ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 とーくべつよしちゃん紅縁会 28日 夜の部 その2

さて。前のエントリーの続きです。
続きからは、話の内容でとても印象に残ったものを箇条書きしておきます。
明日また見る予定なので、未消化な部分はあえて割愛。
またあさって以降に補足できたらと思います。
ウソを書いたつもりはありませんが、もしかしたら記憶違い等あるかもです。
訂正、補足をしていただけれる方がいらっしゃいましたら、遠慮なくおっしゃっていただければうれしいです。
ちなみに印象的だったところは、色を変えて書きました。
()でくくったところは、わたしの感想や補足的なことを書きました。

・アルバムの作り方について
アルバムは昨年一年間をかけて、ゆっくりと作ったそうです。
ご縁のあるみなさんと、みんなで一緒にセッションしながら作ったそう。
自分ではワンフレーズだけ作って、みんなで弾きながら曲にして行ったりするパターンもあったそうです。
たとえば、現場で豪太さんが急きょタンバリンを入れてみよう…とやってくださって「あとでスティーブに入れてもらって」と言われたけど、豪太さんの演奏がとてもよかったから、スティーブも「そのままでいいんじゃない?」と言い採用された話とか。
竹内くんがチューニングがちょっと…と言いだしたので、本人がひとり黙々とギターに向かっている間、他のみなさんはホカ弁を食べながらのんびり見守っていた話とか。
レコード会社の人からしたら、本当にできあがるのかどうか、危うくてヒヤヒヤするような作り方だったかもしれないが、本来の音楽の作り方で作れたと思う。


・たとえばレコード会社の中でも、それぞれのお仕事に管轄とか垣根があって、なかなかみんな揃って動かすのはむずかしい。
社会でも「管轄外」という場面が本当に多い。
でも必ずしも、中にいる人の方ができることばかりではない。

たとえば奈良の土砂災害についても、奈良にいる人ではなくて、東京にいるからこそ助けになれることもある。


・「建くに
いわゆるわたしたちが思うような「建国」したつもりはなく「建くに」したという意識でやっている。
つよしさんにとっての「くに」は「国」とは違うもの。
(わたしの理解としては、もっとプリミティブ(原始的)なコミュニティー、まとまりなのではないかと思いました。)
真ん中に立つ人(自分)がいて、その人を丸く囲むようにたくさんの人(ファン)がいて、まわりの人たちは真ん中の人を慕い、真ん中の人もまわりの人を慕うような関係性…そういう「くに」を「建くに」したかったのだそうです。
この精神は平安結祈で流れたアルバムの予告PVの映像とも通じている。
真ん中にいる能面を被ったつよしさん。そのまわりを囲む灯篭の中にもよく見るとたくさんの人の姿が描かれている。
(映画ではヒトガタ(人形)みたいにも見えましたし、影みたいでもありましたよね。)
灯篭はつよしさんの回りをぐるっと丸く囲んでました。
「くにの歌」のPVは、会場でもうちょっと先まで流れて、灯篭の中の黒いヒトガタはただの絵じゃなくて、走るように動いたりしていました。
確かつよしさんが、みんなは未来に向かって走り、自分は過去に向かって走っているとか言ってた…のかな?
そう書いてあるレポを見たのかな?
イマイチ記憶が怪しくなってきましたよ(だから早く書けばって言ったのに、笑)


・長期ライブでは、昔の日本人が愛した色彩とかアートを取り入れて表現したいと思っている。

最大のテクノロジーは「想う」こと
たくさんのエネルギーがあるが、最大のエネルギーは人の力。

・みんなセパレートしすぎ。
人との比較においてでないと、自分の場所がわからないなんてもったいない。


・今の時代、何が正しくて何が間違っているのかわからない。
テレビなどメディアでさえも、本当のことを言っているとは限らない。
100人にOKと言われたら大丈夫みたいなところがあるが、それぞれが自分を持っていないとやっかい。
(本当にそうですよね。これは常日頃わたしが思っていることと一緒でした。)


・恋の歌なら今でも、作ろうと思えばすぐに作れる…でもいのちの歌を歌いたい。


・日本人は特に宗教的なものを毛嫌いするが、たとえば「あたりまえ」という言葉も仏教用語だし、わたしたちには知らないで使っていること、語源は仏教用語なものもたくさんある。
また日本オリジナルだと思っていることの中にも、インドや中国から入ってきたことやものがたくさんある。


・シャーマニッポンは宗教ではない。
そもそも祈りとは、感謝を表す心で、感謝する相手は人ではない。
昔の人たちが大自然に手を合わせ感謝を表した。

自分は宗教をやるつもりはない。
(わたしがついこの間まで読んでいた本は、ほんの数十年前まで農村だった川崎のある町を舞台にしたドキュメンタリーです。今は首都圏のお洒落な街として名を馳せているその地域で代々口承で受け継がれてきた日本のお百姓の生活や山岳信仰について書かれていた本だったのですが、まさしく大自然に手を合わせ、天候の安定や恵みの雨をお願いしたり、収穫後お山に感謝を捧げたりしていました。
この時、山の話がたくさんでてきたのですが、たとえば「高尾山」とか「富士山」じゃなくて、「お山」なんですって。
このあたりが「国」じゃなくて「くに」とこだわったつよしさんにもつながる発想のような気がしました。
そんな暮らしぶりはとうに失われたものではなくて、わたしたち40代、50代の人が子どもの頃にはまだまだ常識的に生活に根付いた考え方であり、思いだったのです。
数十年前のことをもう忘れているという事実。それを目の前の30代(もちろんつよしさん)に教えてもらって納得しているわたし。おもしろいなぁ。)


シャーマニッポンを依存する場所にはしないで。
(この話がわたしにとっては一番心に残ったかも。たとえば、なんでアルバムが出ないんだろう。なんでライブの発表がないんだろう。何かやってくれないかな?感動を、萌えをもらえないかな?…といつも受身で待っているのは違う…と思っているはずなのに、知らず知らず依存していないかな。楽しみは自分で見出すもの。いいお報せがあれば、それはとてもうれしいけど、なきゃ楽しめない…そんな人にはなりたくないな。)




現代社会では、携帯とか、パソコンなどの電子機器類に依存している人が多い。
常にのぞいていないと不安。携帯メールを返し続けていないと不安。
依存。

戻ることが未来
過去に忘れてきた忘れ物を取りにゆく。
未来の鍵を過去に戻って取りにゆく。

(この部分、とても心に残ったので、手帳にメモりました。わたしもスローガンのひとつにしたい、笑)


想定外
結局電子機器をどんなに駆使しても想定できないから想定外ということになる。
想定できないのでは役に立たない。


・これからは「みんなが」じゃなくて「自分」であるべきだ。



「I'm you You're me…」という歌。
このあたりの歌のことはもう一度ちゃんと見てから感想を書きたいです。
なんといってもわたしは、歌詞を朗読する声のトーンだけで「じーん」としてしまい、しびれたみたいに聴き入ってしまいました。


・出る杭は打たれるけど、やらないと納得できないことはやればいい。



・すべてがああって今がある
痛みを理解しようとする


・人それぞれできることをすればいい
高所恐怖症の自分が、わざわざ高いところで何かをなさなくても


・本音を見せることで離れていったファンもいるが、ぼくの人生に一度でも関ってくれた人だから、離れて行った人に向けても歌っている。
ファンも自分の人生の一部…と思っているように見えた。


・もうダメだと思っていた頃、つよしくんのペースで戻ってきてくださいと言ってくれたファンに対する恩返し、感謝の気持ちもこめて。


・「きみがいま
「ぼくが信じてあげよう」
「ぼくは信じてあげるよ」

自分に対しても歌っている歌。
みんなにも自分にも。
ここも次回を見てから補足します。


・インストはマスタリングをドイツでしてきた。


・「ふつうよし」というネーミングは『徹夜続きの朝方思いついた、おっさんのわるのり
みんなでゲラゲラ笑いながら「いいよ!」「いいよ!」と言い合った。
最初レコード会社に持って行ったら案の定難色を示されたが、一回寝てもう一度このネーミングと向き合った時にやっぱり笑えたら、ふたたび持って行こうと思った。そして時間が経ってもやっぱり笑えたので持って行ったら、レコード会社の人もがんばってくれた。
せっかくだから、ファンがおもしろがってくれるものをと思った。
正直、よくこんなんで通ったな…と思ったそう(笑)



・インストの曲「岩清水」のMV
いわしみずくん。(水の粒)このイラストはすでにあちこちで書かれていますが、とてもかわゆいです。
音楽に乗って、いわしみずくんがてくてく歩いて水の循環を体験してゆく。
この映像はイギリスの方が作ってくださったのだそうです。
「縁を結いての水ひとしずくが〜」からのくだりが動画になっているような絵。
映像そのものはとてもかわいいし、音楽は心地よい癒し系の音なのですが、とても深いです。
子どもたちにも見せたいような映像でした。


・インストの曲「新しい鼓動」のMV
「ボタンに従え」と書いてあるポスター。
工場で働いているたくさんのロボット。
「ボタンに従え」という文字。
命令にただただ従って輪になって仕事をしているロボットたち。
胸に(危険を示す)黄色い光
胸のボタンが青に変わり、列からはみ出て暴走する一台のロボット!!
「こういうのをドウモトツヨシ現象という」…とつよしさん(笑)

そしてひとりが動き出すと、まわりも動き出す。

人間力
宗教的ではなく。

shamannipponのくにのうた
能面を被っている。
能というのは、生と死を表現する伝統的な芸能だから、これを使ってみた。


・MVの中で一瞬自分が映り「オトコマエやなぁ」と言ってましたが、ほんと過ぎて洒落になりません。笑えないってば(笑)
そうそう。このPVのためにギターやベースを新調したと言ってました。


・そして…後半はこのMVのシーンシーンで一時停止しては、ボケ倒し(笑)
あまりにもくだらなすぎて(ごめん、つよしさん、笑)どんなボケだったか全然思い出せませんが、思いきり会場の笑いを取ってましたよ。

この真面目な話とあえて笑いを取りに行くところ、更に確信犯で会場を萌えの嵐にするところ…そのバランスがちょうどよくて、わたしは好き。

「かわいいかわいい!」とひたすらつぶやいていたら「そんなところにしか食いついてもらえないなんて、つよしさんがかわいそう」と言われて凹みました。わたしが悪かったんでしょうか?というような主旨の拍手コメントをくださった方がいらしたのですが…
メアドも名前もなかったので、この場をお借りしてわたしの考えを書かせてくださいね。

個人的には…と前置きさせていただきますが、わたしはどういう食いつき方をしてもいいと思う派です。
感じ方は人それぞれだし、その人の気持ちはその人のもの。ひたすらかわいいと癒されて帰ったって、ひたすら真面目に捉えて涙したって…正解はないのだし、全然いいと思うのです。
その時はよくわからなかった話が後になって「わかる」と突然思うことだってあるかもしれないし、その「かわいい」を補給しただけで、今後のつらいことが笑って耐えられるっていう人もいることでしょう。
彼自身もそんないろいろなファンがいることを十分に承知しているし、どういうファンのことも大切にしているから、そうやっていろいろな面を見せてくれるのだとわたしは信じたいなぁと思います。

ちなみにわたしは…多分ふぇるまーたをご覧になってくださるみなさまは、答えがなんとなく想像できることと思いますが、「なんでもあり☆なんでもあり」派です。やっぱりでしょ(笑)


・作っていたインストを友達に見せたら、みんなが「出した方がいいよ」と言ってくれた。
今までの中で一番素直。哀しい中で希望を鳴らす。
新しいもの



・お坊さんたちの前で一度しゃべってもらえませんか?と言われた話
(ちょっと当惑してました、笑)


iPadのページを閉じようとした時に一瞬「iTunesストアーに接続」画面が出てしまい、本人がうけてました(笑)
いえいえ、本番中に買い物したりしませんよ。
楽天のカゴに入れたり元のページに戻ったり…そんなことはしませんよ!!
なんだか容易に想像できちゃって、会場大爆笑でした。


全体として、前にも書いたとおり、興味深い話が満載だったし、なんと言ってもつよしさんがオトコマエだったし、いっぱい笑ったし…わたしはとても楽しめました。
また「こういうのやりたい」と言ってましたが、わたしもやってほしいです。
前のエントリーでも書きましたが、とにかくつよしさんの話術が格段に進化していて、ちょっと妬ましいとさえ思いました。
わたしもうちの生徒たちにあんな風に笑わせながらも、ちゃんと言いたいことは全部言って、エッセンスを余すことなく伝えたいです(笑)
このイベントが新しいアルバムの「プレゼンテーション」だったとして、競合他社と競ったとしても、きっと圧倒的支持を得るのではとさえ思いました(笑)

だいぶ前の一時期、もっと歌だけに集中してくれないかなぁなんて思ったこともあったのですが、今はそこまでは思っていません。
もちろん歌声は大好きだし、ライブが一番好きだということには変わりないけれども、インスト曲のMVの仕上がりの素晴らしかったことと言ったら。これをCDが発売になってから、一編一編ていねいに見るのがとても楽しみでなりません。
歌声がたとえ入っていなくても、彼の作品のパワーの凄さは十分に実感できたし、今後の展開も楽しみです。
今回のイベントのメモに歌のことがあまり入っていないのは、歌の曲は歌詞だけしか紹介がなかったからです。
歌詞を書きとろうか?とも思ったのですが、彼の歌詞の朗読があまりにもいい声でドキドキしたので、彼の声だけをひたすらに身体いっぱいに感じていたかったというのが正直なところかも(乙女〜、笑)
歌声はもうちょっと先のお楽しみ…なのかな。
もちろん楽しみ過ぎて吐きそうなくらいです(笑)

また、話があっちこっち飛びますが、どうあれこの人は存在そのものがやっぱりアイドルだなあ!というのも存分に感じたところで…
まあ、ひとことで言っちゃえば、ひっくりめて彼が好き。
この一言で全部足りる感じなのが、なんだか悔しいけれど、本当のところです(笑)