ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

天川旅行記 その4 天河神社

ふたつ前の日記にずいぶん反響をいただきました。ありがとうございます。
わざわざ長いメールをくださった皆さま方、ふぇるまーたを読んで10年以上も前からのずっと変わらない気持ちを再確認したとおっしゃってくださったベテランファンの同志のみなさま方、そんな過去があったなんて始めて知りました。知ることができてよかったとおっしゃる新しいファンの方々。
そしてたくさん拍手ボタンを押してくださった皆さま、本当にありがとうございました。
例によってまたメールの返信を溜めてます。とりあえずお礼まで言わせていただきますね。
さて。
この日記はこちらの日記からの続きです。
前回は大イチョウを見たところまででした。
ここからは天河神社のお話です。
イチョウを見て来迎院のお参りした後は、もう一度参道を戻って、正面から天河神社の鳥居の前に立ちました。
実は前回10月に行った時にも画像を撮ったのですが、その時はまだ台風直後で生々しくその跡が残っていました。その時の画像の方が鳥居そのものは大きく写っているのであえて画像を載せるとこんな感じでした。

でも、今はちゃんと多分元通りなのかな。とても綺麗になっていました。まだ半年くらいのことなので、きっとたくさんの方のご尽力により速やかに修復作業が行われたのだと思います。

そしてオットと一緒にあらためて神妙な気持ちで鳥居をくぐります。
なんだか朝のすがすがしい空気が似合う、いい緊張感のある瞬間です。
お手水のところにはちょっとユニークなお顔をされた龍がいらっしゃいました。なんでこんな後姿を撮ったかなぁ(笑)

前から見たところは、やっぱり前回アップで撮っていたので、あらためて載せるとこんな感じです。

このお顔がとても好きです。ユーモラスで力強い気がします。
お手水のところも前回はまだまだ台風の被害の跡が生々しく残っていて、確か水は流れておらず、溜まり水で、別に簡易お清め用の場所があったような(ちょっと記憶があやしいですけれども)。
いずれにせよ、今回は元通りにちゃんと修復されていたので、きちんとお清めをしてからもうひとつの鳥居をくぐります。

(この鳥居の画像も前回撮ったものです。)
結構急な階段を上がっていくと、ご拝殿があり、ちょうど朝の祝詞が始まったところのようでした。
多分この時まだ早朝7時前だと思います。
少し遠目にここにいていいものだろうか?邪魔じゃないかな?なんて遠慮がちに見ていたら、巫女さんが呼んでくださって、本殿の前にずらっと並んでいる椅子にどうぞお座り下さいとおっしゃいます。
「ええ〜!?いいのかしら?」とまだ遠慮していたら、更にどうぞどうぞとおっしゃっていただいたので、ふたりで椅子に座るとなんと祝詞が書いてある冊子を渡されて、一緒にどうぞと促されました。
そこで宮司さん、巫女さん、それからたまたま一緒にいらしたもうひとりの女性の方と一緒にわたしたち夫婦も祝詞を唱えさせていただきました。
拝殿の五十鈴の向こう側に長い階段があります。その階段の両脇にも場所があって、時々宮司さんのおひとりが楽器のような鳴りものを鳴らしたりもされます。
それらの音が合いの手のようにも聴こえるし、マレーシアに住んでいた頃触れる機会が何度かあったガムラン音楽の音色に近いようにも聴こえました。
唱えている祝詞にも独特の節回しがあって、すべてが音楽のようにも思えて、楽器と声との合奏のようにも聴こえ、不思議な気持ちになります。
祝詞を一緒に唱えたのは始めてですが、小さい頃、子ども会的なもので、お坊さんと一緒にお経を唱える会みたいなものに参加したことがあって、その時のことをとてもとても思い出しました。
とてもなつかしい気持ちでもあり、なんだか祝詞とお経が同じように思い出されるなんてヘン?という気持ちもあったのですが、次第にヘンでもない状況になってくるのです。それはもうちょっと後でわかります。
そして途中で法螺貝が吹き鳴らされます。大太鼓のドーンという音がお腹にずしんと響きます。
山のかなり上の方にあるこの場所は、とても静かで不思議な空間です。
静けさの中、わたしたちが読んでいる祝詞の声だけが響き渡っています。
巻き物みたいになっている祝詞を全部読み終わったところで、次に始まったのはなんと般若心経でした。
ええ!?ほんとにお経なの?
びっくりしていると、オットにつっつかれて祝詞の冊子をひっくり返してごらんとジェスチャーで教えてもらいました。
ひっくり返してみると、今まさしく読まれている般若心経が確かにそこに書いてあって、唱和は続きます。
そういえば、小学生のわたしは意味もわからずお坊さんと般若心経を唱えたなぁ〜なんだかここだけタイムスリップしたみたい。
きのうのわたしが小声できょろきょろしながら(昔からきょろきょろする子でした、笑)一緒に唱えているような、そんな気がしました。
最後まで唱え終わると、今度は御真言のページを唱え始め、これまた一緒に唱えます。
なんだか益々不思議な気持ちになりながら、全部一緒に唱え終わると、宮司さんのお話があり、そしてお神酒をいただきました。
それにしても、偶然自分がこのタイミングでこの場所に居合わせたのにもびっくりですが、オットとふたりで今そこにいることがなんだかとても不思議でした。だって、数日前までは天川を旅することすら夢のようなお話ですから。
たまたま車の中で買い物に行く際に「shamanippon」を聴いていなければ
「縁を結いて」の歌は、天河神社で生まれ、シングルになる時、その場所で録音されたものが採用されたのだという話をしなければ…
きっと天河旅行に来ることもなかったことと思います。
ああ、人生って不思議。
いつか機会があったら、今度は家族全員で来れたらいいね〜なんて会話をしながら、オットとふたり、もう一度ちゃんとお賽銭を入れてお参りし、そのあとゆっくりとご拝殿や能楽堂を見せていただきました。
こちらが拝殿です。

そしてこちらが五十鈴です。(例によって、こちらは昨年撮ってきた画像です。)

ついでに、だいぶ前にまほろば館に展示されていた五十鈴はこちら。

これは実際に見たら、ずっしりと重そうな質感(もちろん持ったわけではありませんけど、笑)とても美しくて心惹かれました。
そして前回来た時アネのおみやげにしたのがこれ。

五十鈴ストラップです。これは開けて振ってみるとちゃんと音がします。ミニチュアですがその音は見かけ倒しじゃなくて、涼やかで本当に美しい音がするのでびっくりします。
更に、天井からつるしてある灯篭を見上げると、その底のところにも金色の龍がいらっしゃいました。(こちらも昨年の画像です。)

祝詞が終わってあらためてまわりを見まわしてみると、山深いところだし、独特のゆったりした時間が流れているように感じました。
なんとなく感覚的にですけれども、祝詞の間はものすごい静寂に包まれている気がしたのですが、祝詞が終わった途端に止まっていた周囲の時間が動き始めたような…風がさわさわと鳴ったり、鳥の声がしたり、ああここはのどかな山の一部なんだなあと気がつきました。
決して誰もが辿りつきやすいところではないし、便利なところでもないですが、かけがえのない自然と、変えがたいのどかな雰囲気があって、この景色がずっと守られてきたことになぜか感謝したい気持ちになりました。
たまたま居合わせた女性も宮司さんとにこやかにお話をされていたし、宮司さんと巫女さんが竹箒を持って参道を掃き清めていらっしゃいます。
その風景はわたしにとってとてもなつかしいもので、父の転勤で、年長さんから小学校低学年の間を過ごした、山あいの小さな町のことや、その頃まわりにいた土地の大人の方々のことがいろいろと思い出されてなりませんでした。
多分そこにいらっしゃる方々がまったくせかせかとしておらず、緩やかな時の中で、ゆったりとした気をまとってらしたからそう思ったのかも。
ちなみに能楽堂の写真はこちらです。

ここで「縁を結いて」の録音をしたのですよね。
そしてつよしさんが巫女さん姿でPVの撮影をしたのもこの神社。
アルバムバージョンよりも少しキーが高いシングルバージョンは、PVの巫女さん姿ともあいまってアルバムバージョンと比べると、より包み込むような母性とか、癒しを感じるような気がします。
たまたまではありますが、とんでもない災害から間もない時期にこの曲がリリースされて、最も人々の心が悲しみに沈んでいた頃。
その時期に求められていたのはやっぱりキーの高いシングルバージョンだった気がします。
リリースのタイミングはかなり当初よりも遅れたそうですが、きっと何らかの神さまの力が働いたのかも?
わたしはふだんあんまり信心深い方ではないのですが、この神社の中で穏やかでやさしい空気に包まれていると、そんなこともありそう…なんて容易に信じられる気がしました。
この歌はわたしにとっても本当に特別で、一度聴いた瞬間から惹きつけられてやまないものがあって絶対的に特別な感じなのですが、この景色の中でこの曲が生まれたのがよくわかるような気がしました。
歌詞の最後のところの「美しき(うるわしき)くにを」を聴くたびに天川村の景色や天河神社ののどかだけれどもピーンと張り詰めた空気を思い出すのだろうなあと思いました。
神社の持つパワーは別として、この天川の景色は何も日本でここだけの特別なものじゃなくて、多分ほんの数十年前までの日本にはあちこちにあった古来からずっと変わらない日本らしい景色のようでもあり、ほんのちょっと思い出そうとすればわたしたちくらいから上の世代の人たちならだれもがあたりまえに心の中に持っている景色なんじゃないかなと思ったりもしたのです。
今ならまだ思い出せるぎりぎりのところ、そんな風にも思いました。
天川の地は日帰りで誰もが旅のついでにちょっと寄れる場所ではありません。
でも、だからこそたくさんの人がめちゃくちゃに押し寄せたり、建物が乱立したりもしていません。
人の力が忘れ去られていないので、大きな台風により道路が寸断され、なかなか外から人が救助や復旧のために入って行けなくても、中に住んでいる方々はほぼいつもの暮らしを続けていけたのだと聞きました。
人が人として暮らしていくために、大切なこと、忘れてはならないことや、日本がどうしていけばいいのかのヒントが、ここにはきっとたくさんあるのだろうと思います。
そういうことを考えるために、今ここに来たのかもしれないと思いました。
さて。能楽堂の写っている画像の話に戻ります。
画像では折りたたみの椅子が反対を向いて置いてありますが、この椅子に座わり皆さんと一緒に拝殿側を向いて祝詞をあげさせていただきました。
前回行った時も、宮司さんが拝殿で何か日々の儀式のようなものを取り行っていらっしゃるところに出くわしたのですが、独特の歩みで一歩一歩階段を上って行かれる姿はなんだかとても神々しかったです。
ここの神社の方は、昔ながらの信仰を、ずっとずっと昔から忠実に守ってらっしゃるようなそんな感じを受けました。
あとで最近熊野の那智の滝や、那智大社那智山青岸渡寺のあたりに行ってきた父とGWに話をしていて、あそこは神社とお寺が隣合ってるんだよね〜なんて知ったかをしながら話をしていました(笑)
そのついでに「天河さんの朝の祝詞の時には般若心経もご真言も唱えたんだよ」なんて話したら
「そもそも神仏分離が確立したのは明治時代だからね。神仏習合の考え方の方がずっと長く自然と考えられてきたわけで、今もその伝統的な考え方にのっとっているところがあったって全然不思議じゃないわけだし。」
なんて父が言い、なるほどね〜なんて思ったり。
そこで父が「オマエそんなに信心深かったっけ?熊野も詳しいの?」とか言ってきて、あえて「ココロ見」という種明かしはしませんでしたが、わたしが切実に行きたいと思っているもうひとつの場所を、両親が訪れたなんて、おもしろい偶然もあるもんだと思ったわけです(笑)
熊野もかばん持ちでついて行きたかったなぁ。
おっと話がそれてしまいました。
天河神社の話に戻って…
自分たちへのおみやげにしたのが、これです。
曼荼羅です。

きのう額に入れたらちょっと素敵になりました。
わたしたちの寝室に置こうと思います。
これを見るたびに天河神社やあそこで感じた空気に触れることができるような、そんな気がして、大切にしたいと思っています。
実は帰り際おみくじを引きました。
驚いたことに、オットもわたしも大吉が出てとってもびっくり。
同じ大吉でも書いてあることは微妙に違っていてそれもとってもおもしろかったのですが、わたしはここに来る前に微妙に悩んでいたことに答えをもらったような、そんなおみくじの内容でとてもとてもびっくりしました。
最近なんだか自分がとんでもないおせっかいに思えて、すごく自分に嫌気がさしていたのです。
なんでこう、何にでも首をつっこんでしまうのか、そしてつっこんだ挙句、かきまわしているだけなんじゃないか疑惑が沸いて(笑)このままでいいのかな?と思っていたわけです。
そうしたら、おみくじに書かれてあった句はこうでした。

かき曇る 空さえ 晴れて さしのぼる 日がけ のどけき 我こころかな

なんだかとてもやさしいいい句でした。
ただし書きのところには

欲をはなれて人のためにつくしなさい

と書いてありました。多少のやりすぎや間違いはあるかもしれないけれども(笑)大筋としては間違った方向へは進んでいないのかな?
もちろんおみくじですけれども、自分のありかたを考えるいいきっかけをもらった気がします。
さらに裏の「神の教」には

とり返しのつかぬ過去のことを、くり返して想いなやんだり、どうにもならぬ将来の事を案じ煩うのは唯心をいため身を害なうだけで、
何のやくにも立たぬ愚かな事である。
今日は唯今日の事を、面白く楽しく、神様を念じつつ、正しい心でやって行く。禍も転じて幸となる。

と書いてありました。
これは、とてもとてもわたしにとっては勇気をもらえるいい言葉でした。
この言葉をいろんな意味で同志のみなさんと一緒に分けあいたいな。
背負っている荷物がちょっとばかり人より重い同志のみなさま方、みなさまの分もこの言葉をいただいてきましたよ。
これからも外野に惑わされず、自分の愛情深さを疑うことなく(最近足りないとか言う人がいましたよね〜、笑)呪いに負けず(みかんちゃ〜ん!このテーマ、わたしも日記に書きたいです!)前を向いて明るく楽しく日々を過ごしていきましょ!!
なんだか帰ってきたばかりなのに、もうまたあの天河神社の空気に触れたいと思っているわたしがいます。
また行く機会があったらいいなぁ。
ほんとに超長々と書いてしまいました。最後まで読ませてしまったみなさまがた、ごめんなさい。礼。