ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 他民族国家に学ぶこと

今日は比較的暖かくて春めいた一日でした。
風邪なんだか花粉なんだかよくわからない事態はちょっとだけ沈静化して今日は洪水にはなっていませんが、大きく息を吸うとかすかにひゅーっと音がして不吉。
さっきたまたまテレビをつけたらマレーシアのマラッカの番組をやっていて、あまりになつかしいので途中からですが思わず見入ってしまいました。
マレーシアという国は、マレー人、中国人、インド人がお互いにお互いの宗教や生活習慣を尊重しながら仲良く暮らしています。
居住地が完全に別れているわけではなくて、中華街インド人街もあるにはありますが、いろいろな民族が雑多に混ざり合っていて、どの民族もちゃんと国の一員として受け入れられています。
外国人としてかの国にいても居心地が悪いということはなかったし、そもそも国の中でみんなが同じ言葉をしゃべって当たり前という文化ではないから、他国語を話す人たちにも抵抗がありません。
「おはよう」とか「ありがとう」だけ覚えて、とりあえず日本語で話かけてみようという人がいたり、極端な話同じ中国人同士でも出身地方や何年住んでいるかによってマレー語しか話せない人、広東語や北京語しかわからない人、読めるけど書けない人、いろいろなので、結局マレー語や英語、いろいろ試してみて、いけそうな言葉でしゃべってみたりするようなお国柄なのです。
子どもがぐずっていたりすると、それがホテルの中であれ高級レストランの中であれ、老若男女いろいろな人が寄ってきてあやしてくれたり、子どもに飴玉を握らせてくれたりします。
お年寄りや弱者や外国人にもとてもやさしい国という印象を持っていて、日本人会のマレー語教室の先生は「典型的なマレーシアの暮らしを知りたいならうちへいらっしゃい」と故郷のご家族のおうちに招いてごはんをふるまってくださったり。
日本人には未知の世界、聖地巡礼のこともその後の買い物ツアーの話と絡ませながらわかりやすく楽しく話してくださったりもしました。
かの国の方々がそれぞれに信じているヒンズー教イスラム教、そして仏教やキリスト教は一見相容れない宗教ですが、あの国においてはとなりの人が信じているものを否定するとか、自分たちの方が正しいと主張することはなく、「おとなりはおとなり、うちはうち」が上手に守られている気がします。
街では毎月なんらかの宗教行事やお祭りが行われ、さまざまな宗教の記念日が祝祭日になっていて、それに合わせたセールやイベントが開催されとても華やかでにぎやかです。
インドのディパバリというお祭りの時はあでやかな民族衣装に身を固めた美しいお嬢さんたちとエレベーターで一緒になってドキドキしたり(笑)そうこうしているうちにデパートなどにクリスマスツリーが盛大にドドーンと飾られたと思えば、「恭喜發財(コンシーファーチャイ)」と書かれた真っ赤な横断幕が掲げられ、来るべき中国旧正月に向けての大バーゲンが始まったりもします。
イスラム教のチャドル(顔を覆うスカーフ)をしてお掃除をしている人たちの横で、マリア様の写真をデスクに飾ったクリーニング屋さんが仕事をしていたり、インドのサリー風の制服を着たお嬢さんの登校風景に出くわしたりもします。
学校も必ずしも民族ごとに分けられているわけではなくて、マラッカの地元の学校の先生が
「わかりやすく言えばどの宗教の人も人を殺していいとは言っていないでしょう!?だからどの宗教も正しいのです。」と他民族が混ざり合った生徒たちにざっくりとおおらかに教え、ほほえんでいる姿がとてもステキでした。
子どもたちは普通にマレー語、タミール語(インド)中国語、英語とたくさんの言葉を話します。
「だって友達みんなと話せると楽しいもの」と漢字の練習をしながら英語でしゃべり笑うインド人の男の子。
お酒も飲まず豚肉も食べないマレー人がたくさんいる場所でありながら、隣にはとっても流行っている中華の食堂があって、常に美味しい匂いが漂っていたりもします。
もちろんマレー人はそこでは食事はできませんが、だからと言って彼らがケチをつけることはありません。
またオープンハウスをして、さまざまな人種の日ごろお世話になっている方々や、友達の友達、通りすがりの人たちまで呼びよせて、それぞれのお国の自慢料理をふるまったり、紹介したりするパーティーも頻繁に行われているのだそうです。
番組ではインド人のお宅に、マレー人や中国人や、誰かのお友達の白人のご夫婦。いろいろな方が三々五々集まってくる様子が映し出されていました。
奥さんと子どもたちが一緒に作ったインドのお料理には、マレー人が食べられない豚肉は抜いてあり、他の宗教の人の主義主張もちゃんと尊重してありましたが、あとは自由にみんなが混ざり合い、おおらかに飲み食いし語り合い、とても楽しそうでした。
最後の方で、モスク(イスラム寺院)の近くで小籠包などの蒸しものを出す中華食堂の人が取りあげられていました。
このお店の従業員は、おまんじゅうが売り切れると、いつもは平気で豚肉の入ったおまんじゅうを蒸した蒸し汁を道路に捨てるのに(笑)
イスラム寺院でお祈りが行われる日だけはイスラム教徒が宗教的な理由で避けている豚肉の汁を、イスラム教徒が踏まなで歩けるように、道路側には捨てず、側溝に捨てることにしている。と得意げに話してました。
(毎日茹で汁を側溝に捨てたら一番いいのに〜というツッコミはなしで、笑)
たとえそれが週にたった1度であっても…そういうちょっとした心遣いや思いやりで、人種や宗教が違ってもお互いに気持ちよく暮らしていける…とニコニコと話す中華食堂の人はとても素敵でした。
わたしが住んでいた頃も、そうは言ってもマレーシア人が圧倒的多数なあの国で、断食月に入って日中彼らはごはんを食べなくても、ちゃんとマクドナルドは朝から開いていたし、スーパーもデパートも豚肉もお酒も売っていました。
もちろんご飯を食べていないマレー人はいつもよりも更にのんびりペースでレジを打ち、空腹で疲れ果てて壁にしなだれかかったりもしてましたが(笑)効率的とは言えないまでも仕事はちゃんとこなしていたし、動作が緩慢だという、そんなことも「ノープロブレム」「ネバーマインド」と手をひらひらさせて終わりにしてしまうおおらかさ(笑)
かの国の文化には、世界中の人たちが上手に仲良く暮らしていくために必要なヒントがある…と思いました。
身近なところにも自分と違う考え方をする人がいてあたりまえ、お互いに尊重し合って当然、お互いが気持よく過ごすための最低限の努力を苦にしない。違うところではなくて、おおらかに共通点を見つけて親しくつきあっていこうという文化はとても素敵です。
異国情緒漂うマラッカはちょっと特別な街で、わたしも2度くらいしか行ったことがありませんが、機会があればマラッカも、わたしが住んでいたクアラルンプールの街も、また訪れてみたいです。