ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

[仕事][日記] 「キヨシこの夜?!」

 「トンプソン現代教本」の1巻に「きよしこの夜」が載っていて、弾くのはちょっとむずかしいのですが、アレンジがとっても美しいので子供たちに評判がいいです。この曲をすごくじょうずに弾いた1年生のYちゃんが、歌も歌いたいというので、レッスンの最後に歌ったところ、終わるなり「先生、わたしヒロシがよかった〜!」というのです。???一瞬意味がわかりませんでした。
 よく聞いてみたら、どうやら彼女、「きよし」というのは名前だと思い込んでいたらしいです。マツキヨ?!キヨシじゃなくてヒロシだとなぜいいのかも謎ですが、笑いころげたらムッとされてしまいました。ごめんね(笑)子どもってホントおもしろいです。
 さて、わたしはというと、先週の水曜日にピアノのレッスンに行ってからというもの、先生のモーツァルトが頭の中をぐるぐるしていて、気がつけば先生が弾いてくださった1音1音、隅々まで神経が行き届いたタッチとか、一瞬たりともぶれたり転んだりしないトリルとか、フェルトの上を滑るようなピアニッシモとか・・・あんな音、こんな音が頭を離れません。
 同じものを弾いていて、さしてミスタッチをしているわけでもないのに、自分の弾いたものと全然違うこと違うこと!完全に敗北ですが、気持ちの良い敗北感です。まだまだです。
 演奏家でもあり、音大や音高の講師でもある現在のわたしのピアノの師は、いつだって生徒に出し惜しみせずに、そのテクニックや類まれなる表現力を丸ごと聞かせてくださるステキな方です。
 先生の口癖は「とってもじょうず!」で、これを絶妙なタイミングで言ってくださるので(励まされたい時とか、ちょっとうまくいったかもと内心鼻高々なときに、笑)「これ以上の向上は無理!」と思っていても、なんだかもっとできるかもという気持ちにさせられて、とっても気持ちがいいです。
 家に帰ってから1週間レッスンをしていて、気がつけば先生の口癖が移って生徒に「とっても上手!」を連発しているわたしがいて、笑ってしまいました。知らず知らずかなり先生の技術や指導法だけじゃなく、いろいろな面で感化されているらしいです。この先生に出会ってからというもの、とにかく「こうやってみて」と説得するには、弾いてみせるのが一番という気になっています。もちろんわが師のピアノとわたしのそれでは説得力が違うのですが(笑)それでも、ちょっとでも説得力を持って伝わるといいなと思います。
 もう何十年もピアノをやって来ていますが、この分野の勉強には教科書というものがなくて、時々それが途方もなく怖く感じます。教える側にまわって考えてみると、「こうしてみたら?」「ああしてみたら?」「こうやってやってごらん。」「それはダメ!」と日々言葉にしているものは、すべてわたしの身体が覚えているもの、頭の中に蓄積されたものだけが頼りなのですから。指導法にしてもテクニックにしても表現にしても、ほんのポイントで参考にできるような先人の著作はあるにせよ、ほとんどのことは、失敗やうまくいった体験をもとに身をもって覚えてきたことであり、ほんとうの解がどこにあるのかもわかりません。そう考えると、こうやってレッスンに通い続け、素晴らしいと心から思える音楽にどんどん触れ、ずっと学び続けなくては、先生なんて怖くてやっていられません。子どもの頃は大人になった暁には完璧になっているんだろうと思っていました。大いなる勘違いです(笑)大人になってはやどれだけ?習っても習ってもちっとも完璧の方に近づいた実感はありませんが、こんな風にいつまでもあがいている姿を、わたしの生徒に見せていきたいと思っています。 
 な〜んてのんびり書いてる場合じゃなかった〜!これからPTAの役員会です。帰りに本屋に寄れるといいな。それでは、とりあえず行ってきます。