ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 平安結祈 最前列!

きのう書きかけた映画の感想の続きです。
ふたつあるのですが、ひとつ目は日曜日の錦糸町。こちらから書いていきます。
この日どんなことがあったかは昨日の日記に書いたとおり。
行きの電車の中で父からのラブレターを広げたりしていたので、子ども時代のことなどをいろいろ思い出して、いつになくものすごく繊細に、心が感じやすくなっていました。
ちょっとつっついたらうるうるしてしまいそう。ラブレター、映画が終わってから読んだ方がよかったかなぁ。
そしてそのままで向かった席は最前列センター。
ひとりだったこともあって、いつもと違うことをしてみたかったので、事前にこの席を予約していきました(笑)
そもそも3列目から後ろは結構埋まっていたこともありますが、さすがに最前列は誰もおらず。
「一人占めだーーーっ!!」とハイテンション、ここならだれも入って来ないし〜と思ったら大間違い(笑)
わたしよりあとから来たみなさんが、後から後から一列目の前を横切って反対側の後列へ。
もしかしてものすごく目立つことをしてるんじゃないか?と恥ずかしく思ったり心配になりながら暗くなるのを待ちました(笑)
予告が始まった時には「うわっ失敗したかも。この席、絶対に首が痛い!」と思ったのですが、本編が始まってからはまったく気にならず(笑)「愛だね、愛!」と友人のあきこちゃんにからかわれました。そうかしらん(笑)
この最前列というのはものすごい臨場感で、他ではできなかったことがいろいろと経験できた気がします。
ひとつにはわたしだけのためにライブをやってもらっているような気持ちになれたこと。
それからスクリーンが近いせいか、テレビを見ているようなひとごとな感じではなく、まさに目の前で行われているものに参加しているかのような感覚でした。
いえいえ、実際9月4日も参加していたわけですが、それとはまた違うライブに参加しているような気分。
まるでタイムトラベラーのように、何度も2011年の9月4日を経験できるしあわせよ。
そして歌声がバンドのみなさんやつよしさんの姿が、上からいつもよりもずっと大きく、ドーン!!と降ってくる感じ。
降り注ぐ音のシャワーを全身に浴びながら、夜空を、つよしさんの想いを(笑)両手を大きく開いて一人で受け止めているような、そんな気さえしましたよ。
多分今後何の映画であれ、最前列で見るなんてことがあるとは思えませんが、貴重な経験をしたと思っています。
そもそも対談が始まってほどなく、顔に写るまつ毛の影にくぎ付けになりました。なんて長いまつ毛。前でみると顔の陰影がさらにくっきりして、ずっと見とれてました。
そして、最前列で見た回だけの感想で一番印象的なことはというと、つよしさんが薬師寺の日光月光菩薩に見えたということ…この話はちょっとだけツイッターでもつぶやきましたけれども(笑)
しかも、薬師寺で見た日光月光さまじゃなくて、国立博物館に展示されるためにやって来られたときの光背のない菩薩さまを見た時の感想と同じだ!と思ったのでした。
なんだそれ?
そうおっしゃるのは最もです(笑)
ちょっと待ってくださいね、ちゃんと説明するから…
前の日記を掘り起こしてみたら、ありました。
2008年6月7日、薬師寺展を見に行った日の日記で、わたしはこんなことを書いています。
ちょっと長いですが、あえて自分の過去の日記を引用してみます。

少し高い遠めの場所から見たときと、近くの下から見上げた時と、お顔が全然違って見えるのがなんとも不思議でした。
じっと佇んでお顔や装飾品の数々や、キレイに均整の取れた身体を見ていると、なんて美しいのだろうとため息がでます。
横はどうなっているのか、後ろはどうなっているのかと回り込んでいると、細部まで本当に手が込んでいて、どこからみても本当に美しい均整の取れた丸みのある美しい形をしています。
そういえば、仏像の形を細部までこんなにじっくり見たことはなかったし、そのお顔もあんなにまじまじと見たのは初めてでした。
更に、この方々のお顔はとっても清々しくて穏かなのに、身体はS字にくねっていて、丸みを帯びた肩から腰のあたりもとっても艶かしいことにもびっくり。
中略
というわけで、あっちから見たりこっちから見たり、上から見たり下から見上げたりしている間に、「双眼鏡があれば、もっとよく見えるのに!」なんてことまで思ってしまったわたしです。

これ、まんま映画の感想じゃない!!(笑)
もしやこれは2012年の3月4日を見越して4年前に書いた予言の文だったのか(違いますから、笑)
仏像をつよしさんに、装飾品を衣装に替えたら、「映画の感想」と言っても全然支障はないことに笑ってしまいました。えへへ。
時空あたりで一旦雨に濡れて、衣装の質感が変わると更につよしさんそのものが仏像ちっくに見えたのは何なんだろう(笑)
最前列で見ると、いつもは小さいつよしさんが、あまりにも巨大に見えたし、見上げる感じが仏像さまを見ているわたしちっくだった?
そしてそれが薬師寺の日光月光さまを思わせた?
まあ我ながらヘンテコな感想ですが、そう思ったのでそう書いておこう。
冗談はさておき…
確かにこの日はいつもと違った感想を持っていて
なんだかつよしさんが、その人であってその人じゃない感じ。目の前でバリのケチャを見た時の感想と似ている感じ。
ちょっと前に日記でも触れたブータンのお祭りで披露されたダンス「チャム」とか、神さまに奉納される歌舞伎とか…
平安結祈のライブの世界は、そういう種類に限りなく近い音楽だというのをこの日はいつもより更に実感しました。
そして、帰りの電車の中で、魅惑のセッションまでを反芻しながら、わたしは音楽のルーツに心を馳せました。
たとえば誰かがたまたま近くにあった身近なものを叩いてみた。音が鳴った。
となりの人がその音をなぞって足を鳴らしてみた。楽しかった。
その場にいる人が、真似したりアレンジしたりして一緒に合わせて遊んでみる。みんなで一斉に同じリズムを奏でてみる。
誰かがリズムに合わせて声を出してみる。メロディーが生まれる。
誰かの奏でるメロディーやリズムが場のみんなを癒す。同調してみようとする人が現れる。
ちょっと違う高さの声を合わせてみたら、とってもよかった。ハーモニーが生まれる。
これがいわゆる西洋音楽で言うところの「音楽の三要素」。その誕生はまったくもって偶然の産物…だったりして。
始まりも終わりもなく、気の済むまでみんなで、あるいは誰かが弾き続ける。
そしてそれを聴いて自分も音に参加する人、踊り出す人、歌う人、癒される人がいて、笑顔になる人がいて、押し殺していた感情をやっと表に出せる人がいて…
楽しい経験の記憶が次の音楽の集いを生む。
心を合わせて何か大切な願い事をしようと言う時に、「あれ」をやったらいいのではないか?と誰かが思いつく。
神さまに、大地に、田畑に、山に、水に、感謝をこめて音を捧げることの始まり。
まあ想像の世界ですけれども…
音楽の本質、ルーツに触れる様々なことについて考えるに至ったのは、映画の中でみんなが奏でていた音楽が、とてもプリミティブなようにも、とてつもなく進化したもののようにも思えたからじゃないかと思います。
いずれにしても、音楽の本質を突いた何かが隠れている気がしてならず、まだ続きを考えたりしています。
「縁を結いて」を聞いている時は、父のラブレターもあって、小さい頃から今までの自分が走馬灯のように思い出されました。
今は亡き、祖父母のこと、義理の父母のこと、日本を愛し、育み、見守り続けてきたたくさんの先人たちのこと。
この人たちのたくさんの想いが受け継がれてここにわたしがいる…
今まさに次世代にこの思いを引き継ぐために存在するわたしがいる。
そんなことが次から次へと思いとして沸いてきました。
そして昨年の春を境に、わたしたち人間が大きく傷つけてしまったふるさとの大地。失われた多くの命。
無くしてしまったものの大きさは計り知れない…
そんな思いの中で聴く「縁を結いて」。
ふるえる声でそっと紡がれる重たい歌詞のひとことひとこと。

雲の糸のように かよわく力強く
誰も皆 産声から始まったいまを

長調のやさしいメロディー。
深い悲しみの中でなお、手繰り寄せようと願う明るい未来。

引き寄せた 
陽と月と過去今未来は素敵だろう

特別の想いで味わったこの日の最前列ライブは、わたしにとっても大切な分岐点になりました。
次のエントリーでは、この日と満員御礼が出た3月6日の昼の部のライブで感じたことをもうちょっと具体的に書きたいです。
それから、もうひとつ。
たまたま平安結祈でつよしさんの音楽に興味を持たれたという方からメールをいただいたので、この方以外にもそういう方がいらっしゃることを期待して、オススメのDVDとかCDについても別途触れたいと思います。
Uさま。メール、ありがとうございました。