堂本剛 平安神宮LIVE 2019 9月13日・14日 その3
やっと最後まで・・・のつもりだったのですが、長くなってしまったので、MCからはその4に分けて書きます。
最初にちょっとだけ書くエピソードは、二日目の夕方までは、同じ京都にいながら違うホテルに泊まり、まったくの別行動をしていたオットの話です。
オットは二日目の朝、とても早く起きて神社仏閣めぐりをしていて。
歩く道すがら入ったあるカフェで、コーヒーを飲んだそうです。
その時、お店の若い男性店員さんに「今日はどちらへ?」と声を掛けられ。
「夜は平安神宮でライブへ。」と話したんですって。
「えっ!?誰がライブをやってるんですか?」とお兄さん。
「堂本剛くん。ファンクなんですけどね!」とオット。
雑談するおじさんと若者。
実は彼、まったくこのライブのことを知らなかったそうで、最初驚いていたけれど。
「彼の音楽性ならFUNKも全然アリですね!僕もいつか行ってみたいです。」
と言っていたそうで・・・思わず熱弁をふるって布教活動しちゃったよ!とオット(笑)
そんな風に、世代が違う男性同士で、こういう会話が自然になされたっていうことが、そもそも素敵だなぁと思ったので、みなさまにもこの会話のお裾分け。
今回、老夫婦とか親子連れ、海外からわざわざ来られたファンの方もたくさんお見掛けしたし。
若い男性だけのグループや、中年男性もたくさん見かけたので、すそ野は確実に広がっているかも?と思いました。
では、続きをどうぞ。
続きを読む堂本剛 平安神宮LIVE 2019 9月13日・14日 その2
昨日アップした「その1」からの続きです。
とても怪しげな記憶と文章なのに、たくさんの方に読んでいただいて、ありがとうございます。
Twitterでリプしてくださったり、いいねしてくださったり、そんな反響にとても励まされ、背中を押していただきました。心からの感謝を!!!
細かいところで間違っているところも多々あるかも?なので、遠慮なくご指摘いただけたら。
とりあえず、わたしが見たまま、感じたまま。メモったままを書きました。
今回、感想をまとめた文章にあまり出会えていないので、わたしの言葉で全然いいから読ませて~と言ってくれた友達がいて。
彼女のために、そして自分の記憶の定着のためにと書き始めた文章です。
もっと簡潔にしたかったのですが、やっぱりわたしだな(笑)
簡潔に書くのはムリでした。
この後、セッションからのその3で終了です。
続きを読む堂本剛 平安神宮LIVE 2019 9月13日・14日 その1
昨年は参加できなかったので、今年は二日間参加してきました。
わたしが入った日だと、二日目に「収録カメラが入っています。」というアナウンスがあったので、今度こそこの平安神宮公演もブルーレイになるといいなぁと思います。
約10年の時を経て、会場の特性を生かしたノウハウも、音作りもとても進化したと感じたので、そろそろまた残してほしいとつくづく思いました。
今回どちらの日も同じような席で、真ん中よりもやや後ろですがほぼど真ん中。
一番最初、平安神宮での奉納ライブが始まった頃と比べると、ステージが高くなったのか、ずっと見やすくなっていて。
細かいところはともかくとして、ステージの演出はもちろんのこと。
ほぼそこで何が起こっているのか、誰が鳴らしていて、どんな風に音がリレーされて、つよしさんがどんな風に指示を出しているのか、ちゃんと見ることができました。
さらに驚いたのは、その音の良さ。
たまたま位置がど真ん中ということもあったとは思いますが、こんなにかつて音がいいと思ったことがあったかな?というくらい、音のストレスがゼロでした。
野外にも関わらずこれだけいい音響で聴かせることができるんだ!という感動。
湿気や天候でコントロールしずらいホールよりも、とてもクリアで、音が割れたり散ったりすることもなく、歌声が埋もれたり聴きづらいこともなく。
珍しくお天気が最高に良かったせいもあると思いますが、今回いつもよりもさらにそう思いました。
さて。
ふぇるまーた的に特筆すべきは、2日目にとうとうオットが一緒に参加しました。
昨年の東大寺でどんな風だったかを話して以来、どうしても自分も行ってみたいと言っていたオットだったので、念願が叶ったことになります。
会場に入ったら、聴いたことがある静かなインストがかかってて。
一生懸命、どこで聴いたのか思い出そうとしていたのですが、わかりました!!
アツシナカシマ!!ミラノコレクション、多分初回で使われた音楽です。
淡々としていて、でも趣があって。これがここで聴けたしあわせよ。
開場してから開演までに、昨年はお祓いがなかったと聞いていたので、少しさみしく思っていたら、今年はちゃんとありました。
神社仏閣が大好きなオットにあのシーンを見せてあげられたのもよかったなぁと思います。
宮司さんが出ていらして、まずはステージの方を向いて、その後、今度はお客さんにも頭を下げるように指示があって、お祓いしていただきます。
その後、ややしばらく時間があって。
四方を照らしていた灯りが消え、密やかにステージにバンドのみなさんが登場されました。
最初からつよしさんもいて。多分いつもの?あの白いギターを弾いてました。
☆セットリスト
NARALIAN
ブルースーや紫のレーザー光線がちょっと妖しげで、とても美しかったです。
そんな中、つよしさんはゆったりとしたはっきりとした大きな幾何学模様の衣装で。
なんだか古代人のようにも見えたし、現代人としても(笑)とてもお洒落だったなぁ。
そして髪の毛が遠目には銀髪に近い金髪?あるいは茶髪にも見えて、すごく好きな感じでした。
かなり長めのイントロがあって、この曲だ!!とわかるまでが結構長かったです。
この曲と次の曲は、原曲よりもかなりBPMを落として、ゆったりと。
なのにちっとも冗長にならないのがスゴイです。
つよしさんはゆったりしたテンポの中で、とても冷静にバンドを引っ張っていた印象で。
BPMを落とすと、ややもするともったいぶったり、しつこくなったりしがちですが、まったくそういうこととは無縁な感じ。
ゆっくりなのに感情過多にならず淡々と。
NARALIENという曲は、いい意味でとてもエキセントリックで混沌としていて。たまたま土曜のラジオでも言っていたけど、少し怖い感じ。
人も神さまも、太古の昔から生きて来て亡くなった多くの魂、羅生門に集まる魑魅魍魎とか人ではないもの含め。
誰がいらしても、何が通りすがってもおかしくないようなちょっとおどろおどろしい雰囲気。
そうそう宇宙人だって来てみちゃったりしていたかも?
混沌とした音楽が、いろんな気配や感情を運んできて、それがただ美しいとか、厳かって言うよりは、舞台やミュージカルの始まりを告げるドラマチックな序曲のよう。
一日目は、午後には晴れと聞いていたのに、しつこく雲が覆っていて。
こりゃ一雨来てもおかしくないぞと思っていたのですが、なんと始まってまもなく、奇跡的に雲が切れて、地面に近い下の方に、お月さまが顔を出したではありませんか。
折しもこの日は中秋の名月。
わたしたち客席からは、振り向かないと見えないお月さまでしたが、多分つよしさんたち演者さんたちからは、かなりよく見えたはず。
お月さまが演者さんたちに、その日だけのインスピレーションをくれたかもなぁ・・・なんて。そんなことを思ったりもしました。
この画像は、終演後帰りながら撮ったもので、あんまり上手じゃないですが、こんな風に真ん丸なお月さま。時に雲がいい仕事をしていて。古都な感じ。とても風流だったのでありました。
客席側で、お月さまが見える方向は奈良の方角でもあるんですって。
ここ京都から奈良に向かって歌っているような感覚があるとつよしさんがおっしゃってました。
HYBRID FUNK
スモークがもくもくと炊かれ、大極殿の前、ステージの後ろ側に、横一列に並んだ噴水のような、たくさんの水の柱が現れました。
昨年のレポで「水」の演出が凄かったというのは聞いていてましたが、思ってたのの何倍もスケールが大きくてただただ茫然。
この水の柱は、いろいろな曲で形や出方が変化して、さらにその水に色とりどりのレーザーがあたったり、場合によっては、水の上からメラメラと火・・・本物の炎がゆらめいたり、ため息が出るほど美しかったです。
この曲は、さらにスローなHYBRID FUNKで。編曲が施されていて。
最初やっぱり何が始まったのか、わかるまでに少し時間がかかりました。
「ドドラシ♭」とわたしメモ。
ゆったりとしたグルーヴに身を任せ、ゆらゆらと揺れながら、過去や未来に思いを馳せてました。
PAST FUTURE 絡み合った FUNK
様々な時代の歴史の局面で、表舞台となったこの京都という場所になんてぴったりな曲!!!と膝を打つ。
刺さる歌詞のラップからの
今日までの道のりに咲いた残像の傷跡を
まだ知れない一秒の先の風と舞わせ舞おう
の詞が、実感的に「そういうことなんだ」とわかったような気がしました。
過去から未来へ。わたしたちは、真ん中の現在(今)に立っている。
HYBRID FUNKは、いつの間にか彼の代表曲の一つになったなぁとしみじみ思ってました。
そういう曲が最近の曲の中にあるのが、いいな。
本当の意味で彼のFUNKはその分野の届くべくファンにやっと周知され始めていて。
今はブレイク前夜・・・という感じかな。
こんなに芸歴が長い人なのに、まだまだこのジャンルではフレッシュさを全然失ってなくて。
それどころかサマソニ後、若い音楽ファンには、彗星のごとく現れた?とすら思っている人すらいそうな雰囲気で(笑)
とてもいいなあと思います。
HYBRID ALIEN
この2曲はアップテンポで、アゲアゲな感じ。
とても楽しいアレンジでした。
あちらこちら、スタッカートやマルカートで歌ってて。だからポップだと思ったのだと思うのですが、軽やかで楽し気で。
HYBRID ALIENはどこかユーモラスで愉快な感じ。心躍る一曲に仕上がっていて。
Love is the keyは、思い出してみる限り、こんなにポップに歌われたのは初めてじゃないかな?
この曲ができた頃を覚えていて、あちこちのライブで折に触れて何度も歌われてきて。
どちらかと言えばこれまでスローアレンジ、重めのアレンジが多かった気がするので、今回のポップさがとても新鮮に思えました。
照明もピンクとかオレンジで、楽しい感じ。プロジェクションマッピングで、この辺りからお堂にも映像が重ねられ、宇宙的な感じ。
とても華やかで綺麗でした。
気がつけばサーチライトのように、少し上向きのライトが二本、斜め上方向に向かって大きく伸びて行ったり来たりしてました。
宇宙人に呼びかけてる?探してる?見つけて~と訴えてる?
なんか楽しそうなこと、やってるぞ!って気づいてちょっと寄ってみようかな?って思ってくれたらいいのですけど・・・むふふ。
410 cake
そして、ほとんど切れ目なく始まったのが・・・
曲やアレンジやキメフレーズはどうみてもホットケーキですが、詞が違っていて。
諸説ありますが、わたしは当日は、勝手に「SPACE TRON」だと思ってそう口ずさんでました。
ネットを見ているといろんなことを言ってる方がいて。
「SPACE TRIP」とか「スペースシャトル」とか言ってる方もいたけど。
多分わたしの頭ににここのところずっと「FUNK TRON」があったからか??
直前にたまたま見たサイトで、TRONのギリシャ語の意味に「機械」とか「道具」というのがあって。なるほど~だからFUNK TRONなんだなと思ったせいか・・・ずっと「スペーストロンかな?」と思いつつ、聴いてました。
「I'm Hot Cake」のところは「I'm NARALIEN」かなぁ?ここは合ってる気がする。
「ホッ×2ホットケーキ」のところは「スペース×3 ドリーム?」とおっしゃってたか方いましたが、わたしは正直よく聞き取れませんでした。
言われてみれば、そんなだった気もする!?・・・ってくらい。
どちらにしても歌詞については想像の域を出ません。つよしさんが見たら「耳悪っ!!」って思ってるかも(笑)
今回、MCでも歌われた歌や、歌詞についてまったく言及はなし。
いつか種明かしトークが聞けるといいなぁとは思うけど。
この謎のままってのも、なかなかFUNKYかもね~なんて(笑)
かなり影響されてます(笑)
2日目ラストのMCで、いつか宇宙人とバンドを組んでるかも?と言っていたから、宇宙人と共に鳴らすFUNKってこんななのかなぁ?なんて想像してみるのも楽しい!!
いずれにしても「SPECE」と言ってたのは間違ってなさそう(笑)
スーパーミラクルジャーニー
一日目が終わった後にどなたががレポされたセトリを見て、えっ?ここでスーパーミラクルジャーニー??あったんですか?というくらいの感想だったのですが…
二日目によ~く聴いてたら、確かに「スーパーミラクルジャーニー」と言ってました。
この曲が生まれた日に会場にいなかったので、誰かのレポを読まなければ、セッションの一部だと思っていて、気づかないままだったかも。
この曲はさらにブラッシュアップされて世の中に出て行くのかな?
巻き戻せるなら、もう一度聴いてみたい曲の筆頭です(笑)
ちなみに・・・HYBRID ALIENからスーパーミラクルジャーニーまでは、ノンストップで、切れ目がなくつながっていて。
でも、メドレーという感じでもなく。まったく新しい大きな1曲のような感じでもありました。
またね!!バロン♪
8月19日。月曜日の朝8時半くらいに、バロンが虹の橋を渡りました。
17歳と1か月でした。
この画像は数年前のものですが、こんな風にべったりくっついて暮らしていたので、まだとなりにいるような気がしています。
ご近所で同時期に犬を飼い始めた家がたくさんあって、とてもにぎやかだったのですが、お友達のワンコはみんなすでに虹の橋を渡っていってしまったので、一番の長生きだったことになります。
特に病気をすることもなく、ラスト三日間くらいを除けば本当に健康で手がかからない犬でした。
直前の木曜日はサマソニ参戦の日で、半日くらい家を空けていたのですが、もしバロンの具合が悪くなるのがもう一日早かったらサマソニ参戦は断念していたと思います。
この日はビーチステージが使用できず、ENDRECHERIのステージが無くなってしまった日だったのですが…
だからこそ、ちゃんと楽しんで参加したい!という気持ちが強くありました。
そんな気持ちをちゃんとバロンが察してくれたのか?帰宅するまでは普通にいつも通りの日だったのです。
それが、だんだんにその日の夜から具合が悪くなり。
病院に連れていった翌日の午後には、明らかに呼吸が苦しそうになっていて、まったく飲まず食わずとなり、ただごとではない感じとなりました。
病院の先生の見立てでは、心臓が肥大しているようにも思えるけど、そこまで深刻そうだとも思えないとのことで。食べられるようになれば、また元気になるのでは?とも言われていたのですが、ついぞ食べられるようにはなりませんでした。
日曜日の朝も動物病院の先生がお休みなのに見てくださって、点滴や栄養も注射してくださったのですが…日曜日の夜には、誰の目から見ても、もう長くはないな・・・という感じになっていて。
たまたまこの日は、この夏唯一の、家族が全員揃っていた日だったので、存分に声を掛けたり、撫でたり、みんなでちゃんとお別れができたのが、今思い出しても本当によかったと思っています。
今思い出しても一番つらかったのは、日曜日の夕飯を作る間の時間で。
ずっとバロンはキッチンにいたので、常にバロンがまとわりつく中でご飯を作るのが常だったのですが、その日はわたしが料理している姿を、ずっと静かに見つめていて。
ずっとうるうるしながら、震える手でご飯の支度をして。
バロンにも時折声を掛けつつ、みんなでいつも通りにご飯を食べました。
驚いたのは、日曜日の夜中、滅多に吠えないバロンが吠えたのです。
外でも家の中でもほとんど吠えることがなく。生徒が来ても、来客があっても吠えることはなくて。
たまたま誰かが足を踏んだとか、そういうことでもなければ声を聞くことも稀な犬だったので。
夜中に吠えたのなんて、何年ぶりだろう?というくらいで。思わずアネとオットと見に行ったのが、午前1時半くらいでした。
吠える声を聞かせてくれたのかしらね?なんて言っていたら、その後また2時に吠えて。その時はオットがわたしに「寝てていいから」と、一人で下へ降りてくれて、一時間くらい添い寝していたそうです。
さらに、オットが戻ってきてほどなく。今度は3時半くらいにまた吠えたので、わたしが降りて行ってみるとバロンがそっとわたしを見上げていて。
そこから5時20分過ぎにオトートが起きてくるまでの間はわたしがキッチンの板の間で、バロンの隣で頭から尻尾までぴったりくっついて寝てました。
家族がいる間はまったく吠えもせず、苦しそうではあったけど、寝息をたてていたので、わたしもウトウトしながら、今にして思えば「添い寝」というしあわせな時間をバロンが最期の最期に用意してくれたのかも?と思ったりしました。
その後、いつも通りバロンに声を掛けながらお弁当を作り、家事をして。
朝ドラの後洗濯物を干していたら、たまたま月曜日お休みだったオットが「早く来て!」とただならぬ大声で呼んでくれたので、オットとともに、最期の瞬間に立ち会うことができました。
その日は出張レッスンで、9時半には出かける日だったのですが、もう前日に思う存分お別れはしていたし。覚悟はできていたので、そこまでパニック状態になることもなく。
淡々と決めるべきことを決めて、家族もそれぞれ職場へと出かけて行きました。
たまたまオットが休みの日だったので、その日のうちに動物病院への連絡やら火葬の手配やら、そういうこともすべて滞りなく終わりました。
オットがお休みの日であったこと。
前日に全員が揃って心残りを作らないでくれたこと。
サマソニが終わった後だったこと。
わたしとオット・・・特に一度くらいいつか添い寝してみたいと言っていたオットと、ちゃんと最後の最後に添い寝させてくれたこと。
すべてがバロンの計らいのような気がして・・・
本当にありがたいことだ!!いつか虹の橋のところでまた逢えたら、「あの時はあざやかな手腕だったね!本当にありがとう!!」と言いたいです。
サマソニについては、また別途触れたいのですが…
金曜日、わたしがひとつとても心に残った場面があって。
それはYUKIちゃんのステージでの「JOY」のパフォーマンスでした。
なぜかわたしは、この曲にとても大きな思い出があって。
そして、その思い出は、なぜかつよしさんなんだか、KinKi Kidsさんなんだかの思い出と結びついていて。
なのに肝心なところが思い出せないのですけれど・・・
この曲をどうしても聴きたいと思っていたら、ラストの方で歌ってくれたのでした。
その日白いドレスを着たYUKIちゃんは、以前とちっとも変わらずとても清らかで美しくて。
歌詞を聴いて思わずウルウルしたのですが、実際にこの歌詞の意味を深く噛みしめたのは、バロンがいなくなった後でした。
いつだって世界はわたしを楽しくさせて
いつか動かなくなる時まで遊んでね
という歌詞だったり。
誰かを愛すことなんて ほんとはとても簡単だ
だったり。
大切な思い出さえ忘れていきそうです。
確かな君に会いたい 百年先も傍らにいたい
どんなに離れ離れでも ふたりをつなぐ呪文はJ・O・Y
だったり。
今にして思えば、YUKIちゃんの歌を借りて、バロンがわたしにくれた最後のメッセージのような気さえして。これからもこの歌が特別に好きでいるんだろうなぁと思いました。
えっ!?どんな曲だったっけ?という方はどうぞこちらを見てみてくださいね。
バロンは、血統書上の名前は「ノウム」と言って、地の精という意味だそう。
愛らしいバロンにぴったりでしょ?という言葉と共に、ブリーダーさんから譲っていただきました。
当時、義父を亡くしたばかりでさびしかった我が家に4か月でやってきたバロンは、当初から、適度な運動をした方がいいと言われていた当時のオトートと共に、お散歩するという役割を担ってきました。
実際、虹の橋を渡るぎりぎりまでオトートとも散歩に行っていましたし、その姿は最後までドン・キホーテとサンチョパンサのようで。
オトートと、とてもいいコンビでした。
オトートはバロンを弟分だと思ってましたが、バロンもまたオトートを弟分だと思っていたフシがあって(笑)
あまり彼の言うことはきかないけれど、とても仲良しな二人でした。
とても穏やかな性格で、でも、知らない人に親しげにされるのは苦手で。
おやつをあげると言われても、こっちにおいで!と言われても、いつも困ったような顔をしていたのもいい思い出です。
その分家族への愛情は半端なくて。
本当に家族の一員としてずっとセンターでよく家族をまとめていたと思ってます。
とにかくオットが大好きで。
アネが泣いていると、いつもそばに寄り添っていて。
オトートと兄弟のように育ち。
わたしと共に、キッチンの番人で。
お料理するわたしの周りに常にまとわりついて、野菜の端っこをもらったりするのがとても好きでした。
小さい頃のオトートが何か食べこぼさないかなぁ?と期待の目で待っていたり(笑)
彼は階段を降りられないので、キッチンのある中二階の階段の端っこから下をのぞいていたり。
こんな風に下から常に家族を見つめてました。
これは今年の春。桜の頃にお散歩した時の画像です。
もういなくなってしまったはずなのに、時々夜中や明け方に「ぱたぱた」というバロンの足音が聞こえてドキっとします。
気のせいかもしれないけど、これは家族みんなが言っていて。
そして朝に夕に、いた時と同じように「バロン、おはよう!」だの「おやすみ、バロン!」だの「ただいま」だのをバロンに話しかける家族の習慣は変わらずで。
きっとこれからもそうなんだと思います。
ふぇるまーたを訪れてくださるみなさまにも、たいそうかわいがっていただき、感謝しています。
わりとさっぱり普段通りにしているとはいえ・・・やはり喪失の哀しみは半端なくて。
お料理をする時はさびしくないように「NARALIEN」をずっと流してバロンと聴いている気持ちでいたり(笑)
同じようについせんだって、大切な人を亡くした方々も、こんな気持ちだったのかなぁ?と思いを馳せてみたりもして・・・
一緒に乗り越えよう!!なんて思ったり。
本当にお別れって辛いものだなぁとしみじみしたり。
これからも生きていれば、お別れはたくさんあるだろうけれど、ミントやルナやバロンには本当にいろんな勉強をさせてもらったなぁととてもありがたく思ったり。
とうとう家から、すっかり動物がいなくなったんだなあと思うととてもさみしい気持ちになったり。
でも、生きている間に震災とか停電とか不慮の事故にあうことなく、寿命をまっとうさせてあげることができて本当にありがたいと思ったり。
まだまだ整理がつかない頭でいろんなことを思っています。
とりあえずは、ここのところ、老犬を一匹で置いて長い時間外出することや、旅行に出ることがとても怖くなっていて、滅多に出なくなっていたので・・・
少しずつ外へ出て行ってみようかな?と思ってます。
多分彼もいつまでも悲しんでいる家族を見ていたいわけじゃないだろうし。
わたしも元気に生きるから、わたしがちゃんとやれてるかどうか、空から見ててね!!と言いたいです。
長々と書きました。
読んでくださったみなさまにも、心からの感謝を!
ありがとうございました。
ENDRECHERI TSUYOSHI DOMOTO 中野神奈川、参戦の覚書 その5 (無謀なセッション実況にてラスト)
やっと最後まで来ました。
オーラスとか特別な日感がある日の感想でもないのに、長々と自己満足な個人の稚拙な感想を垂れ流してどうなんだろう?という気もしないではないですが(笑)
そもそもどの日だってその日だけのグルーヴがあって、まったく同じ音が鳴る日はないわけで。
一回一回、その場に居合わせる人も違えば、ステージの方々も入れ替わり。
どの回も邂逅。
なので、やっぱり老後の楽しみのためにも?あとで記憶を辿る手助けにするためにも、書き残しておこうと思います。
続きを読むENDRECHERI TSUYOSHI DOMOTO 中野神奈川、参戦の覚書 その4
一昨日、無事、大盛況のうちに大阪フェスティバルホールのライブが終了したそうです。
友人がたくさん入っていて、たくさんレポが読めて参加したような気になってしあわせな気持ちのまま眠りにつきました。
そしてたくさんの追加情報が!!
サマソニ大阪も追加で来たそうで!!
まだまだENDRECHERIを知らない潜在的なファンはたくさんいそうだし。
一般の音楽ファンがたくさんいるところで、あの魅惑の音が鳴る機会が増えるのは、ファンとして単純にしあわせなことだなぁと思ったりしてました。
3日間の平安神宮ライブの開催も決まり。
追加のライブハウスが5公演。
秋もつよしさん、本当に忙しそうだなぁ。
大変そうだなぁと思う一方、ライブハウスは音楽をするための箱だから、音響的にも他のところよりもずっと安心だし。
音楽をしている時のあのしあわせそうな顔を思い出すと、やっぱり徐々にステージを重ねながらリハビリを重ねていくのが、今の彼にとっての正解かもしれない?と、素直に発表を喜んでいます。
チケットはどう考えても厳しそうだけど、どこかでまた参加できたらいいなぁ・・・
それにしてもなんとか予定はこじ空けられるのか?とか・・・
いろいろと思うところはありますが、とりあえずわたしの急務は書きかけのものを書き上げること。
ぼやぼやしてたら本業の方の繁忙期、夏休みが来てしまいます。
一日中朝と言わず夜と言わず、ぐちゃぐちゃに生徒が来る日々は目前。
とっとと書き上げてしまわなくては!!
いつも反応してくださる皆さま方には、心からの感謝を!!
ありがとうございます。
Y.S.さま、いつもメッセージありがとうございます。気にかけていただいて、とてもとてもしあわせです。体調はいかがですか?不安定な陽気ですが、どうぞご自愛くださいね。
さて。
ここでは、アンコールからのMCを中心に水面音まで。かなり感想色が強いですが、まとめておこうと思います。
中野へ。神奈川へ。
アンコールの最初の曲、水面音を歌う前と後。
ちょっと話がいろいろ前後しますが、ここから最後までのMC部分をまとめてしまおうかと。
あともう一つのエントリーで、セッション部分の音楽について感想を書いて最後です。
読みづらくてごめんなさい。
まずは下記、中野参加の後に書いたツイートです。
その後魂が抜けたように会場が一瞬静まりかえり。アンコールの拍手を始めて数秒後、もうグッズTに着替えてマッハで現れたつよしさんに、会場中に広がる笑顔。
— レイン (@raintalk) 2019年6月11日
この瞬間を存分に楽しみたいと思う気持ちは彼も同じなんだと思ったら心の底からうれしくて幸せで。
今、共に過ごす「時」を強烈に感じてた。
これ、神奈川でもほぼ一緒でした。
とにかくつよしさんが出て来るのが早いです。
そうそう。神奈川ではつよしさんがちょっと文句を言いながら出てきました。
わたしたちのアンコールコールへのダメ出しです(笑)
少し前から始まったらしき「ケリーー ウー!!」というコール。
前日「ダメ出しをされたらしい!!」という文章だけ読んでいました(笑)
そしてライブ本編が終わり「これか~」っというコールが、すでにその存在を知ってる方々のリードで始まり・・・
もちろん、早速真似してみるわたしたち!
わたし的には、かなり新しいコールが徹底されてる!と思ったのですが…
まだまだCHERIはお気に召してはいなかったようで(笑)
「声がまだまだ高すぎ!!」「もっと気持ち悪い感じにしてよ!!」
な~んて。やはりダメ出しをされたのでした。むふふ。
というわけで、ここからはまず中野のMCから。
例によって印象に残ったところだけです。
わたくしレインの忘却フィルターがかかってることをご承知のうえ、言葉はそのままじゃないし、ニュアンスだけ受け取っていただけたら。
・新譜について。
昔の曲もリアレンジして入れようと思っているそうです。
(すでにアルバムに「Nippon ENDRE ver.」と「音楽を終わらせよう HEIAN ver.」が入っていることがわかったし。通常には「Believe in intuition・・・ENDRE ver.」が入ることが確定されましたね。ああ、楽しみ過ぎる♡)
これらの曲たちについて。
昔の曲をあらためて聴いてみたら、本当はずっとこういう音楽をやりたかったけど、いきなりそういうのをやると戸惑う人も出て来ると思い、最初の頃はかなりマイルドにしながら作ってた・・・というような話をしてました。
いつか、もっとより理想に近い形にアレンジし直そうと思っていたものが、やっとブレーキを踏まなくてもよくなった今、ちゃんと形になって、出せるということだそうでした。
とはいえ。
今は遠慮せずにやっている・・・と言いながらも、やっぱりファンのノリとか反応をちゃんと気にしてくれてて。
この日少しおとなしめに見えたらしき客席のファンに「江戸時代の金庫のカギを開けて」と盛んに言ってたのも、やっぱり「ファンを置いてきぼりにしないように。」と客席を気にしていたのだろうし。
「着いて来れてる?」「着いてきて!」と目を配っていたのだと思いました。
つよしさんのそういうやさしいところは昔からちっとも変わらなくて。
でも、ステージ側にどう映っているかはともかく、みんなすご~く楽しんでいるのは客席側からも十分に肌で感じているので。
たとえば一人一人の胸のあたりが、楽しくなるにつれてぴかぴか光り出すとか・・・こっちの胸の内をあっち側に可視化して見せる手立てがあったらいいのに・・・なんて思いながら話を聞いてました(笑)
・新譜は4月ごろから着手していたそうですが、突発性難聴を患う前だったら、もっとできたのにと思うことも多くて。
昔使えてたテクニックが使えなくなってたり。
いろいろ計算して歌いやすくなった?と思っても、いざレコーディングしたものを聴いてみると、フラットしてたり。
何度も試行錯誤を繰り返してて。
くやしいなぁ、以前だったらもっと歌えたのにと思うことがあったりもして。
そういう仕事をするプロとしての悩みはあまりに孤独で。
その理不尽さに心が苦しくなって、悔し涙にくれたりした時。
その昔、学校に仕事にとあまりにも忙し過ぎた頃のことを思い出したそうです。
当時、誰にも会いたくなくなって、人を信用する力もゼロくらいになってしまった頃、もう身体もボロボロで、(心の)皮もむき出しで、風が当たっても痛い・・・みたいな状況になったとき、ケンシロウが涙をぺろぺろ舐めて助けてくれてたなぁと。
そういう時代からそばにいてくれたコだからこそ、こんな時、愛犬ケンシロウがそばにいてくれたらなあと思ったそう。
彼の身体には会えなくても、魂はいつもそばにいてくれるように感じているとも言っていましたけど。
そんな苦しい話もつまびらかにしてくれつつも。
セッションも終わり、ラストのトークの時に、今後も「これができる、できないの実験をいっぱいしながら、これからもやっていきたい!!」と語ってて。
その表情はとても晴れやかでした。
もうとっくに覚悟が決まった顔。
そして、そうやって苦労しながらも音楽を作る過程やライブで、本当に生きててよかった!と思う瞬間も確かにあって。
しあわせを感じているという話もしてくれて。
その表情にウソはなかったと思います。
・「言葉を人を責めるために使うのはもうやめて、他の人に対してもっと寛大になろうよ」というトーク。
これは、日常のいろんな場面で、わたしも最近痛切に思っていたことだったのでとても共感しました。
人についてのあーだこーだで、責めるために言葉を使うのはもうやめて、心の苦しさもファンクのマナーやグルーヴに詰め込んで。
もうちょっとあるやん。人にやさしさをあげましょ。生きてる喜びを音楽に!!みたいに言ってました。
素敵。
この流れで・・・
今こんな話してるけど、他の星へ行ったら、すでに「言葉を攻撃のために使うなんて、そんな時代はもうとっくに終わってる!時代遅れ!」みたいになってるかもですから。な~んて言ったのがすごく印象的&共感でした。
ほんとにね~
「やさしい人たちと音楽をしていると、こんなにしあわせなんだなぁ」とも穏やかな表情で語ってて。
横浜のtank初期の頃のことが不意に思い出されました。
当時、ステージにいてもどこか孤独を身にまとい、ありったけの重装備で現れて、客席すらも怖がっているようにさえ思えたし。
常に何かと闘っているようで、見ていて辛かったあの頃の、あまりにも切実でギリギリでヒリヒリしてたMCの数々が思い出されて・・・
「今」が待っててよかったね~ほんとうに!と心底そう思いましたのことよ。
・水面音についての話は、中野後わりとすぐ、自分でつぶやいたので、引用しておきます。
「水面音」の謎が解けた。水面は瞳にうっすらと溜まる涙の比喩。
— レイン (@raintalk) 2019年6月11日
心が弱っている時に木漏れ日や太陽でちらつく桜を、涙が溜まり揺れる瞳の水面越しに眺めたらゾーンに入り。
失くした愛犬を恋しく想ってる。
潤んだ瞳と桜の景色。世界観の美しさにため息。包み込むようなやさしい極上の歌声が聴けた♡
☆水面音(ちょっとだけ歌の感想)
中野でも神奈川でも、こんな風に↑水面音が出来た経緯について話してから、十川さんのピアノと、平岡さんの下ハモのひそやかなコーラスのみというシンプルな構成で歌われました。
シンプルで音の数が少ない分だけ、つよしさんの歌声の素敵なところが際立って、なんて魅力的なんだと思いました。
ご本人はまだまだ不満足と言っていたけど、(誰よりもプロ意識が強い)自分比では・・・であって。
客観的に見て、音程や細かなリズムが不安定だとはちっとも思わなかったです。
それでも満足ではないと言い。もっと歌えるようになりたいと公言する。
こんなものではないと悔しそうだなんて。
ご本人も言っていたけど、耳のことがあってからも、自分の思う「このレベルで歌いたい」という水準を下げず、前と同じように遜色なく歌うために、この人はどれだけ人に見えない努力を重ねてきたのだろう。
元々とりわけ上手い人が、さらに人の何倍もの努力を重ねているわけで。
この費やした時間が、流した汗や涙が、今後の彼の音楽人生にとって、大きな財産となって、彼の音楽がさらに大きく花開きますように。
誰よりも彼自身がしあわせだと実感できる瞬間がたくさん訪れますように・・・
そう思わずにいられませんでした。
曲調はラジオでもすでにほんの少しだけ流れましたが、どこか儚く、郷愁に満ちたメロディーと美しい抒情詩的なバラードでした。
桜の歌だけど、ピンクというよりは、どこか水墨画のような趣で。
だからこそ彼の繊細な歌声が生き、小さな気持ちの揺れまでもがこちら側に届き、際立って聴こえてくるような、印象的な歌でした。
ああ、早くCDでも聴きたいな!
ツアーが終わり、なんとなくさびしい気持ちになっているのに、アルバムがこれから出るという素敵!!!
ああ、楽しみだなぁ。
そして、さっきの続きで歌声を聴いたあとの感想をつぶやいたのがこれ。
そんな瞳をした彼の表情は容易に想像できて。心がぎゅーっとなりつつも。
— レイン (@raintalk) 2019年6月11日
あまりに魅力的な歌声は、心惹かれてやまないものがあり。久々に彼の真骨頂発揮の瞬間に立ち会えた気がした。
ラジオでの「キツかったら言う」発言がありがたかった。
お陰で邪推せず、終始安心して委ね、浸らせてもらえた。
中野のライブのちょっと前のラジオで、こんな話をしてくれました。
耳のことをあんまり心配しないでね?
ステージでも不調を隠したままにはしませんから。
ちゃんと不調になったら途中でも言いますから。
そう言ってくれたことが、本当にありがたかったです。
彼がとても誠実な人だから。
わざわざそう言ったからにはそうなんだろう・・・と心から思えたし、びくびくすることなく、安心して歌の世界観にどっぷりつかることができました。
本当にしあわせなことだったのでありました。ありがとう!つよしさん。
・中野では平日ばっかりのライブ日程にも触れてました。
どうなのこれ?って。
ああ、ちゃんと知ってくれてるんだなぁと思ったことを書いておきたいです。
・この日はメンバー紹介の後も一向にホーンさんたちやコーラスさんたちがお名残惜しそうにはけなくて。
「お仕事終わりですよ~」とつよしさんに促されてたのが素敵光景だったのでありました。
一方神奈川では・・・
・ ピンクの耳栓を新調したと言ってました。
ずっとつよしさんと共に働いてくれてた耳栓に、とうとう亀裂が入ってしまったのですって。新しいのは変態なピンクって言ってました(笑)
・アルバムは3月から作ってて(あれ?中野では4月からって?笑)わりと遊びながら自由に作ってて(頭で考えず浮かんできたものを・・・みたいな感じに受け取りました)二日で8曲くらい作ったそう。
・そしてジャニーさん話。
FUNKを始めた当初
「なんでYOUは一番人気があるのに(あまりメジャーではない系の?)そっち(FUNK)へ?」
なんて言われたこともあったそうです。
そのジャニーさんが、一方で「自分のやりたいことだけをやりなさい。」と応援もしてくださってたそうで。
si:ライブの時、一度だけステージを見にいらして、つよしさんの後ろでキーボードを弾いてた人は誰?とわざわざ聞いて。
「彼(十川さん)とは、これからもずっと一緒にやって行った方がいい」と、直感でアドバイスしてくださったというのを懐かしそうに話してました。
「あの時の言葉は『十川さんはネタの宝庫だから』って意味だったんじゃない?」みたいに茶化してましたけど。
もちろんつよしさんが十川さんに全幅の信頼を置いてるのは、誰の目からも明らかだし。
バンマスは、どんなジャンルにも対応できる幅広い音楽的見識と鍵盤の技術を兼ね備えて持ってらして。
さすが人を見る目に曇りがないジャニーさん!と思いましたのことよ。
そして、これからはもう、ジャニーさんがつよしさんのライブを見ながら書いた自分メモを見て「ねえ、YOU、これ何が書いてあるんだろう?」とダメ出しに来ることもないんだなぁとちょっとしんみり。
もちろん「オマエ(ジャニーさん)がわかってへんのかい!!」
「どうせーっちゅーねん??」なんて笑いに変えることも忘れずに(笑)
で、わたしメモの次の行に
「大きくなればなるほどに、オーラを消してゆけ!」
って書いてるんですが、これはなんだろ?
(と、ジャニさんみたいなことを言ってみるww)
ジャニーさんがお掃除の人みたいに誰よりも先に立ち働いたり、楽屋へ入ろうとして止められたりという話の流れだったのかなぁ?
今となっては藪の中でごめんなさい(大汗)
この話の流れで「ものまね選手権みたいなのがあったら、自分はジャニーさんの物まねで出る!」「ライバルはミラクルひかる。ミラクルひかると競ると思うで!」だって(笑)
てってってってってーーーーーーっ!!と採点の小喜利のランプみたいなのが、駆け上がって行くさまを真似てました(笑)
・ジャニーさんは魂になってから、お世話になったいろんな人に挨拶をして。
一回り挨拶し終わってから、7月9日「凪ぐの日」を命日として選んだ気がするって言ってました。
語呂合わせでいくと「凪」には「平和」という意味があって、彼の最後のクリエーションがこれだったのではないか?と。
この日を選んだことに「(遺された)みんなは、どうか平和に清い気持ちで生きてって欲しい!!」という願いを込めたのではと語ってました。
(お別れのあいさつの)ワールドツアーが終わったら、ボクの愛獣の龍を事務所の駐車場に返しといて欲しい!って言ってましたよん、ジャニさん。むふふ。
そこからは、神奈川でも水面音についてのトークとなり。
哀しいこと、辛いこともすべて歌で包み込もう・・・という話をしてました。
この日は、ケンシロウだけじゃなくて、天に昇ったジャニーさんについても同じように思いを馳せながら歌っているように感じました。
この辺りの話の前後だったかで、社長からは本当にいろんなことを教わった。
色々言葉を並べても、自分の想いのすべては伝えられない。
そしてお別れの仕方も人それぞれ。
つよしさん自身は涙を流さずに身体と心を涙で彩って、体内に巡らせ、気持ちは作品に込めて、一度きりの人生を自分らしく最期までまっとうできたら・・・みたいに言ってました。
そんな風にたくさんジャニーさんに触れてるけど。彼自身はきっと「ぼくの話なんかどうでもいいよ!ライブのことを話しなよ!」と言ってそうだとも言って笑ってましたけど。
ジャニーさんはケンシロウと同じように、つよしさんの心の中に今も、これからもずっと存在していて。
彼だったらこんな時どう思うだろう?こういうのは喜ぶだろうな!って、常に心の中のジャニーさんに問いかけたり相談したりしながら、これからもやっていくんだろうなぁと思ったりしました。
その後のツアーレポでも、身内のお別れの会の折、ずっと泣かないで周りを和ませたり、笑わせたりすることに徹したと語ってたそうですが…
ツアーがまだまだ続いている緊張もあっただろうし、そうは言っても周りに気を配らずにはいられない人だから・・・
今、やっとツアーも終わり、時間ができた中で。
あらためて張っていた気持ちがほどけた時に、つよしさんが、ゆっくりと弔いの時間を持ててたらいいなぁと思いました。
ここで一旦切ります。あとひとつでこのまとめもおしまいです。
いつもながら、読んでくださってありがとうございます。