ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 いきなりハードルを越える。

 今日はオトート話です。
 ちょっと重たい話を含みますので「楽しい話だけがいい」「テンションが下がる話は読みたくない」という方はのぞかないでくださいね。
 彼は今年、市が主催する3泊4日のボランティアキャンプに参加しました。
 最初の目的は大学進学のための学校推薦に役立つだろうというちょっと邪まな気持ちもありつつの参加だったのだと思うのですが、帰ってきてみれば本当に充実した4日間だったらしく、社会人から小学生まで様々な年代の友達を作り、将来の道が見えたような気がした!!大興奮しつつ語りました。お年寄りの話を聞いたりするのは性に合ってるかも!?と言い、自分にも病気があるからこそ、わかる気持ちもあるはず…と意気込んだりもしています。
 帰ってきて3度ほど報告書を作る会などに出かけたり、近所のお祭りにメンバーで集まったり、受験生の癖に社交的にも花開いちゃって、その辺はうれしい誤算ですが、まあ本人が楽しくて充実していて、しかもそれが将来への目標にもなったのであれば、それでいっかという感じ。母としては胸を撫で下ろしたのでありました。
 このキャンプに参加するにあたって、一番気になって仕方がなかったことは、彼自身がボランティアキャンプに行ったり福祉関係の大学を受けてそういう学校に行くことによって、自分自身の持って生まれた病気と深く向き合うことになるのではないか!?という予感です。
 彼は自分の病気の名前が「筋ジストロフィー症」だということはもちろん知っているし、それが難病だということも知っていますが、告知を受けた小学校1年生当時は、もちろんそんな話をする時期ではなかったし、彼に背負わせるにはあまりにも重い問題だったし、ありがたいことに病気がそれ以上進行することもなかったので、とりあえず時期が来るまではとあまりその話をしてきませんでした。
 「どういう病気か」よりも「こういうことが起こったらどうすればいいか」に重点を置いて見守ってきました。
 結果、自分の筋肉が人とは違っていて極端にムリがきかないことや、極端に疲れやすいこと。ダラダラして使わないでいてもダメになってしまうので、適度には動かす努力をしなくてはならないことはよくわかっています。
 骨折など大きな怪我をしてしまうと、筋肉が命取りになってしまうこともあるので、決して無理をしないように…とは思っているようです。専門病院に行けば車椅子の患者さんとすれ違うこともあるわけだし、うっすらといろいろと思うことはあると思いますが、あえてその話をしたことはありません。
 男子なので、あまり細かい病状や学校でイヤな思いをした話はしませんが、多分そんなことも少なからずあると思うし、できなくてくやしかったこともたくさんあると思います。
 でも、根本的な話はしてこなかったので、そろそろ大学生になるというこの時期になって、どんな風に彼が自分の病気のことを知って行くのだろうか!?というのはここ数年、大きなテーマだったわけです。
 ところが、昨日ボランティアキャンプの思い出話をしていた彼から、さらっとこんな話を聞きました。
「ボランティアの事前説明会の時さ〜、オレと同じ筋ジスの人のビデオを見たよ。その人は二十歳で死んでた。タッチの声優を使ったビデオでさ〜…」
 え〜っ!?そうなの!?もうひと月以上も前の話じゃない。
 親としてはどう配慮してどうやって話そうかいろいろと考えてきたわけですが、いとも簡単にやすやすとハードルを越えられてしまいました。
 あまりにもびっくりしてしまって、「ああそう」という間の抜けた返事しかできませんでした(笑)
 この病気の根本的な治療法の開発はまだまだ途上ですが、ひと昔前と比べると対処療法もさまざまに工夫がなされ、患者さんの寿命も飛躍的に伸びて、明るい兆しが見えています。なので、ビデオで見たように「二十歳までしか生きられない病気」という認識ではないです。
 とはいえ、一番極端でショッキングであろう映像を「さらっと」見てしまったんだなあというのがとってもびっくりでした。
 幸いにもビデオの主人公の人とは病気の進行の型が違い、非常にゆっくりとしたものであることを本人が知っていて、数年前に「大学も就職もちゃんとできるからね。しっかりとやるんだよ!」と先生に太鼓判を押してもらっているし「2年後に自分の命は!?」なんて悲観的になったりはしていないだろうと思うのですが、それにしても衝撃的だっただろうなあと思います。
 当の本人は至ってのんきで、「ねえ、明日秋葉原に遊びに行ってくるから」とか「オレさ〜、ボランティアキャンプで役所の人の仕事っぷり見てさ〜地方公務員もいいかもな〜と思った」とか「大学受かったら、先輩たちと遊ぶ約束してるんだよね。」とか言ってるわけですが…
 筋ジスという病気は遺伝的な疾患で、我が家の場合、元を辿れば祖母のあたりからの遺伝子の突然変異により起こってしまったわけなのですが、健康に生んであげられなくて申し訳ないという気持は確かにあります。
 たった一度だけ、そんな話になったことがあって、それは彼が小学3年くらいの時だったのですが、「どうしてボクはすぐに足が痛くなっちゃうの!?」と言われたとき、勢い余って「おかあさんのせいなの。ごめんね。」と言ったら相当わたしに対して「言ってはいけないことを言った」と思ったらしく、二度と「どうして」は口にしなくなりました。彼の退路を断ってしまったようで、今だにあんなことを言うべきではなかったと後悔しています。
 でも、その持って生まれた疾患以外ではほとんど熱も出さず、高校も3年生になる今まで、インフルエンザ以外で学校を全く休んだことがありません。ヘンな言い方ですが、大きな難病を持っていること以外では、心身ともにとってもすこやかにここまで来ているのです。
 一方で、五体満足に生まれたはずのアネの方が、繊細過ぎるところがあって、小さいころからさまざまなことに傷ついたり悩んだりを繰り返していて、痛々しいほど追い込まれる姿を見ていると、何かしてあげたいけど何もしてあげられない。ただ見守ることが精いっぱい…という気持ちになることが多いです。今年はまた心のバランスを崩して袋小路に入りこんでいて、どこかの掲示板流に言えば親子共に「必死だな!!」という毎日を送っています。彼女は二十歳ですが、まだまだわたしの子育ては終わったとは言えず、一人前にして送り出すまでには時間がかかりそうです。
 そんな両極端な子どもたちを持つわたしは、子育てに対して絶対的な自信などあるはずもなく、いつも迷ってばかりですが、逆に言えばどうがんばったってその子次第。親の仕事は見守るだけというのもよ〜くわかってしまった感があります。
 身体にしろ心にしろ、いい条件がすべて揃っていることだけがしあわせの定義じゃないし、何かが欠けたことで、逆により実感できるしあわせもある。身体や心の健康を損なった時に、どんどん振り落とされていったり、振り落とされることを怖がりながら生きていくような社会ではなくて、誰もが安心して余裕を持って暮らせるような、支え支えられてすべての人に居場所がある、そんな未来が待っているといいなあと思うのです。
 この間からわたしが生まれてきた意味はなんだろう!?ということをしきりに考えていて、きっと最大の目的はふたりの子どもたちを、ちゃんとした人間として社会に送り出すことなのだろうと思うに至りました。
 わたしという人間には、先にも言ったとおり遺伝子に欠如があって、男の子を産もうとするとまたオトートと同じ病気の子を産んでしまう可能性を持っています。もう産む年じゃないですけどね(笑)
 いつだったか父が「高貴な家柄にでも嫁いでいたら、即刻里に帰されるところだったな。」と、誰かに言われる前にわたしに向かってあえて言ってくれたことがあるのですが、それを言われた時に不思議と開き直りみたいな気持が生まれたのですよね。「しかたない。それもまた運命」というふうに。
 でも、そんなわたしにも、風邪ひとつひかない強い身体と、ラテン?!とか言われるくらい楽観的な心があって、こんなわたしが生かされていることにもきっとなんらかの意味があるんだろうなあと思うのです。
 今の日本は放っておいても子どもたちが育つような環境ではないし、様々な問題が取り巻いていて、明日何が起こるのか、何が降りかかって今までの努力が台無しになってしまうのか、見当もつかないと思ったりします。
 そんな中、命を生み出して次世代の担い手を中途で投げ出さず育てあげ、心身ともに健康な状態で送り出すのは至難の業です。
 今のところあのビデオを見たことが大きな重しになっているようには見えませんが、いつかどこかで、精神的に何らかの手を貸してあげないといけない機会があるかもしれません。
 今はただただ一生懸命に自分の病気と向き合い、社会人としての責任を果たすことに必死になっているアネが、そんなオトートを励ます日が来るのかもしれません。
 いろいろなことをあまり先回りして深刻に考えすぎず、何事もドンと来い!とおおらかに見守れる母でいられるといいのですけれども…現実にはまだまだ修行中。まだまだ大人とは言い切れないダメダメなわたくしでございます(笑)この旅はいったいいつまで続くのでしょうね〜もしかして一生!?