

ここはユニゾンです。

「We're the ones…」という歌詞は、ジャニーズ伝説の歌詞として見た時も、ジャニーズの皆さまのこれからに勇気を与える、とても素敵な言葉だなあと思ったのですが…

また一つ、同じ歌詞に全然違う意味も持たせた剛さんって純粋に曲作りの天才!と、心底思ったところの一つです。

夢を叶えることができず 

羽に傷を負った子供のよう

こんな歌詞もあった気がします。

 さらに

雨が化粧して 街がきらきらしてる

太陽は虹を奏でる
水溜まりへと広がる空に立てば

未来の歌がきこえた

間違ってるかもですが、こんな歌詞もあり。

これが斎場から外へ出たときの光景を歌ったのだなと思いました。

それから、とても個人的な感想ですが…

蒼い船で待ち合わせて僕ら命(たび)へ出る
強く光った この奇跡を歌おう  愛を
幼い頃の自分へ逢いに行こう

思い出そう 自由を

この辺のところがものすごく印象に残って思わず書きとめたところ。
何がかというと、KinKi Kidsの隠れた名曲、大好きな「サマルェカダス」とリンクするようなイメージを覚えたからでした(笑)

剛さんがあの歌を意識してこの曲を作ったとは全然思ってないですが、あの曲が好きな感じと、この曲に抱くイメージはわたしの中でどこか似ていました。

郷愁とか、どこか通り過ぎた少年時代をなつかしみしみじみしているところまでは一緒ですが…

You…のラストはこのように締めくくられます。

信じよう 僕らのすべてを

とても壮大で、余韻の残る終わり方でした。

この部分があることで、ふたりが思い出した少年時代の気持ちをそのまま携えて、さらに未来へ繋げる歌な感じもあって。

かなり辛い現実から、未来への希望を見出すラストは、サマルェカダスの世界観からさらなる進化形のようにも感じ、もっと好きになりました。 

この曲はきっと、遠からず音源化されるだろう?と思うので、いつかちゃんと公式に味わうことができるのではないかと思います。

ここからは、わたしが感じたことなので、真実としてではなく、そう思った人もいるのか?くらいのテンションで読んでいただきたいのですが…

もう二人は40歳を越えた大人だから…

2人が少年だった頃、思ったことはなんでも簡単には口に出せた時代とは違い。

互いにお互いを思い遣りつつ、容易には相手の心の中にまで踏み込めず。

年を重ねるにつれ、空気を読んで、なんとなく口に出しそびれたり、うまく関係を保つために言いあぐねたりする瞬間もたくさんあったのではないかと思ったのです。

仕事のこと、剛さんの耳のこと、これからのKinKi Kidsのことなど、肝心な時の「もう一歩」がはっきりと口にしたり、もう一歩が踏み出せない関係性が続いていたのかもしれない…なんてことを思いました。

わたし自身もそうですが、年をとるにつれて、相手を想えば想うほどに、周りの大切な誰に対しても、簡単には踏み込めず、不自由さが増していきがちな気がするのです。

そんな中、ジャニーさんが倒れ、病室でたまたまふたりが行き会ったり、お葬式で一緒の時間を過ごす中で。

もしかしたらジャニーさんが天に昇る道すがら、二人に最後の最後、大きなプレゼントを渡してくれたのかもしれないと思いました。

近頃少しばかりオトナという名の「塊」ができて、こんがらかって、ほどくのがむずかしくなってしまった感情の糸。

出会った頃からずっと長きに渡り、いつだって大切にしてくれたジャニーさんを偲び、ふたりが思い出を辿る旅の中で、もう一度まっすぐに、KinKi Kidsという大事な「糸」をジャニーさんがつなぎ直してくれたのかもしれないなんて…そんなことを思いました。

師を失った悲しみに「思わず」涙してしまった光一さんと。

その光一さんの姿を目にして「思わず」駆け寄った剛さん。

この「思わず」というところが大事だったのだろうと思います。

考えに考えて取った行動ではなくて、「思わず想いがあふれた」という瞬間の中に、ふたりともきっと大切な真実の光を見つけて、気づいた気持ちがあったのだろうと…そんな風に想像しました。

歌ができた背景はたくさん語った剛さんでしたが、歌詞について、歌の内容については二人とも多くを語ろうとはしませんでした。

でも。

何より、歌い始めてからの二人の表現そのものが、熱量が、雄弁に彼らの気持ちを語っていて。

ふたりの日常のひとつの瞬間を切り取ったこの曲には、ふたりの温かい気持ちがあふれてる。

そのことが音楽を通じてとても伝わってきました。

ソロパートはふたりとも、とてもていねいにていねいに歌詞を紡いでいて。

繰り返されるサビのユニゾンの部分は、繰り返されるにつれ、どんどん熱量を増していくのがわかり、二人にとってとても大切な1曲になったのだなぁと思わされました。

曲が終わり、ライブの終わりは…

「俺たちKinKi Kids~♪」で終了しました。

このフレーズは、ずっと恒例だったなぁなんて懐かしく思い出しつつ。

なんとなく今のふたりに少年の頃のふたりが重なってみえた瞬間でもありました。

とても温かくてしみじみとした余韻の中、ライブが終了して。

その後、素敵な写真がモニターに大きく映し出されます。

それは、とてもやわらかく微笑む、光一さんと剛さんのツーショットでした。

ふたりとも雑誌や公式の写真やポスターでは見たことがないような、とても穏やかで無防備ないいい表情をしていて。

いっぺんで好きになってしまうような写真でした。

どうしてこの写真をうちわに?あるいはグッズにしてくれなかったのかしらね?なんて散々語り草になったのですが…
あとで、スポーツ紙に書いてあったところによれば、あの写真は実は、ジャニーさんの病室で、ジャニーさんとふたりが一緒に撮った写真だったそうです。

そんな大切なプライベートな写真を、あそこで見せてもらえたんだなぁという感慨と。

天国のジャニーさんに、東京ドームから『僕たちは大丈夫!これからも続けて行くよ!』というメッセージでもあったのかな?と、そんなことを思いました。

それはそれは素敵な写真でした。

ライブでは、終始お互いがお互いを本当によく見てました。

たとえば光一さんは剛さんの耳の調子や体調をとても気にしていて、注意深く見守っているのが伝わりました。

一方で、スポーツ紙には、ライブ後のインタビューで「光一の方が傷を負っている。できるだけ隣でフォローしたい」という剛さんの発言が載っていて。

どちらも傷を負ったのだと思うし、どちらも辛かったのだと思いますが、剛さんはそんな風に思っていたのだなぁと思いました。

特に二日目。

終始二人でジャニーさんの思い出話で盛り上がりつつ。

どこか感情があふれたり、かと思えば急に寡黙になったり。

まだ言い足りない?何か言いたいことが残ってる?というくらい、なかなか歌に行こうとせずにMCを引き延ばすモードの光一さんだったことが思い出されます。

そんな彼の話を、時につっこんだり、笑いに変えたりしながらも、剛さんは、どの場面でも光一さんを急かしたり、話を端折ったり、遮ったりはしませんでした。

きっと剛さんは、このライブの間、普段あまり自分の気持ちを語ろうとはしない光一さんが、存分にジャニーさんへの気持ちや、心の中に溜まった感情を外に出す機会にもしてあげたかったのかな?とも思いました。

そんな風に終始、お互いがお互いに寄り添い、思い遣りつつ。

ジャニーさんの追悼公演のようで、今後もKinKi Kidsとしてふたりでやっていきます!という宣言のようでもあった、東京ドームの二日間でした。

KinKi Kidsの「s」を心から大切にしている二人の「We're the ones…」という言葉を歌ったサビが打ち上げをしていても、家に帰っても頭の中でずっと鳴ってました。

ふたりの心がこもった、本当に素敵なコンサート。あの場に立ち会えた幸せを思いました。

もしかしたら、かなり言葉とかニュアンスが違っているかもしれませんが、 行けなかった方々にも少しでも伝わればと書いてみました。

わたしの今年のライブ参加はここまでです。

できれば大阪までに、何としても書き終えたかったので、端折った部分もあり、心残りですが…

とりあえずこれにて、宿題提出といたします。

長々と読んでくださったみなさま方には心からの感謝を!!

ありがとうございました。