ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 水神

水神(上)

水神(上)

水神(下)

水神(下)

amazonのBOOKデータベース上巻の方には

天が村の傍らに与えた恵みとなるはずの筑後川。だがその水は、一滴も村に流れてはこなかった―黙して泣き続けるよりも、身命を賭し、戦って散った方が、いい。川面に響いた五庄屋の悲痛な叫びが、一人の老武士の心を動かした。江戸時代の九州、民の夢をのせた工事実現まで、あとわずか。しかし―絶望に抗う人間たちの猛く尊き姿を見よ。

と書いてあります。
更に下巻の方には

反乱と無情な抵抗。全てを飲み込む大河との合戦に終止符を打つためには、神への供物が必要なのか―一大事業がはじまった。巨石を運び、水門を築く百姓たち。大河の土手には、工事が失敗したら見せしめに庄屋たちを吊るすための五本の磔柱が立てられた―入魂の書き下ろし千枚、この感動、比するものなし。

と書いてあります。
帚木蓬生氏の著作は、心を病んだ人たちが入院する病棟を舞台にした群像劇「閉鎖病棟」、奈良の大仏建立に携わった人々を描いた「国銅」と読んできましたが、どれも人間に対する目線がとてもあたたかく、群像劇を書かせたらとても上手な人という印象を持っています。
この作品に興味を持ったきっかけは、第一にこの作品の舞台が「筑後川」だったということで、「筑後川」という丸山豊作詞、團伊玖磨作曲による混声合唱組曲が大好きなこともあって、とても読んでみたくなったのです。

混声合唱組曲 筑後川 (1001)

混声合唱組曲 筑後川 (1001)

このお話の元になっている5人の庄屋さんたちは、戦前までの教科書にも載っていた実在のお話だそうです。
読み終わって最初の感想は「この本は今の日本人が忘れかけていて、早急に思い出さなくてはならないことをたくさん思い出させてくれた」ということです。
未曾有の災害が起こり、あらゆる分野で誰かがではなく自分が、そしてこの国に住むみんながパワーを結集しなくてはならない今、誰もが読んだ方がいい本という気がします。
今国を動かしている立場にある方々にもぜひぜひオススメしたい本です。
国のために一生懸命困難に立ち向かっている最前線の方々や、突然襲ってきたつらい日常と向き合っている人が読んだらきっと励まされると思います。
何かしたいけど自分の力なんてほんとにちっぽけ…と一歩が踏み出せず距離を置いてしまう方々にも、ただただ怖くて震えている方にもオススメの一冊です。
そして…
主役の一端を担う5庄屋たちの素晴らしい開拓者精神。どんなに反対されても、世論がどうあれ正しいものは正しいと思い続けること。思うだけでおしまいではなく、ちゃんと行動に移す実行力。どんなに困難にも負けず粘り強く最後まで成し遂げる生半可ではないパワー。
我らがつよしさんもきっとパワーをもらえるに違いない!(そこかい!)ぜひぜひオススメしたい本だと思いましたのことよ(笑)
ここからはネタバレ注意の感想部分です。
目の前に川があるのに、十分な灌漑事業がおこなわれていないために、水の恩恵が受けられない筑後川流域の人々。
代々質のいい作物が作れず、かと思うと水害で米に被害が出たり、粗ぶる川に翻弄されている地域の苦しい農家の暮らし。その農家を束ねる庄屋たち。
物語は「打桶」という、川の水を汲みだして土手を越えて畑に流す作業を一日中行っている若者元助と、現代的に言えば、彼の上司に当たる村の庄屋と、彼らを取り巻く人々を軸に物語が進みます。
足の悪い元助をこの半端なくキツい仕事に当たらせたのは、こういう大切な仕事に就いているのを見れば、誰からも足が悪いことをバカにされることもなく、立派に生きていけるだろうという庄屋を始め、まわりの大人たちの配慮で、庄屋も元助も、村の百姓たちも実直に一生懸命に日々の仕事に精を出しています。
でも、毎日毎日汗水たらしてどんなに桶で水を汲みだそうが、水はスズメの涙ほども流れず、川の恩恵はほんのちょっとも受けられません。
何代にも渡り水に苦しめられてきた地区の庄屋は、ついにたった5人の仲間でこの状況を変えるべく立ちあがるのです。
そもそも農民が嘆願書を藩に向けて書くこと自体が大きな罪となる時代、藩の許可を得ることすら生半可な努力ではかないません。
工事には莫大なお金と人力がかかること、藩の財政も困窮を極めていること、筑後川流域があまりにも広きに渡り、村々の事情も様々であること。堰が築かれることによって水の流れが変わり、田畑を失う地区も出てくること、「堰」ができることによってどんな恩恵があるのかなかなか理解されないこと…などから数々の反対に合います。
庄屋たちの成し遂げようとしていることがどれほどの恩恵をもたらすものか理解されたとしても、その志がどれほど立派なものであっても、この堰を築くという事業は今までの世の中のありようや生活を一変させてしまうような大事業であるだけに、成功の保証もないだけに「一緒にやろう」と言ってくれる人はなかなかいません。
莫大な資金繰り、流域の反対を唱える村の説得、藩への嘆願書、濠の青写真とその設計、実際工事に当たる農民の確保…それはそれは困難を極めるのですが、それでも庄屋たちは現状を変えるべく、私財をすべて投げ打ち、自分たちの村のため、命をも差し出す覚悟で闘うのです。
物語は、内桶の元助および彼を取り巻く農民目線で描かれている部分と、庄屋の助左衛門および庄屋仲間や家族の目線で描かれている部分の両方の視点で描かれている部分があります。
たとえば大河ドラマや時代小説などで描かれる世界は天下人であったり、くらいの高い方の日常が多いですが、この本では江戸時代の農民の暮らしぶりが丁寧に描かれていて、それは必ずしもつらいだけ苦しいだけの表面をなぞった日常ではなくて、血の通うとても新鮮な物語として読みました。
また農民同士の横のつながりだけではなく、士農工商を越えた人と人との心の交流や、立場や地位の違うお互いが、お互いの気持ちになること、お互いがお互いのためになんとか力になりたいと思うこと、困難の中で実際に自分にできるやり方で、協力したり行動する人たちの人としての美しさが描かれています。
この主人公たちの心があまりにもまっすぐに目の前の仕事に向き合っていく姿の美しいこと。
まわりの困難な状況がひとつずつ動いてゆく場面や、反対者がひとりずつ協力者に変わってゆく場面が丁寧に描かれていて、どの場面もとても心に残ります。
やっと工事が始まってからは、藩により見せしめのように5人の庄屋の磔台が作られます。
もしも工事が失敗したり万が一工事の最中に死人が出たりしたら、この事業の総責任者の5人の庄屋は、責任を取って川を見下ろす場所に磔になるのです。
元助たち作業にあたる農民たちは、庄屋たちの想いがどれだけ深く、どれだけの犠牲をはらって命を懸けているかをそばで見てきているだけに、磔台を見るたびに胸が張り裂けそうな気持ちになり、いっそう仕事に精を出します。
しかし危惧していた事故が起こり絶体絶命のピンチが起こった時、命をかけて事業と庄屋を守ってくれたのは、唯一最初から陰になり日なたになり応援し続けてくれた老武士でした。
この場面は涙なしには読めません。
今の世の中は確かに飛躍的に便利で快適な暮らしになってはいるけれども…果たして今の日本は過去を作ってきた先人たちに恥じない日本になっているのかな…!?このままでいいのかしら。今を生きているわたしたちに何ができるのだろう。どうあるべきなんだろう。
いろいろと考えさせられる一冊にもなりました。
先にも書いた新潮社の作品紹介のページによれば、筆者の帚木蓬生(ははきぎほうせい)氏は下巻を書いている最中は突然の白血病を患って無菌室の中で執筆していたのだそうです。
闘病中の身でありながら、これだけの長編をこれだけの集中力で書きあげた筆者のがんばりには頭が下がるし、素人目にも、それだけのことはある、素晴らしい作品だったなぁと思います。
今はよくなられたそうで、本当によかったです。
このリンク先のページにもぜひ飛んで、文章やインタビューもご覧にいただけたらと思います。
帚木蓬生氏の著作は今後もたくさん読んで行きたいし、もっとたくさんの方の目に触れるといいなぁ…という願いをこめて。
この物語を読んだ後で、合唱曲筑後川の『河口』を聞くと涙なしには聴けません。

筑後平野
百万の生活の幸を 
祈りながら川は下る 
有明の海へ
筑後川 筑後川  その終曲(フィナーレ)ああ 

合わせてどうぞご堪能くださいませませ。

ついでにもうひとつ。
こちらはわたしが一番好きな合唱曲のうちのひとつ。カンタータ土の歌。大木惇夫氏が作詞、佐藤眞氏が作曲した曲です。
カンタータ第1楽章「農夫と土」という曲です。この曲集の中ではなんといっても「大地讃頌」が最も歌われ有名な曲ですが、なぜかはわからないのですが、わたしはこの歌が高校生の頃からとりわけ好きでした。この歌もこの物語を読みながら聴くと泣けそうな1曲です(笑)